語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】医療費自己負担ゼロの是非(2) ~賛否両論~

2011年01月12日 | 医療・保健・福祉・介護
1 自己負担はゼロにできる:平尾紘一(神奈川県保険医協会理事長、「医療費の窓口負担ゼロの会」発起人)。
(1)医療費自己負担のマイナス面
 保険料に加えて自己負担があると、「受診抑制」が増える。
 厚生労働省の「08年度患者調査」によれば、05年度に比べ、1日当たりの外来患者は22万人、入院患者は7万人減少している。国立社会保障・人口問題研究所の「07年社会保障・人口問題基本調査」によれば、過去1年間に病気がありながら受診できなかった世帯が2%もある。105万世帯、255万人である。神奈川県保険医協会が昨年3月に行った国民意識調査(回答者数1,040人)によれば、過去3年間に金銭的理由による受診抑制をした人が3割近くあり、治療中断が1割近くあった。
 受診抑制は、病気が早期発見されにくくさせる。早期に発見すればかんたんに治る疾患が、重症化する。結果として、医療費が増大する。
 ちなみに、一般的なガンの場合、6割は治るし(肺ガンや膵臓ガンを除く)、早期に発見されたガンは再発率が1%程度だ。

(2)医療費自己負担ゼロのプラス面
 糖尿病や高血圧症も、早期発見によって重症化を防ぐことができる。

(3)医療費自己負担ゼロのマイナス面
 昔は医療機関が利ザヤを稼ぐため、軽い患者に抗生物質を出すこともあり得ただろう。しかし、現在は科学的根拠に基づく診断法EBMが重視されているし、診療報酬請求の審査も厳しくなっている。
 昔は高齢者が受診の必要もないのに医療機関に通って、待合室が「サロン」化したとも言われるが、本当にそんな現象があったのか。患者はできれば医療機関に行きたくないし、来ても早く帰りたい。順番待ちの時間が長いため、サロン化しているように見えただけではないか。
 仮に一部でサロン化が起きたとしても、自己負担があるため受診できない人がいることの重さとは比較にならない。国は国民の健康を守る義務がある。企業も医療を支える責任がある。この当たり前のことを正面から捉えれば、窓口負担をゼロに、最低でも1割以下にする必要性は自明のことだ。

(4)財源
 患者の自己負担(外来3兆円、入院2兆円)は、国庫負担(税金)と社会保険料を引き上げれば十分に確保できる。
 受診抑制が顕著なのは、外来だ。その自己負担3兆円の解消を先行したい。まず、国民健康保険の国庫負担38.5%を以前の45%に戻す。全国国民健康保険協会(協会けんぽ)の国庫負担も13%から法律が許す20%まで引き上げる。これで1兆円が捻出できる。国の財政難は周知のことだが、税制全体を見直すことが必要だ。残り2兆円は、被用者保険の企業の保険料で賄う。被用者保険の給付費は8兆円で、企業と従業員が折半している。このうち企業負担のみを6兆円に引き上げるのだ。日本の企業の社会保険料負担は、他国と比べて非常に少ない【注】。十分に改善の余地はある。
 入院の自己負担2兆円については、国と企業の拠出を高めるのだ。

 【注】社会保険料率の被用者負担と事業主負担の国際比較(2004年)
    日本47.6:52.4。仏国34.1:65.9。独国48.5:51.5。端国17.6:82.4。米国37.7:62.3。英国46.6:53.4。

(5)財源に係る補説
 企業負担を増やすと国際競争力が低下する・・・・という見方は杞憂だ。「世界経済フォーラム」の国際競争力ランキングトップ10に入るスウェーデン、独国、蘭国、カナダなどは、窓口負担ゼロか、ゼロに近い。他方、公的医療保険の整備が不充分な米国は、昨年2位から4位に転落している。企業の社会保険料負担の比率と競争力とは直結しない。
 欧州では、国民が病気になるのは、労働時間の長さや職場環境など企業活動が大きな要因である、という社会的風潮がある。ために、企業が従業員の保険料をより多く負担することは当然と考えれている。トルコ、オーストラリアも、日本よりGDPが低いが、税金または保険料で医療費を賄い、自己負担はゼロだ。
 日本の医療保険制度の最大の問題は、国保の赤字体質だ。その背景には、企業が人件費削減のために非正規雇用者を増やしたことが関係している。本来自営業者などの加入を前提としていた国保に、失業者や低所得の若年層の加入が増え、国保の財政が立ちゆかなくなってきたのだ。
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2 自己負担はゼロにできない:川渕孝一(東京医科歯科大学大学院医療経済学分野教授)。
(1)医療費自己負担のマイナス面
  「受診抑制」の定義があいまいで、データとしての信頼性に欠ける。自己負担が重くて病院に行けない、と回答した人たちが医学的に治療が必要な状態だったかどうか、市販薬で対応するべき状態だったか、などを科学的に精査した統計データがなければ受診抑制が起きているとは言いきれない。

(2)医療費自己負担ゼロのプラス面
  気持ちはよくわかるが、非現実的な話だ。

(3)医療費自己負担ゼロのマイナス面
 (ア)副作用
 仮に窓口負担ゼロになった場合、どのような副作用が起きるかを考える必要がある。
 川渕研究室のアンケート調査によれば、日本人は症状によって薬局のカウンター越しにおいてある市販薬(オーバー・ザ・カウンター、OTC)で治すのがよいか、医療機関に行くのがよいかについて、非常に賢明な選択をしている。回答者の症状を米国薬剤師会のガイドラインと照らし合わせてみると、対処方法は9割が適切だった。
 しかし、自己負担がゼロになった場合、患者がこれまでのように賢明な選択をしてくれない可能性がある。OTCで治るのにわざわざ医療機関を受診して、医療費が大幅にアップするというモラルハザードが起きるおそれがある。そうなると、医療費が高騰し、国民皆保険制度が瓦解してしまう。
 医療機関が「サロン化」することも、当然起きるだろう。73年から老人医療費が無料になると、受診は不要な高齢者が医療機関に行った。最近でも、一部の自治体が小児科診療における自己負担を無料にした結果、患者が押し寄せた。
 また、医療の質が低下することも懸念される。どうせタダではないか、と医療側も患者サービスの向上に努力しなくなるおそれがある。

 (イ)窓口負担ゼロの国の医療体制
 日本では、自由に医療機関を選択できる「フリーアクセス制」だ。多少の待ち時間はあっても、いつでも専門病院で受診できる。
 ところが、窓口負担ゼロの国は、医療へのアクセス制限がある。英国や北欧諸国では、病気になると、まず家庭医(または総合医)に相談する。家庭医が専門的治療が必要だと判断しなければ、専門医に診てもらうことはできない。
 家庭医は、地域ごとに決められていて、日本のように自由に医師を選択することはできない。しかも、家庭医が受けもつ患者数は非常に多い。デンマークでは、家庭医一人が2千人もの住民を担当している。当然、手がまわらない。だから、実際には、看護師や医療秘書などによる電話相談で済まされることが多い。

(4)財源
 国庫負担も企業負担も、今の国の財政状況や企業をとりまく環境を考えると、増加はきわめて難しい。
 仮に消費税引き上げで対応しようとすると、今より2%引き上げなければならない。消費税は、10年の参議院選挙で消費税率引き上げを菅首相が言及した結果、民主党が惨敗したことからもわかるように、そう簡単には引き上げられない。
 日本の企業の社会保障負担率が欧州各国に比べて低いのは事実だが、企業負担をこれ以上重くすると企業の存続さえ危うくなる、と反論が出てくる。
 09年、米国の自動車ビッグスリーの一角、ゼネラルモーターズ(GM)が巨額の負債をかかえて経営破綻した。環境性能を求める時代の流れに逆行した車作りを行ってきたことなどが主な理由だが、現役従業員や退職者の福利厚生を手厚くしすぎたことも要因の一つなのだ。
 米国では、高齢者や低所得者など社会的弱者以外を対象にした公的医療保険はない。個人で民間保険に加入する。しかし、GMのような大企業では、社員や退職者の医療費や年金を企業が負担している。GMでは、過去十数年間で、医療保険料と年金に年間70億ドル(7千億円)を支払っていた。
 日本の企業も例外ではない。従業員の保険料を、企業はギリギリまで負担している。経営者は、「顔を見たこともない高齢者の医療費をなぜ我々が負担しなければならないのか」と疑問を抱いている。

(5)財源に係る補説
 歴史的経緯が異なる欧州の医療保険モデルを日本にあてはめるのは無理がある。
 医療保険制度には、大きく3つの流れがある。
  (a)医療費を税金で賄う方式・・・・英国、カナダ、オーストラリア、北欧諸国
  (b)社会保険により医療を保障する「ビスマルクモデル」・・・・19世紀なかば以来のドイツ
  (c)民間保険をベースにする制度・・・・米国
 日本の制度はドイツのモデルに近いが、ドイツの医療財源の9割は労使折半による社会保険料だ。これに対して、日本は医療費の4割を公費で賄っている。ドイツの制度と英国の制度との折衷だ。
 戦後まもない日本には、被用者保険の加入資格がない自営業者や農業従事者が3千万人もいた。彼らの無保険状態を解消するため、補助金を投入して国民健康保険の基盤を厚くした。ここから医療財源に公費が使われるようになった。
 現在の医療保険制度は、こうした歴史的経緯を踏まえて、保険料と公費負担の微妙なバランスの上に成り立っている。

(6)充実させるべき制度
 医療に関するセイフティネットには、生活保護世帯への医療扶助がある。医療費自己負担がかさむ場合には、高額療養費制度がある。
 今、高額療養費の適用金額を低くするべく議論されている。ガンなどの疾病に特化すれば、引き下げは十分に可能だ。
 自己負担ゼロ化より、こうした制度を手厚くすることで患者負担の軽減を図るべきだ。

【参考】平尾紘一「受診を抑制する人が増えると今後さらに医療費が増大します。」(「通販生活」2011年春号、カタログハウス)
    川渕孝一「生活保護世帯の医療扶助や高額療養費制度の充実が先です。」(「通販生活」2011年春号、カタログハウス)
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