語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】鈴木亘の、「強い社会保障」の不都合な真実

2011年01月19日 | 医療・保健・福祉・介護
(1)「強い社会保障」の柱
 菅直人首相の「強い社会保障」の具体的内容はまだ明らかではないが、その骨子は次の2点にあるらしい。なお、ここでいう「強い社会保障」は「成長戦略」だから、短期的な景気対策とは峻別されるべきである。
 (ア)増税による財源確保の上で、社会保障費を拡大し、医療・介護・保育分野で雇用創出する。
 (イ)社会保障費拡大によって社会保障制度に対する安心感を高め、国民、特に高齢者が過剰に蓄えている貯蓄を取り崩させ、消費を拡大させる。

(2)増税による雇用創出論批判
 (1)の(ア)は、税収を増やすことで財源を確保し、政府が医療・介護・保育産業に公費を増やせば、これらの産業が成長し、それが全体のGDPを牽引して高い経済成長が見こめる・・・・というものだ。
 しかし、一国全体の成長を考えるには、さまざまな産業も含めた全体の産業がどうなるか、という「マクロ」的視点が必要だ。
 たしかに、税金が増えれば医療・介護・保育産業は成長する。だが、日本全体で使用可能な労働力や資本の総量は変わらないから、医療・介護・保育産業の規模が大きくなった分、「その他の産業」から労働力や資本が移動させられる。GDPの大きさは変わらない。要するに、医療・介護・保育産業が成長しても、その効果は相殺される。
 現実には、むしろGDPが小さくなる可能性が高い。
 第一、医師・看護師・介護福祉士・保育士などの専門人材を増加させるには、かなりの期間と労力を要する。これらの専門人材の需要を無理に拡大させると、既存の専門人材を奪いあうことになり、彼らの賃金が上昇するだけで終わりかねない。この場合、医療・介護・保育産業の実質的な生産規模は拡大しない。このとき、増税によって「その他の産業」は縮小しているから、一国全体の実質GDPは、むしろ減少する。
 第二、医療・介護・保育の労働集約型産業と、自動車・電気機械・情報通信などを含む「その他の産業」と、どちらが技術革新を起こしやすいかというと、後者であることはほぼ自明だ。医療・介護・保育産業の割合を高めるということは、技術革新による今後の成長のエンジンの割合を少なくすることになる。この面からも、「強い社会保障」は、GDP成長率を低めてしまう可能性が高い。

(3)貯蓄取り崩しによる消費増論批判
 (1)の(イ)でいう「過剰な貯蓄」をみると、日本の家計金融資産は、現在約1,450兆円だ。一部でも実際に取り崩しが起きれば、消費拡大のインパクトは相当大きい。
 しかし、1,450兆円は「タンス預金」されているわけではない。銀行預金、株や国債の購入によって資金が循環し、日本経済の各分野で活用されている。家計貯蓄のかなりの割合は、銀行や生命保険会社などが国債を買い支える原資となっている。企業や個人に貸し出される資金となり、企業の設備投資や個人の住宅投資にまわっている。
 仮に家計貯蓄を取り崩して消費が拡大した場合、国債の買い支え・設備投資・住宅投資にまわる資金量が減少し、金利が上昇する。
 金利が減少すれば、企業の設備投資や個人の住宅投資が減少する。国債の利払い費が増加し、政府の支出が増えて財政が硬直化する。
 こうした副作用をすべて勘案すれば、貯蓄取り崩しによる消費増が起きてもGDP成長率が高まるとは限らない。しかも、家計貯蓄や国債というストックの変化は、人々の将来への期待に敏感に反応し、著しく変動する。副作用のほうが大きく生じて、かえって成長率が鈍化する可能性さえある。
 そして、家計貯蓄はストックの概念だから、使い切ってしまえばそれで終わりだ。過剰に蓄えている貯蓄が数十兆円あっても、それを数年で使い切ってしまえば、その期間だけ消費が増えるにすぎず、中長期的に消費が増えるわけではない。「強い社会保障」によって消費拡大を図る政策は、持続可能な戦略ではない。

(4)「強い財政」は実現困難
 (2)と(3)で示すように、仮に「強い財政」があっても「強い社会保障」の政策効果は疑わしい。
 このうえ、「強い財政」は幻となった。10年の参議院選挙で民主党が惨敗し、消費税率引き上げが事実上不可能になった。消費税率引き上げがなければ「強い財政」は実現しがたい。

   *

 神野直彦の「強い社会保障」肯定論とは逆の否定論として、鈴木亘の議論を上記のとおり要約してみた。
 神野の緻密な議論に比べると、鈴木の議論は粗っぽい。
 企業の設備投資にまわる資金量が減少する可能性を指摘しているが、近年、企業が設備投資をとみに減少させ、生産拠点をつぎつぎに海外へ移転させている現状を踏まえた上の議論であるか、疑わしい。
 神野は、この現状に対する対策をたてている。産業構造転換をはっきり打ちだしている。

【参考】鈴木亘「『社会保障』に異議あり--GDPは縮小し財政は硬直化するだけだ」(文藝春秋編『日本の論点2011』、文藝春秋、2011)
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