語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】米原万里の、詐欺の手口または沖縄の米軍基地の事

2011年01月04日 | 批評・思想
 「へぇ、お越しやす」
 「嬶(かか)が新しい水壺買うてきてくれ言いよりましてな・・・・」
 「へぇへぇ、右ん棚が十円もん、左ん棚が五円もんになってます」
 「ごっつう高こおますなあ・・・・この左ん棚の白いんがええわ。遠いところから来てるんやから、せいぜい気張ってや!」
 「そうでんなあ、どおーんと勉強して、四円! これ以上はまからしまへん」
 「そうでっか。そなら失礼しますわ」
 「三円! 儲け度外視ですわ」
 「ほな、もらおうか」
 「ありがとさんでおます。へぇ、たしかに三円いただきました。どうぞ、これからもご贔屓に」
 ところが、店を出ていった客が半時も経たぬうちにまた戻ってまいります。
 「へぇ、お越しやす。おやまあ、さっきの人やおまへんか」
 「嬶に見せよったら、この壺は小さい言いよりますのや。右ん棚の大ぶりな壺もらいますわ。せいぜい勉強してや」
 「七円!」
 「六円!」
 「殺生な・・・・仕方ありませんな、手え打たしてもらいますわ」
 「おおきに。そいでこの小さい方の壺は下取りしていただけまっか」
 「よろしおます。三円で引き取らせていただきまひょう」
 「さっきの三円と壺の下取り賃三円と合わせてちょうど六円や。ほな、この壺、もろていくで。包まんでもええがな」
 「へぇ、おおきに。またお越しやす」

   *

 上記は、上方落語の「壺算」である・・・・と紹介した後、米原万里は、現実の社会にも似た話はゴロゴロ転がっている、という。
 たとえば沖縄は、米国から「返還」されたことになっているが、本当にそうなのか。
 米国統治下の沖縄は、基地の島だった。朝鮮戦争のときもベトナム戦争のときも、絶え間なく爆撃機が飛びだつ前線基地だった。1972年の沖縄「返還」後も、あいかわらず沖縄は米軍の基地の島である。冷戦終結後は、戦略的拠点としての位置づけが強まった。米軍最大規模とされる燃料・弾薬貯蔵施設は、91年の湾岸戦争の際にも03年のイラク攻撃にも、米軍を強力に支えた。
 基地の中は、昔も今も治外法権である。日本で米軍が常時使用できる専用施設は、国土面積0.6%の沖縄県に、全国の実に75%が集中している。
 沖縄県は、「返還」されていない。それどころか、日本政府は78年以降、米軍の駐留経費に「思いやり予算」という名の財政支援を行うようになった。

 そして、福祉を目的として導入されたはずの消費税にも、十兆円の国民負担で不良債権を整理した長銀をわずか十億円で外資に売却した顛末にも、日本政府の「壺算」が透けて見える・・・・。

【参考】米原万里『必笑小咄のテクニック』(集英社新書、2005)
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