語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【詩歌】吉野弘を読む(4) ~耐え続けて、とつぜん、花ひらく~

2015年05月03日 | 詩歌
 事務は 少しの誤りも停滞もなく 塵もたまらず ひそかに進行しつづけた。

 三十年。

 永年勤続表彰式の席上。

 雇主の長々しい賛辞を受けていた 従業員の中の一人が 蒼白な顔で 突然叫んだ。

 --諸君
    魂のはなしをしましょう
    魂のはなしを!
    なんという長い間
    ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう--

 同僚たちの困惑の足下に どっとばかり 彼は倒れた。
つめたい汗をふいて。
 
 発狂。
 花ひらく。

 --又しても 同じ夢。

 *

 <ここで描かれているものは、ごく平凡で律儀なサラリーマンであり、秘められていた人間的なもの、つまり魂のはなしに、疎外されていた自己のありかが単純にかたどられている。そのはなしを従業員として持ちだすことが同時に発狂のしるしであり、しかし、それこそが「花ひらく」生命の美しさであるというスリリングで強迫的な「同じ夢」は、吉野弘における外部の問題と内部の問題の相関を、実に端的に示している>【清岡卓行「吉野弘の詩」(『吉野弘詩集』(思潮社、1968)所収】

□吉野弘「burst 花ひらく」(『消息』(私家版、1957)所収)
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     牡丹
   



【マスコミ】忠犬ハチ公の真実 ~軍国はいかにして情報操作するか~

2015年05月03日 | 社会
 最初に表の話。つまり世間に流通している話。

 戦前に伝えられていた忠犬美談は、1987年に映画「ハチ公物語」となり、大ヒットした。
 美談のストーリーは、こうだ。
 ハチ公は、上野英二郎・東京帝大農学部教授/農学博士の愛犬で、通勤する同教授の送迎に、毎日渋谷駅に来ていた。
 ところが、同教授は1925(大正14)年5月21日、脳出血で急死した。
 それとは知らぬハチ公は、同教授の死後、16時には必ず渋谷駅にあらわれて主人の帰りを待っていた。

 この話は、米国へ渡り、映画化された。
 「HACHI 約束の犬」(2008)がそれだ。ラッセ・ハルストレム監督、リチャード・ギア主演。
 映画はヒットし、「HACHIの銅像」まで建てられた。

 次に裏の話。真実。

 まず呼び名が違う。
 生前の上野教授は、「ハチ」と呼んでいた。
 「公」がついたのは、落語に出てくる「熊公」と同じで、ハチがとても人なつっこい犬だったからだ。
 では、なぜハチ公は渋谷駅にいつも来ていたか。
 ほかでもない、駅員の中に犬好きがいて、年中、腹ぺこでいるハチ公に残飯をやっていたからだ。また、夜になれば、駅前の屋台のおでん屋や焼き鳥屋に来る酔客の犬好きが、焼き鳥などを恵んでくれるからだった。
 要するに、上野教授死後、ハチ公は野良犬となったのだ。
 屋台の焼き鳥屋に来る客の中に、連合通信社会部の細井吉蔵・記者がいた。細井記者は、焼き鳥屋の親父から、足下に来た人なつっこい犬が、かつては高名な大学教授の飼い犬だったことを聞き、ひまダネのタウン・ストーリーとして忠犬話をでっちあげた。

 記事は、1932(昭和7)年10月4日、「連合通信」と契約している新聞紙数紙に掲載された。
 この種の話は、感心しても、すぐ忘れ去られるのが世の常だ。
 ところが、思いがけない反響を呼んだ。情報を巧みに操作したのは、軍国思想教育を煽ろうとしていた軍部だ。
 ハチ公は「恩ヲ忘レルナ」という題で小学校の修身の教科書に載せられた。
 自由気ままに生きる市井の野良公が、あれよあれよ、というまに、渋谷名物の優等生犬に仕立てあげられ、銅像まで建てられたのである。

□沼田陽一『イヌ 無用の雑学知識』(ワニ文庫、1989)
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