筆者はかつて『蒼き狼』について、作者井上靖氏と論争せしが、モンゴル人はなおチンギス・ハンを民族の誇りとしあるも、井上氏発明の「狼」精神により、つまり家畜の敵たる狼の真似して征服欲を充たせるとの説に不満との記事、最近新聞の小欄にて読みしことあり。その民族の誇りを踏みにじって、モンゴルへ「蒼き狼」のロケに行ったテレビ局の無神経度、日中戦争以来、不変の発展途上国蔑視の現れなり。
『蒼き狼』に関する拙文、論争なれば、偏執的直し癖ある小生も、その後いじらず。ところが井上氏はいじる。例えば小生井上氏の「頭を害う山犬」はナンセンスにて、原文は「頭口」つまり家畜のことなりと書きしが、井上氏は翌39年版「新潮文庫」より「頭口を害う山犬」(187頁)と意味不明文に直しあり、拙文は無効になる。ちっとも知らなかったが、これはフェアではないだろう。文庫には60の注をつけながら、この「頭口」なる難字には知らぬ顔をしている。
文庫には解説として35年6月の「別冊文藝春秋」に書いた「『蒼き狼』の周囲-成吉思汗を書く苦心あれこれ」が収録されているだけだが、岩波版「井上靖歴史小説集」第4巻(1981年9月)には、小生との論争文がかかげられている。論争のテキスト三つあるが、井上氏が反論され、私が再反論した。(「成吉思汗の秘密」「群像」昭和36年3月号)。氏はそれに答えられなかった。ところで岩波版には「自作を擁護する」のに都合のいい第二論文だけ載せている。例えば、「大岡氏は『元朝秘史』というものに対して、何か思い違いがあったのではないか、と思う」と誹謗している。つまり史実を記したものと思っている、というのだが、私はすでに第一論文で「古事記と同じ目的で成立した王家の歴史」と相対化しているのである。それは第三論文でも繰り返したことなのに、ぬけぬけと論破されたテキストを収録しているアン・フェアな態度を非難しておく。自分が答えられなかった論争のテキストを、本文の末尾に収録する無神経には呆れるほかはない。これは現在最も新しい版なので特に記しておく。
氏は「元朝秘史」の「あゝ、四頭の狗が行く」を「私の表現として借りて」!!「四頭の狼が行く」とした。私は第三論文「成吉思汗の秘密」でモンゴル人は家畜の敵である狼よりも、家畜を守る狗になりたいだろう、と書いた。氏は実は那珂通世博士の「成吉思汗実録」訳文の古拙さをそのまま写した。これは当今はやりの引用の織物として一応許されるかも知れない。しかし、肝心の「狗」を「狼」にかえてるのはあまりひどいではないか、と私はいったのである。私の真意は借用ではなく、「剽窃」ではないか、というところにあったのだが、当時、私は井上氏をそこまで傷つけるに忍びなかった。(私は論争は好きだが、相手の目玉に指を突っ込むようなことはやらない。お互いに文学という苦しい作業をやっているのだから)。
しかし論点を勝手に書き改めて、私の論争文を無効にされては、やむを得ない。私もこの次からは自分の文章も改めて、当時指摘することをさし控えた他の欠陥も暴き出すつもりである。「頭を害う山犬」を「頭口を害う山犬」に改めることによって、氏が陥った自己矛盾を指摘するつもりである。
*
以上のように大岡昇平は、『成城だよりⅡ』1982年5月14日に書いた。
そして、言葉どおり実行した。同年9月24日刊の『大岡昇平集』第14巻は『蒼き狼』論を含むが、巻末の「作者の言葉」にいわく・・・・
「その次に加筆の多いのは、井上靖『蒼き狼』に関する1961年の二つの論文です。論争文のテクストなので、やたらとテクストを加筆訂正する癖がある私も、翌62年刊の『常識的文学論』以来いじくっていません。ところが井上氏が論争点の一つ『頭を害う山犬』を『頭口を害う山犬』と訂正したので、私の文章は無効になっています。当時言及を控えた二、三の点と共に、大幅に加筆しました」
【参考】大岡昇平『成城だよりⅡ』(『大岡昇平全集』第22巻、筑摩書房、1996)
大岡昇平「作者の言葉」(『大岡昇平集』第14巻、岩波書店、1982)
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『蒼き狼』に関する拙文、論争なれば、偏執的直し癖ある小生も、その後いじらず。ところが井上氏はいじる。例えば小生井上氏の「頭を害う山犬」はナンセンスにて、原文は「頭口」つまり家畜のことなりと書きしが、井上氏は翌39年版「新潮文庫」より「頭口を害う山犬」(187頁)と意味不明文に直しあり、拙文は無効になる。ちっとも知らなかったが、これはフェアではないだろう。文庫には60の注をつけながら、この「頭口」なる難字には知らぬ顔をしている。
文庫には解説として35年6月の「別冊文藝春秋」に書いた「『蒼き狼』の周囲-成吉思汗を書く苦心あれこれ」が収録されているだけだが、岩波版「井上靖歴史小説集」第4巻(1981年9月)には、小生との論争文がかかげられている。論争のテキスト三つあるが、井上氏が反論され、私が再反論した。(「成吉思汗の秘密」「群像」昭和36年3月号)。氏はそれに答えられなかった。ところで岩波版には「自作を擁護する」のに都合のいい第二論文だけ載せている。例えば、「大岡氏は『元朝秘史』というものに対して、何か思い違いがあったのではないか、と思う」と誹謗している。つまり史実を記したものと思っている、というのだが、私はすでに第一論文で「古事記と同じ目的で成立した王家の歴史」と相対化しているのである。それは第三論文でも繰り返したことなのに、ぬけぬけと論破されたテキストを収録しているアン・フェアな態度を非難しておく。自分が答えられなかった論争のテキストを、本文の末尾に収録する無神経には呆れるほかはない。これは現在最も新しい版なので特に記しておく。
氏は「元朝秘史」の「あゝ、四頭の狗が行く」を「私の表現として借りて」!!「四頭の狼が行く」とした。私は第三論文「成吉思汗の秘密」でモンゴル人は家畜の敵である狼よりも、家畜を守る狗になりたいだろう、と書いた。氏は実は那珂通世博士の「成吉思汗実録」訳文の古拙さをそのまま写した。これは当今はやりの引用の織物として一応許されるかも知れない。しかし、肝心の「狗」を「狼」にかえてるのはあまりひどいではないか、と私はいったのである。私の真意は借用ではなく、「剽窃」ではないか、というところにあったのだが、当時、私は井上氏をそこまで傷つけるに忍びなかった。(私は論争は好きだが、相手の目玉に指を突っ込むようなことはやらない。お互いに文学という苦しい作業をやっているのだから)。
しかし論点を勝手に書き改めて、私の論争文を無効にされては、やむを得ない。私もこの次からは自分の文章も改めて、当時指摘することをさし控えた他の欠陥も暴き出すつもりである。「頭を害う山犬」を「頭口を害う山犬」に改めることによって、氏が陥った自己矛盾を指摘するつもりである。
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以上のように大岡昇平は、『成城だよりⅡ』1982年5月14日に書いた。
そして、言葉どおり実行した。同年9月24日刊の『大岡昇平集』第14巻は『蒼き狼』論を含むが、巻末の「作者の言葉」にいわく・・・・
「その次に加筆の多いのは、井上靖『蒼き狼』に関する1961年の二つの論文です。論争文のテクストなので、やたらとテクストを加筆訂正する癖がある私も、翌62年刊の『常識的文学論』以来いじくっていません。ところが井上氏が論争点の一つ『頭を害う山犬』を『頭口を害う山犬』と訂正したので、私の文章は無効になっています。当時言及を控えた二、三の点と共に、大幅に加筆しました」
【参考】大岡昇平『成城だよりⅡ』(『大岡昇平全集』第22巻、筑摩書房、1996)
大岡昇平「作者の言葉」(『大岡昇平集』第14巻、岩波書店、1982)
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