語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】ホットスポットが残る郡山市の学校 ~除染の限界~

2012年10月16日 | 震災・原発事故
 (1)昨夏、郡山市の小中学校は、外の線量が高いため窓を開ける機会は限られていた。屋外活動は3時間に限られた。暑さ対策として、葦のすだれと扇風機が支給され、今年も支給が継続した。
 だが、昨夏は閉め切った教室内が大変な暑さとなり、扇風機は熱気をかき回しただけ。鼻血を出すなど体調を崩したり、勉強の能率が落ちた子どもたちが多かった。【「安全・安心・アクションIN郡山」の保護者】

 (2)郡山市は、これまで学校や通学路を数度にわたって除染した。線量の高い学校を中心に、昨年5月から校庭の表土を除去したり、校舎内の洗浄や、保護者を動員して通学路を除染するなど多大な労力を投入した。
 市教育委員会は、今年3月23日、学校における屋外活動を3時間に制限していた昨年来の措置を新学期から解除した。除染などで屋外平均0.2μSv/時以下になり、「学校がもっとも安全な場所になっている」のがその理由だ、という。
 各校は、窓を再び開放し始めた。

 (3)武本泰・「安全・安心・アクションIN郡山」顧問は、情報開示請求で、市教委の衝撃的な内部文書を入手した。
  (a)1月23日付け通知「学校敷地内ホットスポット調査について」は、各小中学校に中庭、側溝、体育館裏、生け垣など計8ヵ所を列挙し、同月25日までに「線量が高いと思われる箇所を各校で1箇所選定し、放射線量を調査票により報告」するよう求めた。これを受けて、市内の86小中学校は「学校敷地内ホットスポット調査票」にこの8ヵ所に数値を記入した。結果は、12の小中学校で「計画的避難区域」設定の目安となる年間被曝線量20mSv相当の3.8μSv/時超のホットスポットが確認された。
  (b)武本顧問が追加入手した2月22日(4月4日提出分も加えると)、総計で3~6μSv/時が21校27地点、6~9.99μSv/時が18校23地点、「測定不能」とされる9.99μSv/時以上は5校6地点。

 (4)市教委は、(3)のホットスポットが発生しているのを知りながら、(2)の屋外活動制限解除を行ったことになる。
 そのためか、市教委は、5月から6月にかけて計84の小中学校で<側溝など比較的放射線量が高い場所の除染を始めた。・・・・市の委託を受けた業者が側溝の洗浄や体育館裏の落ち葉除去などに当たった>【5月8日付け「福島民報」】。
 だが、市教委は、今後のホットスポット調査や除染計画は「当面予定していない」。また、ホットスポットの存在が確認された後に屋外活動が解除された点については「危ない場所は限られているので、そこには近づかないように指導している。平均的には除染などによって校庭の線量は下がっており、今後もこの方針に変更はない」。

 (5)では、5~6月の除染は効果があったのか。
 郡山の全小中学校のグラウンド脇に設置されたモニタリングポストの数値によれば、10月1日午前0時段階で、0.23μSv/時以上が36校あり、機械故障1校を除く全体の42%に達した。最高値は0.63μSv/時。【福島県がホームページで公表している「各地の定時測定」】
 ホットスポットではなくとも、除染の「支援」が必要な学校がこれだけ、まだ存在する。
 市教委は、現在もホットスポットの調査を各学校で継続していることを認めているが、なぜか現在まで数値を公表していない。
 「除染で安全になった」という主張が揺らぐような高い数値が出ているので、情報を隠しているのではないか。【武本顧問】

 (6)市議会では6月、「小学校そして中学校へのエアコン設置を求める請願書」が提出された。「学校敷地内にはホットスポットが生じていることが判明し、窓を開放しての学校生活は、外部・内部被曝を防止する見地から回避すべき」とし、窓を完全に閉め切ることを前提に「エアコン設置」を要求したのだ。
 だが、保守系が圧倒的多数の市議会は、否決した。反対の理由は、
   ①除染業者のお陰で震災以前の郡山に戻った。
   ②節電が叫ばれている今、エアコンで電力を使うのはいかがなものか。
   ③子どもに我慢をさせるのも教育・・・・

 (7)ふくしま集団疎開裁判【注】弁護団の柳原俊夫・弁護士はいう。
 「除染に効果はなく、土建屋の利益のために行われているのは明らか。それを口実に子どもたちを避難させず、被曝させているのは故意の殺人に等しい。いつまでこうした犯罪的行為を続けるつもりなのか」

 【注】「【原発】金曜デモの変化・主張の多様化 ~ふくしま集団疎開裁判~

 以上、成澤宗男(編集部)「除染したから「安全」はウソだった ~ホットスポットが消えない郡山市の学校」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。
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【原発】文科省、意図的に低い放射線量を公表か ~福島~

2012年10月15日 | 震災・原発事故
 (1)文部科学省は、全国(福島県を含む)にモニタリングポスト(M/P)を設置し、放射線モニタリング情報を空間線量を発表している【注】。

 (2)「市民と科学者の内部被曝問題研究会」は、10月5日、福島県の空間線量を計測しているM/Pの値を検証する独自調査の結果を発表した。
  (a)同研究会は、今年9月以降、文科省が福島県相馬市、南相馬市、飯舘村などに設置しているM/Pのうち約100ヵ所を網羅的に測定したところ、わずかな例外を除き、公表されているM/Pの値よりも1.1~1.3倍程度高い値が出た。
  (b)M/P周辺の除染されていない地域でも計測したところ、1.5~2.5倍程度高い値が出た。

 (3)同研究会によれば、
  (a)各M/Pは、表土を広範囲に削った場所、公園や保育園など既に除染済みの場所に設置されていた。
  (b)他方、除染されていない公園などには設置されていなかった。

 (4)矢ヶ崎克馬・琉球大学名誉教授/同会会員によれば、
  (a)周辺地域の住民が浴びている正確な放射線量を知るには、M/Pが示す値のおよそ2倍で考える必要がある。
  (b)M/Pの計器そのものに、線量を低めに示す傾向が共通してある(あらかじめ数値が低く出るように意図的かつ系統的に操作された疑い)。

 (5)同会は、未調査のM/Pについても、今後検証を進めていく、とのこと。 

 【注】放射線モニタリング情報

 以上、古川琢也(ルポライター)「意図的に低い放射線量提示か ~内部被曝問題研究会が独自調査結果発表」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。

   *

 (1)WHOによれば、飯舘村住民は昨年9月までの間に10~50mSvもの累積被曝を被った。

 (2)小林晃は、放射線計測器のエンジニアなどと6人で、8月4~6日、飯舘村を訪れた(昨年7月以来2回目)。そして、32ヵ所を調査した。狙いは、①文科省のM/Pとの比較、②昨年から1年間の変化だ。文科省のM/P23ヵ所のうち7ヵ所の調査結果は次のとおり。
  (a)蕨平公民館(高汚染地区)のM/P(<文科省>5.569μSv/時)・・・・M/P直近で6.702μSv/時。M/Pから25m離れた場所では、M/Pの1.5倍の8.558μSv/時(高い値)。
  (b)小宮コミュニティセンターのM/P(<文科省>3.622μSv/時)・・・・M/P付近で1.2倍の4.403μSv/時。M/Pから5m離れた草むらでは、M/Pの1.5倍近くの5.397μSv/時。
  (c)相馬農業高等学校飯舘高のM/P(<文科省>4.373μSv/時)・・・・M/P付近で1.1倍。M/Pから3m離れた木の根元では1.6倍超。
  (d)臼石小学校のM/P(<文科省>2.763μSv/時)・・・・M/P直近で1倍超の3.047μSv/時。M/Pから10m離れたところでは1.4倍超の3.99μSv/時。
  (e)飯舘村役場前のM/P(<文科省>0.77μSv/時)・・・・M/P直近で1.1倍の0.842μSv/時。M/Pから10m離れた場所では1.6倍超の1.288μSv/時。
  (f)飯舘村南部の比曽(高汚染地区)のM/P・・・・M/P直近で<文科省>の1.4倍の4.157μSv/時。M/Pから50m離れた旧校庭では1.8倍超の5.536μSv/時。
  (g)前田地区の赤石沢遺跡(縄文遺跡)のM/P・・・・M/P直近で1.2倍。M/Pから5m離れた草むらで1.3倍超。

 (3)小林らの調査結果をまとめると、文科省のM/P設置場所での<小林ら>の計測値はM/P値より1~2割高く、M/Pから10m前後離れた場所では平均1.5倍を超えた。
 もし、これが23ヵ所全体のM/Pの傾向であるならば、この低い線量を飯舘村民の累積被曝線量の基礎資料として使うには問題がある。実態に合わない低い累積線量被曝となるからだ。事故後短期間で除染帰宅を促したい国にとっては好都合だが、それは許されない。M/P全体を、信頼できる機関が再調査する必要がある。

 (4)小林らの今年の調査を昨年のそれと比べると、臼石小学校で2割、相馬農高グラウンドで4割も低くなっていた。自衛隊が除染した村役場前は8割も低い値だった。それでも、放射線管理区域の下限0.6μv/時(5.2mSv/年)を超えていた。
 また、32ヵ所のうち、政府のいう帰宅の目安3.8μSv/時(20mSv/年)を超えたのは18ヵ所だった。

 以上、小林晃(フォトジャーナリスト)「飯舘村のモニタリングポストの値は低すぎる」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。
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【原発】200人の著名人、脱原発を語る ~脱原発人名辞典~

2012年10月14日 | 震災・原発事故
 <官邸前デモを発火点にした「脱原発」の声は、大間原発の建設工事再開を巡って、再び熱く広がる気配を見せている。明確な意思表示をする著名人も、数多い。改めて、どんな人たちが、どんなメッセージを発しているのか。>
 「AERA」誌は、政治家以外の、なるべく多様な立場、職種、業界の著名人200人のメッセージを掲載している。ここではその一部を引用する。

 【凡例】①「さようなら原発1000万人アクション」、②「脱原発社会を創る30人の提言」、③日本ペンクラブ編「いまこそ私は原発に反対します」

●アーサー・ビナード(米) 詩人/67年生
 ①に「『平和利用』と『軍事利用』を巧みに分けた原発のPRキャンペーンは『世紀の詐欺』といっても過言ではない」と賛同メッセージ。自身のHPでも「二度と原発人災が引き起こされない社会を作りあげることは、じゅうぶん可能だ」と発言(11年7月13日付)。

●秋山桃花 音楽家
 自身のブログで「わたしはもともとは、なにがなんでも再稼働反対!というわけではなかっただが、これだけやりかたがぐだぐだなのをみていると、やっぱり反対です」と発言(12年6月3日付)。

●雨宮処凜 昨夏/75年生
 11年9月、『14歳からの原発問題』(河出書房新社)を上梓。ブログで「『原発』って、戦後日本の政治の矛盾すべてが凝縮されている・・・・」と記す(12年7月30日付)。

●いしだ壱成 俳優・歌手/74年生
 94年の歌手デビュー曲「WARNING」で反原発を主張。大飯原発再稼働に反対する地元の運動の応援に訪れ、「自身があっただけで原発が大丈夫かと不安になる。原子力、放射能にいろんな人がストレスを抱えている」と発言(12年3月31日付朝日新聞)。

●上野千鶴子 社会学者/48年生
 ②に「これだけの犠牲を払い、これだけ高くつく授業料を払って、いまだに歴史から学ばないとしたら、度しがたいおろかものだ」と記す。

●江上剛 作家/54年生
 週間現代(11年6月18日号)のアンケートで「思いつきではないエネルギー政策に基づいて現実的には順次停止していくべきでしょう。今回の事態で我が国は原発リスクをコントロールできる能力が政府、民間にないことが明らかになったのですから」と回答。

●片山恭一 作家/59年生
 朝日新聞(11年7月4日付)で「これだけ大きな事故を引き起こしたにもかかわらず、なし崩し的に各地で原発が再稼働を始め、日本が以前と変わらない状態に戻ってしまうことを憂える」と発言。

●玄侑宗久 作家・福聚寺住職/56年生
 ①に「インペイ体質の抜けない組織に、あの龍を飼うことはもとより無理だったのですね」と賛同メッセージ。

●小西寛子 声優・歌手/74年生
 「脱原発世界会議」に寄せたメッセージで、これまでのタレント活動で出会ったいわきの子どもたちに言及し、「福島県をはじめ原発被害に遭われた人たちが、どれほどの絶望感と先の見えない恐怖に怯えているか、子供たちがこれからこの汚染された世界でどうやって生きていけばいいのか、自分の身に置き換えて考えてみてください」と呼びかける。

●今野敏 作家/55年生
 89年の参院選にミニ政党「原発のいらない人びと」から立候補。その体験を踏まえ、③の中で、「反原発や脱原発の言葉を聞くと、正直に言って、『今さらか』と思ってしまう」「20年以上も前に口を酸っぱくして言ったことを、またここで繰り返さなければならないことに、私は無力感を覚えている」「本当に、原発が安全だというのなら、東京湾に作ってみればいいのだ。電力会社にも、国にもどんな度胸はないだろう。そこに、原発の本質がある」と記す。

●鹿野淳 音楽評論家/64年生
 ウェブマガジン「MUSICA」主宰。「脱原発世界会議」に「原発はその存在自体が僕らの生きる事の邪魔をします」「これ以上原発をほっといたら、僕らはもう『加害者』です、原発、反対します」と賛同メッセージ。

●菅原文太 俳優/33年生
 毎日新聞(11年6月30日付)のインタビューで「戦後日本は政官財学が癒着して、経済成長優先で原発を造り続けてきたというところだろ。そういう仕組みは、ここで断ち切らないと駄目だよな」と発言。

●高橋源一郎 作家・明治学院大学教授/51年生
 11年11月、震災チャリティーを扱った小説『恋する原発』を発表。震災後の政治化については「この国で起こったことから、なにも学ばなかったのだろうか」と発言(11年8月25日付朝日新聞)。

●辻井喬 セゾン文化財団理事長・作家・詩人/27年生
 ①のHPで呼びかけ人として「科学技術そのものは人間にとって肯定的でもなければ否定的でもない」「しかし、核に関する技術はそのような“一般技術”とは本質的に異質」「それは制御不可能な本質を持っていることによって、それ自体反人間的なのである」と寄稿。

●ピーター・バラカン(英) ブロードキャスター/51年生
 「原発がなければ、電力が不足するというのは正しいのか。日本はエコや省エネの工夫が得意で、効率の良いシステムを作る努力もしているはずだ。原発なしでやるという前提に立てば、新しい道があると思う」(12年3月2日付毎日新聞)。

●村上龍 作家/52年生
 「もはや日本では原発推進はありえない。原発の事故はリスクが特定できないことがわかってしまったからだ」。必要なのは安心ではなく「信頼」(『文藝春秋』12年3月号)。

●村田光平 東海学園大学名誉教授・元スイス大使/38年生
 自身のHPで「再稼働問題が脱原発の鍵になりました。日本の脱原発は世界の動向に決定的影響を与えます。その意味で再稼働問題は日本の命運、世界の命運を左右する問題と言っても過言ではないと信じます」(11年12月21日付)。

●森村誠一 作家/33年生
 ③の中で、便利性追及の中毒に陥った現代人を「便奴」と呼び、「便利性は命のために発達した。その便利の奴隷となって寿命を短くしたり、命を失っては本末転倒」「原発は、調教師すら飼い馴らせない機械文明の猛獣である」と記す。

●柳澤桂子 生命科学者・エッセイスト・歌人/38年生
 週間現代(11年6月18日号)のアンケートで「高レベル放射性廃棄物の処理の仕方も解決されていないのに、原子力発電をするのは、とんでもないことです」と回答。

●山中恒 作家/31年生
 ①に「原発推進のからくりがぼろぼろ暴露されています。それをかくして国民をだまし続けた自民党、それに迎合したマスコミの責任が問われる時期が来たと思います」と賛同メッセージ。

●渡辺謙 俳優/59年生
 震災発生直後、メッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げる。12年1月のダボス会議では「『原子力』という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった。再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわない」と発信(12年1月26日付東京新聞)。

 以上、本誌編集部「「脱原発人名辞典」決定版」(「AERA」2012年10月15日号)に拠る。
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【尖閣】問題に係る米国の本音 ~大中華圏の政治化~

2012年10月13日 | 社会
 (承前)

 (5)胡錦濤主席は、北京五輪(2008年)や上海万博(2010年)の頃から、「中華民族の歴史的成果」といった表現を使うようになった。
  (a)いまの中国は、漢民族を中心に55の少数民族を束ねる「多民族国家」だ。多民族国家は、民族性を超えた「統合の理念」に苦慮する。米国=移民の国は、「政治的には民主主義」「経済的には市場主義」を掲げる。中国では、「民族を超えた社会主義の実現」という理念が冷戦後の20年と「改革開放」によって後退し、新たな統合の理念が必要になっていた。そこで、多民族国家の総体「中華民族」と表現し、アイデンティティの中心に置き始めている。
  (b)「中華民族の歴史的成果」という表現は、海外華僑・華人の心に沁みる。清朝期、辛亥革命までの間、客家を始め多くの漢民族が海外に生活を求めた。近代には、中国国内の混乱や共産党支配を嫌って海外に出た人が加わった。中国人の歴史的中核たる漢民族の中華文明・文化への思い入れをもっとも強く潜在させているのが海外華僑・華人だ。「自分たちこそ中華文明の本来的担い手」という自負がある。そこに中国本土から発信される「中華民族の歴史的成果」というメッセージには、複雑な思いを込めて琴線に触れるのだ。
  (c)一般に「中国人」とは、中華人民共和国のパスポート発行対象者だけを意味しない。海外華僑・華人を含め、中華文明・文化にアイデンティティを抱く人々を総称する。
  (d)むろん、台湾やシンガポールは、本土中国への警戒心も内在し、一枚岩ではない。①馬英九・台湾総統は、ハーバード大学博士号を国際海洋法、しかも尖閣列島の帰属問題で得て、この分野での知見は深い。彼は日本との関係発展を大きな国益とし、尖閣に係る大陸との連携に慎重な姿勢をとっているが、「尖閣は台湾領」として関係国間での協議の場を提案していて、まずは漁業権確保からこの問題に踏み込み始めている。②シンガポールと日本との関係も良好だが、人口の76%が中国系で、中華民族としての同胞意識を潜在させて尖閣問題を注視している。

 (6)9月中旬の日本政府による尖閣国有化、9月18日(柳条湖事件から81年目)を機に吹き荒れた反日デモは、当局の規制により鎮静化した(「官製デモ」)。デモの様子や中国の漁業監視船の動きはCCTVの映像として世界に発信された。この問題を国際化し、「領土問題はない」とする日本の主張を崩すところに中国の狙いがあるという流れが明確になった。注目すべきは、バンコクやニューヨークなどの華人も反日デモを行ったことだ。

 (7)この経緯の中で、米国の本音が明らかになった。
  (a)尖閣は、1972年の沖縄返還まで米国自身が25年以上も施政権を持っていた。「どこの国の領土か分からない」はずはない。しかし、「米中国交回復」(ニクソン訪中)の1972年から、「領有権」を主張し始めた(1970年前後)中国に配慮し、「領有問題には関与しない」という姿勢をとってきた。今年9月中旬、日中をあいついで訪れたパネッタ・米国防長官は、改めて領有権に係る「中立方針」を両国で明確にした。
  (b)日本人は、尖閣に中国が武力行使すれば日米安保条約第5条が発動されて米国が駆けつける、と認識しがちだが、中立を明確にしている事案で、米中全面戦争になるリスクを冒して米国が軍事行動を起こすはずはない(当然、オスプレイ配備は尖閣問題と関係ない)。
  (c)米国のアジア戦略の根幹は、「影響力の最大化」だ。米中関係は、懸案を抱えながらも密度の濃い意思疎通のパイプを有する。過去7年間、閣僚級の「米中戦略・経済対話」が蓄積されている。
  (d)要するに、米国への過剰依存と期待は、幻想でしかない。

 (8)近隣の国が次元の低い「国益主義」で興奮している時こそ、成熟した民主国家・平和国家としてアジアの安定と世界の持続的発展に寄与する視界の広い構想と国際社会への責任意識を示す時だ。
 しかし、「都だ、国だ」と所有をめぐり尖閣を自ら問題化させる流れをつくり、それを中国に国際社会への喧伝材料にされている日本のリーダーの視界の狭さは悲劇的だ。与野党とも、アジアを唸らせ、世界を納得させるメッセージはない。

 以上、寺島実郎「尖閣問題への新たな視角--大中華圏の政治化 ~能力のレッスン第127回~」(「世界」2012年11月号)に拠る。

 【参考】
【尖閣】問題への新たな視角 ~大中華圏~
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【尖閣】問題への新たな視角 ~大中華圏~

2012年10月12日 | 社会
 (1)中国中央電視台(CCTV)は、世界へ向けて発信する英語放送だ。世界各地の華僑・華人(3,000万人)のみならず、アジア・アフリカの途上国や南太平洋の小さな島国まで、パラボラ・アンテナを寄贈して、視聴可能ゾーンを広げている。アフリカではCCTV本部をナイロビに置き(2012年1月発足)、アフリカ全土に20箇所以上の拠点を配置して発信している。
 チャンネルが少ない所ほど影響力が強い。住民の意識調査でも「次第に中国が好きになった」との変化が報告されている。
 ワシントンのあるロビイストは、「アジアのことはCCTV、中東のことはアルジャジーラ、欧州のことはBBCとWORLDで見ている」と言い切った。

 (2)今年8月15日、CCTVの番組が伝えた日本のイメージは衝撃的だった。
  (a)まず、韓国との「竹島」をめぐる緊張が伝えられ、背後に従軍慰安婦問題への日本の不誠実な姿勢が存在する、と解説される。
  (b)ついで、北方四島問題で、「ロシアとも国境紛争が続く」とする。
  (c)最後に、香港の活動家による「魚釣島上陸」の映像が流され、「日本という迷惑な隣人が存在し、敗戦後67年も経つのに未だ侵略戦争を反省せず、領土で近隣と揉め続けている」というコメントが続く。活動家が掲げる旗の「世界華人保釣連盟」は、「全世界の中華系の人間が連帯して魚釣島を守ろう」という主旨の団体だ。日中2国間の領土問題としてだけの「尖閣」ではなく、国際的広がりの中で日本のイメージダウンを狙う意図が隠されている映像だ。そこには、戦後日本が平和憲法の下、「武力を紛争解決手段としない国」として国際社会に参画・貢献してきた、という認識はカケラもない。

 (3)ソ連崩壊後、かつて「社会主義圏」のロシアや東欧諸国が苦しみぬいた20年間、中国だけが年率10%に近い成長軌道を走り続けてきた理由は、香港・台湾・シンガポールなどの華僑圏とのネットワーク型連帯(経済・産業の連携ゾーン)にある。
 「大中華圏」という仮説的概念は、2004年発表当時はある種の違和感をもって受け止められたが、この数年、この切り口で中国を理解することに興味を示す華僑・華人が増えてきた。
  (a)この10年間で、「大中華圏」は、経済連携体として一段として実体化した。大中華圏内の相互貿易量は倍増し、交流人口は2000年から2011年まで6,971万人から1.22億人へと5,000万人以上も増えた。中国の2000年以降の対内直接投資累計のうち68%は大中華圏からの投資だ。中国本土の発展は、大中華圏のヒト・モノ・カネを有効に取り込み、相互交流を糧として持続しているのだ。
  (b)IT革命が進んだ。中国本土のインターネット普及率は、2011年で38.4%(5億人超)、シンガポール77.2%、台湾70.0%、香港68.7%と世界でも際だってITが定着したゾーンだ。これが相互交流・意思疎通の基盤となっている。
  (c)日本にとっての大中華圏の意味も重くなった。2000年から2011年までの間に、貿易総額23%が30%になった。かたや、対米貿易は25%から12%に減った。すなわち、大中華圏との貿易は対米貿易の2.5倍の比重を持つに至った。貿易量のみならず、昨年赤字に転落した貿易収支において、日中貿易は1.7兆円の日本側赤字だが、大中華圏全体では5.7兆円の日本側黒字となっていて、大きく日本の黒字に貢献している。

 (4)大中華圏はいま、経済連携体を超えて、政治的意味を持ち始めている。

 (続く) 

 以上、寺島実郎「尖閣問題への新たな視角--大中華圏の政治化 ~能力のレッスン第127回~」(「世界」2012年11月号)に拠る。
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【原発】金曜デモの変化・主張の多様化 ~ふくしま集団疎開裁判~

2012年10月11日 | 震災・原発事故
 (1)脱原発というシングル・イシューが説得力をもつのは、それが日本においてまったく他人事ではなく、「私たちは“99%”だ」という思いを共有できるからだ。
 最近、国会周辺に人々が拡散した結果、首都官邸前の集会のような求心力は低下した。しかし、その分、掲げるテーマが多様化し、集会参加者に流動性が加わり始めた。
 あちこちの官庁前で小さな渦のような集会が持たれるようになった。ドラム隊が順ぐりに訪問し、「再稼働反対!」「子どもを守れ!」のシュプレヒコールに強烈なリズムを与え、景気づけしていく。小さな渦と、それを加速しながらつなぐ新しいデモのスタイルだ。

 (2)散在する渦がよりどころにする台風の目のような場所がある。1年前から福島の女性たちが座り込みを続けている経産省前のテント村だ。
 9月11日、座り込み1周年の日、テント村に集まってきた人々が「かんしょ踊り」(「会津磐梯山」の原型)の講習会を始めた。「かんしょ」は「一心不乱」の意(会津方言)。苛斂誅求に抗議する農民の情念がこもっている、とされる。正規の盆踊りから排除され、占領期のGHQにも禁止された。それが、思わぬ復活を遂げ、いまでは「ドラム隊」と並んで国会周辺のスタンダードになりつつある。にわか仕立ての「かんしょ踊り」の一群が、経産省の周囲を練り歩いた。

 (3)テント村の筋向かいの文部科学省前では、「ふくしま集団疎開裁判」【注】の抗議集会。ここでも「かんしょ踊り」が恒常化している。 
 教育を受けるに安全な場所とは、日本の場合、法定で年間1mSv以下だが、郡山市にはそれをはるかに超える地区が多く存在する。しかし、福島地裁郡山支部は、債務者である郡山市が進めている除染活動やモニタリングの結果から切迫した危険性はないとして、原告の申し立てを退けた。その理由とされたのは、この裁判の原告による集団疎開の要求が認められれば、同様の教育環境にいる他の生徒たちにも適用されねばならず、そのためには原告・被告ともに被る負担を比較考量せざるをえないとし、郡山市が警戒区域でも計画的避難区域でもないことから、個人の自己決定に委ねるしかない、というものだった。
 この裁判について、マスメディアはほとんど取り上げてこなかった。
 しかし、毎週金曜日に文科省前で行われるアピールからさまざまな情報を得ることができる。
 <例>昨年12月、国連総会で、「子どもの権利条約」に「個人通報制度」が創設された(それぞれの国で救済手段を閉ざされた場合には、子ども自身がジュネーブの国連人権高等弁務官事務所に国への不満を申し立てられる)。これを日本はまだ批准していない。・・・・マスメディアがこれを報じた例はほとんどない。
 今秋、ジュネーブ人権理事会の調査団が福島を訪れ、子どもの置かれている状況をヒアリングする。・・・・この情報もあまり知られていない。

 (4)経産省の裏では、レゲエやラップで火炎瓶テツさんがTPPに抗議する。「TPPとACTA(偽造品の取引の防止に関する協定)が脱原発の妨げになっている」という主張だ。脱原発をグローバルな視野で論じようとしているのだ。
  (a)TPPは、国際企業のルールがどこかの国の国内法に優先する。国際的商取引の枠組みのなかに原子力産業があるかぎり、脱原発は無理だ。
  (b)ACTAは、情報の引用や拡散が規制できる。マスコミは情報の隠蔽に加担する。その隙間をぬって集めたインターネット情報でこうして集まることが困難になる・・・・。

 (5)この外にも、オスプレイの普天間配備に反対するグループ、「生活保護、恥じゃない」と叫ぶ受給者のデモも行われている。

 (6)マスメディアは、子ども裁判の存在、脱原発と国際社会の関係をほとんど報じない。「デモをしない社会」から「デモをする社会」に変貌しつつある現実を見ようとしていない。
 渦巻く不信や怒りが、これ以上無視され、見て見ぬふりの政治が行われれば、「今すぐデモクラシーを!」が次のシングル・イシューになるかもしれない。

 【注】「【原発】ふくしま集団疎開裁判 ~ネットの「世界市民法廷」~

 以上、神保太郎「メディア批評第59回」(「世界」2012年11月号)の「(1)“デモのある社会”のメディア」に拠る。
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【原発】政府の「言葉のずらし」に目をつぶるマスメディア ~金曜デモ~

2012年10月10日 | 震災・原発事故
 (1)金曜デモでは、人々の最先端の声をライブで聞く機会に恵まれる。
 今年3月頃、原発が定期検査に入ったため「原発ゼロ」がリアルになった。・・・・シュプレヒコールの主流は、「電気は足りている」「原発いらない」だった。
 6月、政府が「夏の電力不足」と「日本の先行き不安」を言い募り、大飯原発3、4号機の再稼働を強行した。・・・・デモは、「再稼働反対」「原発とめろ」にヒートアップした。
 この頃、OurPlanet-TVが国会記者会館の屋上から大群衆を撮影したい、と記者クラブに申し入れたが認められず、国および国会記者会を相手に使用を求める仮処分申し立てを行った【注】。記者クラブは、既得権をフリージャーナリストと分有することを拒否したのみならず、建物の管理者(衆議院)にこの件でお伺いを立てた。
 8月中旬、原子力規制委員会の人事が発表された。・・・・デモ隊は、委員長が原子力ムラと深い関係にあったことを理由に、「人事案撤回」を叫んだ。
 9月、福島県「県民健康管理調査」検討委員会(委員長:山下俊一・福島県立医大副学長)の報告から、福島県内の子どもの40%以上の甲状腺に「のう胞」があることがわかった。・・・・「子どもを救え」「人体実験やめろ」「山下やめろ」に主張が変わった。

 (2)金曜デモは、自分たちがハンドリングできるネット・ツールを駆使して、場を生き生きと維持する。世界でもっとも先鋭的なメディア情報空間を享受している。毎週のように金曜日夕方に出現する。毎週のように抗議しなければならないイシューが再生産されているからだ。

 (3)もったいないことに、マスメディアは見ザル、言わザル、聞かザルの三猿的無関心を決め込んでいる。
 6月末、官邸前の集会が歩道から車道に溢れ出たのを機に、翌週から警察が厳重な規制を始めると、テレビ局は何を期待したか、こぞって中継クルーを送り込んだ。が、何事も起こらないとわかると、たちまち姿を消した。テレビ局は、直接人々の中に分け入り、出来事の背景を読み、それを切り取った「事実」として人々に還元する、というジャーナリズムの基本を忘れている。

 (4)現政権と官僚は、「脱原発」という言葉を「脱・脱原発」という内実にすり替えようと腐心している。
 8月中旬、「2030年」のエネルギー政策を決めるために通常の世論調査に「討論型世論調査」を取り入れた意見聴取会が行われた。「2030年までに原発ゼロ」の意見が最多を占めた。脱原発への動きが加速された。
 すると、政府による「言葉のずらし」が始まった。
 (a)9月14日、政府のエネルギー・環境会議は、「2030年」ではなく、「2030年代」に原発ゼロとする新戦略を決定した。つまり「2039年」までに。あまりにもトリッキーな「すりかえ」だが、さしたる説明もない。
 (b)原発の稼働制限を原則40年とし、安全が確認されれば「重要電源」として再稼働を認める、という。いま2000年代に運転を開始した原発が5基ある。これらは2039年を超えても稼働する。すでに建設認可が下りているものが完成すると、2030年代末の原発ゼロはおぼつかない。結局、政府は「言葉のずらし」によって、「2030年に原発15%」と同等の内容を掠め取ったのだ。
 (c)その上、核燃料を再処理するシステムには手をつけない。脱原発と背離した決定だ。

 (5)マスメディアは、(4)の「言葉のずらし」を見逃している。
 マニフェスト破棄と世論無視の「言葉のずらし」を、ほとんどのマスメディアが批判しなかった。
 ただし、東京新聞名古屋本社の論説主幹は、9月15日の一面で、今回の政府案を徹底的に批判した。「福島の母親らをさきがけに、国民は真剣に考え、自治体は不安の声を上げ、デモは拡大した」、倫理的判断が政権の決定より重い、金曜デモは政治の倫理に対する異議申し立てだ・・・・。

 【注】「【原発】OurPlanet-TV、国および国会記者会を提訴

 以上、神保太郎「メディア批評第59回」(「世界」2012年11月号)の「(1)“デモのある社会”のメディア」に拠る。
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【IT】メールでしか苦情を受け付けないネット企業の無責任体質

2012年10月09日 | 社会
 (1)ネット企業(<例>ヤフー、楽天)は顧客の苦情をメールでしか受け付けていない。ために、数多くの顧客がトラブルへの対処で悩まされている。

 <例>K氏の場合
 ヤフーが運営する出会い系有料サービス「ヤフー!パートナー」を短期間利用し、その後放置した。
 1年以上経て、たまたまクレジットカード利用明細に詳しく目をとおしたところ、最初に利用した直後から、同様な請求が毎月4件も行われていた。それぞれ定期的に更新され、4件分の料金(プレミアム会員の会費346円の4倍)が引き落とされていた。
 K氏は、メールでヤフーに事情の説明を求めた。返信には、複数のIDがある可能性を示唆するだけで、なぜそうなったかの説明はなかった。
 K氏は、自分が認識しているIDについてはサービスの利用停止の手続きをし、引き続きメールでやり取りを続けた。しかし、返信は自動応答もあり、担当者の署名入りの回答もその内容は不十分で埒があかなかった。
 K氏は、ヤフー本社(東京・六本木)に乗り込んだ。ところが、苦情や相談は「こちらでは受け付けていません」と門前払いを食った。
 K氏は、地元の消費者相談窓口や警察にも相談した。最後には、ヤフー社長の自宅を調べて抗議の手紙を送った。が、問題は解決しなかった。
 ・・・・K氏が自覚のあるIDでの利用停止した後、請求が3件に減り、その翌月、請求が1件に減り、翌々月にはすべての請求がなくなった。しかし、ヤフーからは一切説明はなかった。
 K氏は、認識のない利用料80,000円の返還を求める内容証明郵便を送った。しかし、ナシのツブテだった。 
 怒り心頭に発したK氏は、自分で少額請求訴訟を起こすべく本人訴訟の手続きを勉強中である。

 (2)たとえK氏が訴えても、ヤフーの側になぜそうなったかを説明する法的義務はない。ただ、説明や反論をしなければ、ヤフーが敗訴するだけだ。反対に、ヤフーがとりあえずの説明などをして、K氏にパソコン管理の問題点がある可能性(第三者が秘かに利用、PCがウィルスなどに感染して他人が悪用)などを指摘した場合、話は水掛け論になり、どこかで和解することになろう。【ネット業界に詳しい弁護士】

 (3)ヤフーには同様なトラブルで非を認めた「前科」がある。
 (a)2005年、ヤフーは顧客から長期間、当人が認識していないIDでの料金徴収を続け、説明を求められても不誠実な対応を続けた。だが、最終的に別人の料金を誤って請求していたことが判明。ヤフーは謝罪し、返金した。
 (b)2008年、多数の会員のIDが不当に乗っ取られ、オークションに偽のブランド品などが多数出品される「事件」が起こった。結局、中国などからヤフーに不正なアクセスがあり、流出したと目されるパスワードなどがランダムに打ち込まれ、ヒットした会員のIDが不正に利用されていたことが判明。ヤフーは、被害者から徴収したオークション利用料などを返還した。ただし、被害が5,000件を超える段階まで自ら公表せず、身に覚えのない請求に係る問合せに不誠実な対応を繰り返した。
 (c)その後、ヤフーはオークションでのトラブル増加に伴い、さまざまなトラブルの損害を補償する「有料の補償サービス」を始めた。ところが、問題の原因は根絶しなかった。のみならず、逆に、補償の適用範囲をめぐって新たに顧客とトラブルを起こし、国民生活センターなどから補償内容をより分かりやすく告知するよう要請された。

 (4)顧客からメールでしか苦情などを受け付けず、「対応に誠意がない」と思われているネット企業は、ヤフーに限らない。楽天しかり。SNSやネットゲームの大手などでも、代表電話番号を公表していないとか、公表していてもホームページの分かりにくい場所に記載しているところもある。
 電話番号案内にも登録されていない企業の代表番号を知るには、有価証券報告書を入手する、といったような手間がかかる。そこまでして電話しても、「こちらでは苦情や相談を受け付けていません。メールでお願いします」と追い払われるのが関の山だ。
 かくて、多くのユーザーが地元の消費生活センターに駆け込む仕儀となる。

 (5)国や自治体の消費者相談窓口は、さすがにヤフーなどとも直接連絡がつくため、相談内容によっては問題が解決するケースもある。
 消費者相談窓口は、基本的に個別の相談内容や企業名などを外部に漏らすことはできない。だから、企業側も安心して交渉できるのだ。その反面、多数の健康被害が出るような大問題となったり、明らかな詐欺で警察が摘発しない限り、具体的な企業名やトラブルの実態は表面化しにくい。

 (6)国や自治体からヤフーや楽天などに自分たちでコールセンターを設置するよう要請しているが、彼らは作ろうとしない。ネット企業は、自前のコールセンターを作らないで、その代わりに公的機関が彼らの顧客の苦情を直接受けて、問題解決の仲介や代行を行っている。つまり、企業のコスト削減に、税金が流用されている。
 (a)国民生活センターのネットオークションに係る相談は、年間7,364件だ(2011年)。オークションでヤフーのシェアは8割前後、楽天も大手だ。苦情のシェアもヤフーが8割と見れば、5,892件だ。
 (b)同様に、ネット通販に係る相談は170,000件以上だ(2011年)。ネット通販は楽天が最大手で、ヤフーも大手だ。この2社だけでシェアが5割前後だ。苦情のシェアも2社が5割と見れば、2社への苦情が85,000件あることになる。
 (c)ネットオークションとネット通販だけで年間190,000件に近い相談や苦情があるわけだ。その対応コストは多額だ。さらに近年、ゲームやSNSなどでも苦情が増加している。公的機関の仕事は増え、ネット企業のために税金が費消されていく。 

 以上、杉原章一(ジャーナリスト)「このままでいいのか メールでしか苦情を受け付けないネット企業の無責任体質」(「週刊金曜日」2012年10月5日号)に拠る。
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【原発】「超高濃度汚染米」の発見 ~現行検査体制の落とし穴~

2012年10月08日 | 震災・原発事故
 (1)福島県いわき市志田名地区は、福島第一原発から30kmほど離れ、避難区域とはされなかったが、住民による自発的な放射線測定で高い空間線量が測定され、チョエルノブイリの「避難対象地域」に匹敵する土壌汚染も見つかった(ホットスポット)。

 (2)この志田名地区で、「超高濃度汚染米」が見つかった。
 昨年、試験的に採取された米からは、357Bqが測定された。厚生労働省の定める規制値100Bq/kgの3.6倍だ。
 より精密に汚染を調べると、驚くべし、18gのサンプル米がもつ汚染のうち、半分近くの汚染が0.02gの米ひと粒に集中していることが明らかになった。この米ひと粒の汚染度を1kg当たりに換算すると、140,000Bqになる。【高辻俊宏・長崎大学准教授】

 (3)(2)は、放射能汚染が均等に広がるのではなく、ひと粒ないし田んぼの中の1本の稲穂など、極端に偏った状態で進む可能性を示す。 
 そうした米粒だけを弾くことは、現在の検査体制では不可能だ。
 高濃度汚染米を取り除こうとするなら、米ひと粒ずつチェックしなければならない。しかし、現実的に難しい。個人が、5kg、10kgの米を買い、その中のひと粒だけ弾いて食べないようにすることもできない。「貧乏くじ」(高濃度汚染米を食べてしまう)可能性がある。【高辻准教授】

 (4)各自治体は、汚染米を市場に出さないために検査を行っている。
 二本松市では、国が今年10月1日から施行した100Bq/kg(9月末までは500Bq/kg)を先取りして、8月の早場米からすべての米を袋単位で検査している(全袋検査)。検査に用いられる測定器は、島津製作所の高性能機器だ。
 しかし、高性能機器とはいえ、高濃度のひと粒を選り分けることはできない。しかも現行システムには落とし穴もある。
 1kg当たりの検出限界がある。<例>それが5Bqならそれ以下の数値は検出されない。その場合、(2)の2.9bqの米粒は見逃される。仮に10kgずつ検査したら、全部で最大50Bqが見逃されてしまう。現在の検査で測っているのは、あくまで米袋全体での放射性物質の汚染度なので、消費者はそこに混在する高濃度汚染米を食べてしまうかもしれない。【高辻准教授】
 現在の検査装置の測定精度は、各社共通の検査が確立されていないため、信頼性は不十分だ。放射能に汚染された食品が、いつ私たちの食卓に上がるか、わからない時代を迎えた。【木村真三・獨協大学准教授】

 (5)なぜ汚染がひと粒に集中したのか、そのメカニズムは分かっていない。その可能性は、
 (a)稲穂の中でひと粒にセシウムが集中した。・・・・可能性は低い。【根本圭介・東京大学教授】
 (b)田んぼの中で一つの稲だけに集中した。・・・・あり得る。【根本圭介・東京大学教授】
 (c)外部から飛来してきた放射性物質が稲に吸着した。・・・・あり得る。【高辻准教授】

 (6)内部被曝をどうしたら避けられるか。
 現行の全袋検査を全粒検査に変えるのは困難だろうが、いま以上に細かい単位で米の検査ができれば、内部被曝の確率は下げることができる。ロシアンルーレットの確率を、6発に1発ではなく、1,000発、10,000発に1発にすることはできるはずだ。【高辻准教授】

 以上、記事「福島県産の「新米」から放射性セシウム」(「週刊現代」2012年10月13日号)に拠る。

 【参考】
【震災】原発>食卓の放射能汚染、2012
【震災】原発>「穴」の多いコメ検査体制 ~基準越えセシウムが検出~
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【震災】「一つになろう」の偽善 ~復興のための財源探し~

2012年10月07日 | 震災・原発事故
 (1)敗戦後この方、日本人はさながら南の島の楽園に住んでいるかのような錯覚に陥っていた。普通に勉強して普通に就職すれば、とにかくご飯が食べていけた。それはすばらしいことだったが、リスクというものを忘れてしまった。平和な空間の中でわれわれは政治をなくし、制度をなくし、そしてモラルをなくした。
 その結果が3・11後の政治の停滞だ。復興事業もろくに行わず、TPPだの増税だのと騒いでばかりいる。挙げ句の果てには、橋下徹なる人物を祭り上げてメディア総出で政治ショーを楽しんでいる。みんな、自分たちが南の島のパラダイスにいると思い込んでいる。

 (2)現実は、グローバル資本主義の暴走によって、どんどん世界大恐慌のリスクが迫り来ている。東日本大震災が首都直下地震と西日本大震災の予兆であることは、科学的にほぼ明々白々な状況にある。かつ、中国が空母をもつような状況で国防を怠っていると、ますます危機が深まっていく。
 一寸先にまで「死」の危機が近づいているのが実態なのに、それが見えていない。平和主義の虚構が脳髄の奥の奥まで浸透してしまったからだ。

 (3)さらに、平和ぼけ空間の中で何もかも失った果てに、日本人同士の同胞意識、ナショナリズムという精神の制度もなくしてしまった。歴史や文化、風習を共有する「日本人」ではなく、遺伝子が日本民族であるにすぎない片仮名の「ニホンジン」になってしまった。よって、東北の人に対する同胞意識も溶解してしまった。
 多くの日本人が今回の震災を「食う」ことができなかったのは、これがわが同胞に降りかかった天災なのだ、という感覚が薄かったからだ。さながら遠い場所の赤の他人がかわいそうな状況に遭遇してしまった、という程度の認識しかなかったのではないか。
 危機意識も同胞意識もなくしたニホンジンたちは、せっかくそこにある災難を食うことができない虚弱体質になってしまった。

 (4)全体としては(3)のような事態ではあっても、表層の流れはそうであっても、若松英輔の死者論のように日本民族を一つの塊と見ると、深層の流れにおいては震災を「食う」という事態が潜在的に生じていたのではないか。被災者の佇まいに、そうした潮の流れを見いだすことができた。
 ただし、あくまでも被災者の佇まいの中に見いだしたに過ぎず、非被災地の人々の言動からは、軽薄な偽善的な匂い以外を感じ取ることは困難だった。

 (5)「助けなきゃ。一つになろう」が偽善でないならば、行動で示さなくてはならない。しかし、実際に起きているのは、その逆だ。
 その典型例は、こうだ。3月に600年に一度の大震災が起きて、全力で対応しなければならないのに、この国は6月に財源の話をし始めた。これは、「自分の親や子が死にかかっていて、お金を出して治療すれば助かるという時に、お金がもったいないから見捨てる」という話に近い。
 国レベルでいえば、戦争が起きたら、どの国も戦時国債を発行して必死に防衛する。財源がない、といって軍艦を造らなければ占領されてしまう。だから、とりあえず借金をして、軍艦を造って、戦争が終わったら返していく。これが常識だ。
 今回の震災の場合、外国から借金してでも、まずは救済、復興をしなければいけない。しかも日本は、外国から借金する必要はない。むしろ、世界で最も外国にお金を貸している国だ。
 その日本が6月には財源の議論を始めた。財源の制約があるから、お金を出せないと政治家たちが言い出した。なのに、それを誰もおかしいとは言わない。マスメディアも財源の議論をむしろ積極的に捉えている節がある。だから、「一つ」にはなっていない。

 (6)「一つになろう」は、たしかに建前だ。建前であってもよい。それは仕方ない。だが、本当に建前だけで済ませてしまっている。しかも、建前を過剰にしてみせれば、本音は出さなくてもいいように思われている。全く最低だ。
 「一つになろう」というようなきれい事はあまり言わないけれども、見捨ててもおけないので、やるべきことをきちんとやる。そういう人々は、マスメディアでは注目されていないが、確かにいる。
 しかし、マスメディアに出てくる光景は、きれい事を過剰に言っておけば、本音では利己的でも、誰からも非難されない。「私たちは、こんなに被災者思いのいい人だね」とお互いで言い合っているだけだが。

 以上、藤井聡/中野剛志『日本破滅論』(文春新書、2012)の第1章「大震災を食う--危機論」に拠る。

 【参考】
【震災】によって日本人は変ったか ~震災を食う~
【震災】避難が残す割り切れないもの ~津波てんでんこ~
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【震災】避難が残す割り切れないもの ~津波てんでんこ~

2012年10月06日 | 震災・原発事故
 (a)一番シンプルな解釈・・・・てんでんこを教え込んでおくことが、個々人の生存可能性を上げる。そのための言説だ。
 (b)てんでんこは自分一人で逃げるわけだから、一見利己主義のように見える。しかし、逃げおおせた後はどこかで会うと決めているのだから、実は家族や共同体の人々同士の信頼が濃厚にあって初めて成立している。
 (c)もっと嫌らしい解釈・・・・てんでんこの話は、結局、津波でたくさんの人が死んだ中で、生き残った者たちが後世に伝えたものだ。彼らには、自分だけが生き残ったことに対する非常につらい罪の意識がある。それを払拭するために、「このような言い伝えがあったのだから仕方なかった」という言い訳を許すものとして残っている。

 (2)3・11で全員が津波から避難しとおせた学校がある。そこで防災訓練を施していたのが、片田敏孝・群馬大学教授だ。彼も、中学生にてんでんこと同じことを徹底的に教えた。その結果、津波が近づいた時、校庭で遊んでいた中学生が一斉に高台に走り出した。隣の小学校では3階に避難していたが、中学生が走っているのを見て、一斉に1階に下りて逃げた。そのため、全員が無事だった。
 片田教授も、(1)-(b)と同じことを書いている。中学生には、こう教えた。親は子が心配なので迎えに来るだろう。すると、一緒に津波に呑まれる。したがって、家に帰ったら言いなさい、「お母さんたちは自分のことだけを考えて逃げてね。僕もそうするから信じてね」と。つまり、罪の意識を持つ必要はない、結果としてみんなが生き残るから正しいことなんだ、と。 

 (3)話はそこで尽きない。お互いに逃げることを了解するのはいいが、では寝たきりのお爺ちゃん、お婆ちゃんはどうすか。はっきり言って、見捨てるわけだ。
 消防団員や、津波からの避難を呼びかけ続けた町職員は死んだ。彼らがてんでんこをしなかったのは、美しい自己犠牲だ。しかし、もう一方では、確かにてんでんこが正しくて、美談を追及していると町が全滅してしまう、というのも冷厳たる事実だ。互助精神を発揮していると、逆説的なことに、共同体が死滅してしまう。
 よって、てんでんこは、恐るべきことに、「走って逃げられない弱い人間は犠牲になっても仕方ない。村の共同体や一族が生き残るためだから」という厳しい現実を意味している。平時においては助け合いの精神が重要だとしても、津波のような限界状況は平時の倫理をぶっ飛ばす。「集団のために個人が犠牲になってはいけない」といった戦後日本の教えをもぶっ飛ばす。 
 限界状況においては、人間が結局生命体であることが剥き出しになる。敢えて言えば、人間の野蛮な世界が展開されてしまう。
 深沢七郎『楢山節考』も、恐ろしい原初的な因習を残しているものとして解釈できるが、単純なヒューマニズムでは割り切れない。
 てんでんこは、ある意味、制度というものの本質を明らかにしている。個人の道徳のレベルで合理的に考えていても問題が解決できないから、てんでんこという風習としての制度に従う。このことは震災が見せたものの中でもかなり重いもので、きれい事ですませてはいけない。
 戦後の日本人が考えないで済ませてきたことだ。

 (4)てんでんこは、さらに言えば、種の保存といった単純な話でもない。
 確かに、家族の間にある種の信頼関係がないと、てんでんこはできない。しかし、「みんなが逃げてくれることを信じよう」という信頼ではないのではないか。そうではなく、「私だけが生き残っても、誰も私を非難しないだろう」という信頼ではないか。生き残ってくれたことを喜んでくれるだろう・・・・。
 その意味で、剥き出しの生身の生存競争という説はとれない。やはり、てんでんこは、すごく人間的なことなのだ。「死んでも見捨てられたといって恨まない。だから、自分も逃げるけれども、みんなも逃げてくれ。お互い恨みっこはしないでおこう」
 そのような信頼関係で家族はつながっている。そのことをてんでんこは教えているのではないか。それを象徴するように、てんでんこをして最後に家族が落ち合う場所として約束されているのが、一族の墓の前なのだ。

 (5)先祖の墓の前に集まる理由は、
  (a)みんなの知っている場所だ。
  (b)寺社仏閣と同じく高台にあって、津波に流されない安全な場所だ。
  (c)それだけなら、高台の他の場所でもいいのだが、シンボリックな深い意味がある。墓は死んだ人からまだ生まれていない人までを含む、一族の共同体の血統を思い出す場所だ。そこに生き残った者が集まって確認するのは、あらゆる犠牲を払ってでも○○家の一族を残す、ということだ。墓は、戦後日本が忌み嫌った古い家制度を伝えている。
  (d)墓には当然、宗教色がある。生き残った者には、親兄弟を見捨てて走ってきた罪の意識、仏教でいえば業の意識がある。災害を食って生きる、という言い方を借りれば、人の目を背けさせるような、どうしようもなく汚いものを食って生きてきたのだ。そのことを墓の前で確認するのではないか。
 こう考えると、自分が逃げたことに対する言い訳としててんでんこが利用されている、という解釈も採れない。その解釈は、近代的な意味でシニカルな感じがする。
 結局、災害は、宗教あるいは聖的なもの、世俗の世界を超えたものと、どうしても絡まざるを得ない。災害によって、人間は業の深い俗世を生きていることを確認せざるを得なくなる。

 (6)災害と祭りは結びついていた。祭りは政治の原型だ。政治と宗教的なものとは分離できない。・・・・てんでんこ一つをとっても、こうしたことを考えさせられる。
 ところが、日本人は、宗教について極力考えないようにしている。政治と宗教を切り離すべきだ、と言っている。しかし、政治と宗教とは、どうしても分離できない。

 以上、藤井聡/中野剛志『日本破滅論』(文春新書、2012)の第1章「大震災を食う--危機論」に拠る。

 【参考】
【震災】によって日本人は変ったか ~震災を食う~
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【震災】によって日本人は変ったか ~震災を食う~

2012年10月05日 | 震災・原発事故
 (1)日本は、もともと大規模な地震が非常に多い国だった。ところが、終戦直後の昭和南海地震を最後に、阪神淡路大震災までの50年間は、日本列島の歴史でも地震が少ない時期だった。その間に、奇跡の経済成長を遂げ、日本は経済大国になった。
 1991年にバブル景気が崩壊し、「失われた20年」が始まった。1995年の段階でも本格的な景気回復はなかった。そこに阪神淡路大震災が起きた。その後、橋本龍太郎内閣が誕生し、1997年に消費税の税率を上げ、1998年からデフレに突入した。
 地震が活動期に入った途端、経済成長が吹き飛んだ。1995年より今のほうが名目GDPが低い。

 (2)戦後、例外的に大地震のない50年間、はからずも冷戦構造の中で核の傘に守られ、近隣諸国との安全保障上の問題を主体的に考える必要がなかった。しかも、右肩上がりの経済成長の恩恵をぬくぬくと享受できた。平和な時代だった。その中で、日本人は「死」をまじめに取り合わなかった。カタストロフィについても考えず、日常生活の中のリスクすらそれほど考えずに生きてきた。その時代が、阪神淡路大震災前後にガタガタッと終わった。
 時代の流れは1995年に変わったが、その後の15年間、さながら何も変わっていないかのように生き続けている日本人が大量にいた。
 そのまっただ中で、再び大震災が日本列島を襲った。
 この震災は、「危機の中で生きている」ことを思い起こさせる。

 (3)3・11後、山ほど言説があるが、実際どう変わったのかに関する言説は少ない。しかし、例外はある。
 これから語るべきは死ではなく、死者論だ。たくさんの死を目の前にした時、われわれは死者についてどう考えるべきか。日本人は死者をどう扱ってきたのか。【若松英輔『魂にふれる 大震災と、生きている死者』】

 (4)われわれ人類は、過去、本当にたくさんの災難に苛まれてきた。振り返ると、人類が進化してきたのは、肉や魚や野菜を食って成長してきたのと同じように、災難というものを食ってきたからだろう。とすると、もし人間に災難があまり降りかからなければ、人々は飢餓状態になるだろう。つまり、われわれの社会の調子が狂ってしまい、活力や元気をなくし、おかしくなってしまうのではないか。災難こそ、日本人を日本人たらしめた・・・・。【寺田寅彦「災難雑考」】
 寺田寅彦は、関東大震災後にこう感じた。村上春樹は、阪神淡路大震災後に、1995年を境に日本の時代が変わった、という。

 (5)しかし、日本人の大多数は、寺田寅彦のいわゆる「食う」ことをしなかった。なぜか。
 最終的に人間は、本来的な人間と非本来的な人間の2種類に分かれる。そのあり方を時間制について言えば、本来的時間性と非本来的時間性だ。本来的時間性に生きる人間とは、死を十二分に理解している人、死に対して先駆的に覚悟する人だ。自分が死ぬことを当たり前のように認識している人だ。他方、非本来的な人間は、死を予期できない。自分が死ぬと理屈では分かっていても、肝では分からない人は、非本来的時間のうちに生きている。人間の道徳的な退廃は、自らの死を認識することができないことに起因する。この現実の中で、この大地の上でしっかり生きていこうという覚悟は、自らの死の認識から芽生えてくる。自分が死ぬとわかっているからこそ、今のこの時間を一生懸命に生きることができる。逆に、死を考えていないと、昨日のことが今日も続き、今日のことが明日も続く、というように無限にのんべんだらりと生きる人間になってしまう。【ハイデガー『存在と時間』】
 寺田寅彦のいわゆる「災難を食う」とは、ハイデガー流に言えば、死をありありと改めて理解する、ということだ。非本来的に生きがちな人間が、再び本来的時間性のうちに生きる契機を得る。それが「災難を食う」ということだ。
 ところが、あの巨大な大震災といえども、日本員に災難を食わせるには至らなかった。非本来的時間性のうちにあって、平和という共同幻想を抱いて生きている日本人には効果がなかった。
 実際、震災の前後で、結局何も変わっていない。いつもの日常生活が繰り返されるのが実態だ。

 (6)政治と災害は、けっこう奥深いところでつながっている。
 岸和田のだんじり祭は、まさに避難訓練だ。町中を走り回ることで、どこからどう逃げればいいかを知悉する。しかも勢いよく走るので、道路などをある程度大きくしておかねばならない。そういう意味で防災と関係している。
 室根神社(岩手県南部、室根山)では3年に1回、陸奥室根の荒祭りをやる。神輿が山の高台まで先陣争いをする。そこに一つの掟があって、海の方角を絶対に振り返ってはいけない。これは津波からの避難訓練だ。
 ネパールのある祭りも、災害対策、防災訓練のシンボリックなものだ。シンボリックなものや儀式的なものの操作を研究する社会人類学の手法で解き明かすことができる。
 文学や芸術の中にも災害や防災の記憶が残っている。『方丈記』一つをとっても、日本人がいかに災害や死と隣り合わせで生きてきたかがわかる。
 
 (7)政治をマツリゴトというように、政治の原型は祭りだ。
 人間は自分の利益を考えて利己的に動くと協力できない。ところが、協力しないとみんなが損をする。典型例は、囚人のジレンマ。
 数人なら、協力したほうが得だ、と理解できる。しかし、村単位になると難しい。町単位になると、もっと無図kしい。国家単位になると、ほとんど不可能になる。
 では、どうすれば国家や政治が生まれるのか。その由来は祭りだ。みんなが一斉に集まって興奮状態に陥って、神輿を担いで走ったり踊ったりする。それが原型になって、長い年月をかけて政治が生まれ、国家が生まれる。だから、もともと人間の非合理なものが政治の根幹にある。【ホセ・オルテガ】
 災害の時には、人間は協力しないといけない。でも、協力できない。ところが、人間は不思議なことに、祭りという形で協力行動を表現してきた。それは政治の原型でもある。こういう原初的なものを、今回の大震災でわれわれは目の当たりにしたのではないか。

 以上、藤井聡/中野剛志『日本破滅論』(文春新書、2012)の第1章「大震災を食う--危機論」に拠る。
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【原発】脱原発が可能な理由 ~エネルギー需給の観点~

2012年10月04日 | 震災・原発事故
 (1)脱原発は現実的にきわめて困難であり、それを無理に実現すれば日本経済がダメージを受ける・・・・という議論が、福島原発事故以前から、声高に叫ばれてきた。
 しかし、脱原発によってエネルギー供給不足が生じるおそれは、ほとんど無い。原子力発電が日本の一時エネルギーに占める比率は、2000年代後半において10%程度だ。福島原発事故以後はさらに下がったが、それによって日本がエネルギー不足に陥ったわけではない。

 (2)電力に限ってみれば、原発のシェアは2000年代後半において25%~30%程度を推移している。
 福島原発事故によって、東日本の原発の大多数が長期停止状態に陥り、他の地域の原発も安全性に関する信用が崩壊したため、定期検査が済んでも再稼働に陥った。ために、電力需要が上昇する2011年夏において若干の電力不足問題が生じた。しかし、2012年冬には、運転中の原発が50基中わずか3基(2012年1月27日)となったにもかかわらず、電力不足はほとんど生じなかった【注】。
 仮に、今後数年間、日本の原発が停止し続けるとしても、火力発電所を高い設備利用率で運転すれば、電力不足が生じることはない。
 このことは、電気事業者が毎年発表する発電設備データを見ても明らかだ。その中には実質的な休止設備も含まれているが、休止設備についても一定の時間をかけて整備すれば運転再開可能だ。

 (3)火力発電によって代替するには、大きな経済的代償を覚悟しなければならない、当然。
 原子力発電と火力発電のライフサイクル・コストは、ともに順調に運転されるという前提で、大きくみればほぼ同等、というのがエネルギー専門家の共通認識だ。
 しかし、両者のコスト構造は大きく異なる。原子力発電は、火力発電と比べて建設コストと廃止・処分コストが大幅に高いが、運転コストは大幅に安い。ウラン燃料(ウラン資源および加工コスト)は、同等の発熱量の化石燃料のコストの数分の一だからだ。2009年価格の燃料費は、
 (a)原子力発電・・・・100億円。
 (b)石油火力発電・・・・100万kWの定格出力で設備利用率80%で稼働させると年間600億円。
 (c)LNG・・・・400億円。
 (d)石炭・・・・220億円。

 (4)(3)のように燃料費の格差がきわめて大きいので、運転可能な原発を止めて、その代わりに火力発電所を運転すれば、発電コストが大幅に上昇する。
 特に大部分の原発が停止状態となれば、それを補うためには石炭火力やガス火力だけでは足らず、3種類の火力コストが群を抜いて高い石油火力も、大幅に運用せざるを得なくなる。
 電力業界が原発の再稼働を強く希望する背景には、こうしたコスト問題がある。それは絶対的な供給能力の不足問題ではないとしても、長期間にわたってこうした状態が続くことは、経済性の観点からは、たしかに大きな問題だ。

 (5)長期的な視野で見ると、原子力発電の一次エネルギーに占める比率は(1)のとおり10%だ。
 しかし、この数字は、原子力発電の実力を過大評価している。原子力発電は、火力発電と比べて熱効力が低い(30%台前半)。温排水として捨てられる比率が高いため、その分を割り引く必要がある。冷却水が液体の状態で炉心を通過しなければ、原子炉の制御に支障をきたすからだ(水は中性子の減速材の役割を兼ねる)。よって、原子力発電のシェアは、実力的には7~8%程度だ。
 それを十数年またはそれ以上の時間をかけてゼロにまで減らしていくことは容易だ(ただし、電力においては火力発電所をある程度増やす必要がある)。

 (6)人口減少、それに伴う都市の狭い地域への人口集中、脱工業化によるエネルギー多消費産業など製造業の衰退、化石エネルギー価格高騰による消費者の節約、国民の所得低下による消費者の節約・・・・などの要因によって、今後、日本社会ではエネルギー消費の自然減が進むと目される。
 エネルギー効率向上(技術進歩による省エネルギー)や再生可能エネルギー拡大を見込まなくても、自然減だけで脱原発と帳尻が合う。

 (7)脱原発のためには原発を代替するエネルギーが必要だが、火力発電は温室効果ガスの排出量増加をもたらすので好ましくなく、再生可能エネルギーでは力不足だ・・・・というのが、原発推進論者のきまり文句として使われてきた。
 しかし、自然減だけで脱原発分の帳尻が合い、エネルギーの変換・利用効率向上のための努力も加味すれば大量のお釣りが来るのであれば、原発の代替エネルギーを探す必要はない。
 むろん、再生可能エネルギーが爆発的に普及すれば、その分だけ火力発電を削減できる。

 【注】「【原発】電力は本当に足りないか ~再稼働の論理の破綻(2)~

 以上、吉岡斉『脱原子力国家への道』(岩波書店、2012)の第7章「異端から正統へと進化した脱原発論」に拠る。

 【参考】
【原発】『脱原子力国家への道』
【原発】日本政府はなぜ脱原発に舵を切れないか ~日米原子力同盟~
【原発】福島原発事故による被害の概要
【原発】福島原発事故の教訓
【原発】エネルギー一家の家族会議 ~総合資源エネルギー調査会~
【原発】「国家安全保障のための原子力」という公理
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【社会保障】国際福祉機器展H.C.R.2012のロボットたち

2012年10月03日 | 医療・保健・福祉・介護
1 第39回国際福祉機器展 H.C.R.2012
 9月26日(水)から9月28日(金)まで、東京ビッグサイト(東京都江東区有明3-21-1)で開催された。
 メイン会場は、東ホール1~6だ。国際シンポジウムは会議棟6階の会議室、H.C.R.セミナーは会議棟6、7階の会議室で開催された。
 3日間の延べ参加者数は、108,505人【注1】。3年前の107,911人とほとんど変わっていない。ちなみに2008年は120,773人だから、2009年に2割減少し、その減少した数値が固定して今に至っているわけだ。
 出展は、15か国・1地域から548社(国内490社、海外58社)、20,000点。3年前は491社(国内438社、海外53社)だから、こちらは増加している。ただし、2008年は530社(国内479社、海外51社)だったから、ようやくリーマン・ショックより前の数値に戻った、ということかもしれない。

 【注1】以下、「H.C.R.2012会期速報」に拠る。

2 ロボットたち
(1)「シュエッティベア」 (アシストワン)

  

 音声に反応して、体を上下に動かす。人が喋ると、真似をする。「あそぼ」などの発話もある。認知症高齢者にも対応する。
 ネットにはver.2が紹介されているが、H.C.R.で展示されていたのはver.3らしい。単4乾電池3本使用。2,980円。2,980円(会場で購入すれば2,000円)。


(2)「うなずきかぼちゃん」(ピップ)

  

 高齢者向けコミュニケーション型ロボット【注2】。
 昨年11月に発売開始。累計3,300台を発売。3歳の男の子という設定、見た目と反応の可愛らしさが多くの高齢者のハートを掴んだ。
 音声や光、動きなどを感知する5つのセンサーとスイッチが内蔵され、触ったり話しかけたりすることで400のフレーズから言葉を発してコミュニケーションを行う。話しかけると、言葉が途切れたことを認識してから、うなずきながらしゃべり出す。コミュニケーションを深めるほど、発する言葉も増えていく。なでたり、抱き上げたりすると、喜びの反応を見せる。「朝ご飯食べた?」など時間帯の概念を持たせた発話、「おばあちゃん、だっこ」「ねえねえ、一緒に笑おう」など会話やふれあいを促すフレーズ、また季節に応じた歌も歌う。
 時間帯や季節に応じた会話ができることで、独居高齢者の生活リズム安定の支援も期待できる。
 使用者への呼びかけは、「おばあちゃん」「じいじ」など8種類から選択できる。
 ピップと大阪市立大学医学研究科が昨年行った共同研究によれば、独居高齢女性34名を①「うなずきかぼちゃん」使用群、②発話機能を欠く「うなずきかぼちゃん」使用群に分けて2ヶ月使用してもらったところ、①に認知機能の向上、生活意欲の上昇、ストレス軽減などの効果が検証された。
 21,000円。

 【注2】以下、記事「ピップ 会話ロボ「うなずきかぼちゃん」HCRで実演」(2012年9月10日付け「シルバー産業新聞」)に拠る。
 【参考】
第28回 高齢者向けメンタルケアロボ「うなずきかぼちゃん」開発物語(後編)」 
「うなずきかぼちゃん」キャンペーン

(3)生活支援ロボット(HSR:human support robo)(トヨタ自動車)

  

 円筒形の胴体に1本の腕がついた簡素な姿だが、声やタブレット端末での指示で棚や床にある薬やリモコンなどを運ぶ【注3】。
 2006年に開発に着手。肢体不自由者のそばで物を拾うなどの補助をする「介助犬」ならぬ介助ロボットが目標。腕を1本にして、最小の状態で高さ83cm、直径37cm。大きさを抑えたのが特徴だ。背を伸ばせば高さ150cmくらいにある物もとれる。
 通信機能を使って、離れたところにいる家族らが遠隔操作でカーテンを開けることもできる。「頭」の部分にある画面を通じ、テレビ電話のように対話もできる。
 実用化をめざして研究中。

 【注3】以下、記事「介助犬のようなロボ開発 トヨタが生活支援向け」(朝日新聞デジタル記事2012年9月24日12時09分)に拠る。
 【参考】
トヨタ、家庭内での自立支援に向け円筒型の生活支援ロボ開発」(日刊工業新聞社)

【資料】H.C.R.展示品の種類
(1)福祉機器
 (a)移動機器、移動補助製品
   手動車いす、電動車いす、電動三輪・四輪車、自転車、介助車、歩行器・歩行補助車、杖、ストレッチャー等移動器具、移乗補助機器、床走行リフト、固定式・据置式リフト、障害者用自動車運転装置、車いす等用福祉車両、入浴用特殊車両
 (b)ベッド用品
   ベッド、マットレス、床ずれ防止製品、サイドテーブル、介護用シーツ
 (c)入浴用品
   浴槽、入浴用チェア、滑り止め用品、浴槽台、入浴用リフト
 (d)トイレ・おむつ用品
   ポータブルトイレ、便器・便座、防臭剤・消毒剤、おむつ
 (e)日常生活用品
   いす・座位保持/立ち上がり補助用品、テーブル、家具、洗面台、食事用具・食器、キッチン、調理器、高齢者・障害者向け食品、衣類、靴、着脱衣補助具、介護関連用品
 (f)コミュニケーション機器
   補聴器、緊急通報・警報装置、障害者用ワープロ・コンピュータ、点字プリンター、OA入力・操作補助具、障害者用ソフトウェア、拡大読書器、福祉電話、ファクシミリ、携帯会話補助器、視覚障害者用誘導シ
  ステム
 (g)建築・住宅設備
   スロープ、手すり、エレベーター、段差解消機、階段昇降機
 (h)リハビリ機器
   歩行等訓練機器、リハビリ用教材・機器
 (i)義肢・装具
 (j)防災用品

(2)施設用設備・用品
  施設用床材・壁材、洗濯機・乾燥機、消毒機、脱臭器・空気清浄器、介護従事者用衣類

(3)在宅・施設サービス経営情報システム
  在宅・施設福祉サービス事業運営に関する財務・経理等のコンピュータシステムケアプランシステム・介護保険法・障害者自立支援法関連事務のコンピュータシステム

(4)介護予防機器
  筋力トレーニング機器、身体機能訓練機器、口腔ケア用品

(5)出版・福祉機器情報
  福祉・介護・リハビリ・保健関係書籍、情報誌、新聞、放送通信、福祉機器関連 web サイト

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【原発】OurPlanet-TV、国および国会記者会を提訴

2012年10月02日 | 震災・原発事故
 (1)NPO法人OurPlanet-TV(代表理事:白石草)は、今年3月から続く金曜日夜の官邸前の抗議行動を撮影したい、と7月から、国会記者会館の屋上使用許可を求めてきた。
 しかし、計3回断られた。地裁・高裁に仮処分を求めたが、却下された【注】。

 (2)OurPlanet-TVは国会記者会に加盟していない。
 同じ非加盟メディアでも、BBC(英国国営放送)は屋上を使用した事実がある。
 私もかつてテレビメディアとして出入りしたが、今回は「身分が違う」と記者会事務局から言われた。【白石代表理事】

 (3)国会記者会館の使用許可は、「自動販売機」にも下りている。インターネットメディアとフリーランス記者の「身分」は、目下、自動販売機より低い、というわけだ。

 (4)OurPlanet-TVは、9月24日、国会記者会館を使用する国と管理を委託されている国会記者会を相手取って、損害賠償請求に踏み切った。
 国会記者会は、記者クラブに加盟していないことを理由に使用を拒否してきたが、報道機関を差別し、取材・報道の自由を侵害するのは違法だ。国が記者クラブの特権化を助長して競争的な報道をさせないのは、国民の知る権利の侵害だ。【小松圭介・弁護士】
 裁判の中で使用許可を巡る裁量の是非を明らかにしたい。メディア自らが開かれた国会記者会館の運営を行う方向に持っていきたい。【白石代表理事】
 白石代表理事は、9月24日、共同通信社(国会記者会常任幹事社)の「『報道と読者』委員会」(外部識者3人で構成)に対しても、記者会非加盟メディアを排除する運営に係る見解を求める申し入れを行った。

 (5)フリーランス記者が、国会記者会館で白石代表理事を10分間撮影するため屋上使用許可を求めたが、国会記者会は拒否した。

 【注】「【原発】紫陽花革命が大手メディアを揺さぶる ~正しい報道ヘリの会~

 以上、まさのあつこ(ジャーナリスト)「アワプラが国賠訴訟へ ~国会記者会館屋上取材の使用許可を巡り~」(「週刊金曜日」2012年9月28日号)に拠る。

 【参考】
【政治】官僚が政治家をあやつるテクニック ~財務省による民主党支配~
【消費税】新聞が増税一色となる理由2つ ~財務省のマスコミ懐柔策~
【震災】原発>「権力の動き=ニュース」という錯覚 ~大手メディア~
【経済】消費税増税の3つの問題点 ~間違った社会保障・税一体改革~
【震災】原発報道>古賀茂明の、新聞やテレビより週刊誌のほうがマシ
【震災】原発報道>「大本営発表」を超えるには ~朝日新聞の場合~
【震災】原発>大手メディアの隠蔽~日本から避難した各国~
【震災】原発>東京電力の情報隠蔽に加担した記者クラブ
【震災】政治を歪めるメディア ~「第4の権力」~
【読書余滴】官僚のリークによる御用記事 ~記者クラブの弊害~
【震災】原発>原発報道の破綻
【震災】東京電力による情報操作 ~産学官のトライアングル~
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