語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】神野直彦の、「強い社会保障」が「強い経済」をつくる

2011年01月18日 | 医療・保健・福祉・介護
(1)「大きな政府」と「小さな政府」
 ただ今、歴史の転換期にある。「大きな政府」論者と「小さな政府」論者がせめぎ合いながら、「危機の時代」が演出されている。
 「大きな政府」と「小さな政府」という区分は、政府機能の大きさをメルクマール(指標)とする。財政規模や租税負担という量的基準には依拠しない。
 「小さな政府」とは、政府が防衛や治安維持など強制力による秩序維持機能しか果たさない政府をいう。
 「大きな政府」とは、強制力による秩序維持機能のみならず、国民の生活保障機能を政府機能と認めた政府である。文化または福祉目的も担う福祉国家である(アドルフ・ワグナー)。
 第二次世界大戦後に先進諸国に定着した「大きな政府」=福祉国家は、市場の外側で現金を給付して国民の生活を保障する「所得再分配国家」だ。その所得再分配は、戦後、重化学工業化に基づく経済成長をも実現した。
 ところが、石油ショック(73年)後、重化学工業化が行きづまり、経済成長が停滞し始めると、新自由主義が「大きな政府」を批判し始めた。もっとも、すべての先進諸国がこぞって「小さな政府」をめざしたわけではない。
 欧州諸国は、福祉国家のメリットを生かしながら、福祉や雇用を重視する新しい状況に対応する欧州社会経済モデルを求めていく。スウェーデンでは、現在保守政権が成立しているが、保守政党でも「福祉国家の再創造」を掲げている。

(2)経済成長と社会保障
 社会保障の大小は、経済成長と無関係だ。「小さな政府」でも、米国は経済成長しているが、日本は停滞している。「大きな政府」でも、スウェーデンは経済成長に成功しているが、ドイツは失敗している。
 「小さな政府」にすると、格差と貧困が溢れ出てしまう。米国にも日本にも格差と貧困が溢れ出ている。
 経済成長を実現しても、格差や貧困が溢れ出てしまえば、「経済発展」をしているとはいえない。しかも、格差や貧困が溢れると、社会に亀裂が走り、犯罪や麻薬などの社会的逸脱行動が蔓延する。そうなると、強制力による秩序維持機能を強化することになり、「小さな政府」であっても、財政支出や租税負担を大きくせざるをえなくなる。
 それどころではない。格差と貧困は、人間の信頼関係を崩す。孤独な不安社会に陥る。ひいては、人間そのものの機能不全、つまり精神的にも肉体的にも健康問題を悪化させる。
 だから、経済成長をめざすにしても、社会保障を強化していくしかない。
 スウェーデンが経済成長し、ドイツが失敗している理由は、産業構造の転換に成功しているか否かによる。重化学工業を基軸とした工業社会から、サービス産業や知識集約産業というソフト産業を基軸とする知識社会に転換できているか否かに起因する。
 ソフト産業に産業構造を転換できた経済が、「強い経済」である。
 産業構造転換のためには、新しい産業創造へと安心してチャレンジする条件として、「強い社会保障」が必要となる。

(3)現金給付からサービス給付へ
 社会保障には、現金給付とサービス給付とがある。
 重化学工業を基盤とした福祉国家では、現金給付が中心となる。重化学工業では、同質の筋肉労働を大量に必要とするため、男性が主として労働市場に進出するからだ。女性は、家庭内で無償労働(アンペイドワーク)でさまざまな家事に従事する。
 ところが、ソフト産業が基調になると、大量に女性が労働市場に転換する。そうなると、女性が無償労働で担ってきた育児や養老というサービスを政府が提供しないと、産業構造の転換が進まない。さらに、格差や貧困が生じる。
 なぜなら、(ア)無償労働に従事しながら労働市場に参加する者と、(イ)無償労働から解放されて労働市場に参加する者とに分断されるからだ。(ア)パートと(イ)フルタイムの労働市場、あるいは(ア)非正規と(イ)正規に二極化されるからだ。
 社会保障は、現金給付からサービス(現物)給付にシフトしなければならない。
 サービス給付は、単なる生活保障の役割を果たすだけではなく、知識社会の労働市場の「参加保障」の役割も担う。
 しかも、サービス給付は、「活動保障」でも要求される。旧来型産業からの失業者を再訓練・再教育することによって、新たな労働市場が必要とする能力を身につけさせる積極的労働市場が必要になるからだ。むろん知識社会では、「誰でもいつでもどこでもただで」参加できるリカーレント(生涯)教育も必要不可欠である。

(4)強い社会保障、強い経済、強い財政
 生活保障を現金給付からサービス給付へとシフトさせ、しかも「参加保障」や「活動保障」と関連づけた「強い社会保障」が「強い経済」の前提条件となる。
 「強い社会保障」を実現するために、「強い財政」が必要となる。「強い社会保障」を支える租税制度の確立だ。
 現在の日本の租税負担率は、国際的にみても最低に近い。22.6%である。デンマークの69%に遠く及ばず、韓国の27.9%にも米国の26.4%にも及ばない。
 ところが、日本の中間層は、デンマークやスウェーデンの中間層以上に、自国の租税負担が高すぎると考えている。公共サービスが生活を支えているという実感が国民に存在しないからだ。
 してみると、「大きな政府」か「小さな政府」の選択ではなく、どのような「大きな政府」を実現するか、という選択肢しかない。それには、社会保障を再創造するヴィジョンを描いて、国民に選択を求める必要がある。
 この歴史的大転換期には、国民が一致協力して奮い立つヴィジョンを描いた改革が必要である。
 
 新自由主義の誤りは明らかだ。「努力する者が報われる競争社会」を築くために、国民に一致協力を求める・・・・この矛盾に気づいていない。競争するために協力など、するはずがない。

【参考】神野直彦「『強い社会保障』が『強い経済』をつくる。その実現のため『強い財政』が必要」(文藝春秋編『日本の論点2011』、文藝春秋、2011)
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