<すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 --「マタイによる福音書」11章28-30節
イエスは、知恵は賢い者には隠されて、社会から軽く見られ、あるいは無視されている人たちに与えられているという逆説を説いた。これは当時のユダヤ教指導者を念頭に置いた痛烈な批判だ。ここで言う「重荷」とは、生活苦や病気のことではない。ユダヤ教指導者が民衆に課している煩雑で厳格な律法解釈のことである。ちょうど、中学生や高校生に、煩雑で細かい受験勉強を強いているようなものだ。
ただし、ここでイエスは、律法をまったく無視していいとは言っていない。自分のところまできて、知恵に学べとイエスは言っているのである。一風変わったイエスの知恵に学べば、「信じる者は誰でも救われる」式の敷居の低い宗教ではなく、かなり面倒で、逆説ばかりの不思議な知恵を学ぶことを義務づけた。勤勉性が要請される宗教なのである。裏返して言えば、キリスト教と真剣に取り組めば、誰でも勤勉になる。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「重荷を背負うのは」を引用
【参考】
「【佐藤優】苦難と希望」
「【佐藤優】弱さを誇ろう」
「【佐藤優】一粒の麦」
「【佐藤優】平和ではなく剣を」
「【佐藤優】恐れるな」
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
イエスは、知恵は賢い者には隠されて、社会から軽く見られ、あるいは無視されている人たちに与えられているという逆説を説いた。これは当時のユダヤ教指導者を念頭に置いた痛烈な批判だ。ここで言う「重荷」とは、生活苦や病気のことではない。ユダヤ教指導者が民衆に課している煩雑で厳格な律法解釈のことである。ちょうど、中学生や高校生に、煩雑で細かい受験勉強を強いているようなものだ。
ただし、ここでイエスは、律法をまったく無視していいとは言っていない。自分のところまできて、知恵に学べとイエスは言っているのである。一風変わったイエスの知恵に学べば、「信じる者は誰でも救われる」式の敷居の低い宗教ではなく、かなり面倒で、逆説ばかりの不思議な知恵を学ぶことを義務づけた。勤勉性が要請される宗教なのである。裏返して言えば、キリスト教と真剣に取り組めば、誰でも勤勉になる。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「重荷を背負うのは」を引用
【参考】
「【佐藤優】苦難と希望」
「【佐藤優】弱さを誇ろう」
「【佐藤優】一粒の麦」
「【佐藤優】平和ではなく剣を」
「【佐藤優】恐れるな」
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」