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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

ごいっさん

2016年07月27日 | 仏教
 本願寺佐賀教堂(西本願寺の佐賀支店のようなお寺)は、昭和31年にご往生された、佐賀の篤信の真宗門徒・横尾雄一氏の邸宅を西本願寺に寄贈いただいた土地、建物です。
 
 ちなみに、一昨日のTV、賀来千香子さんが主演で佐賀県警が舞台のサスペンスドラマがありましたが、本願寺佐賀教堂は、佐賀県警のすぐ近く、県庁の西隣。 佐賀の官公庁街の一等地にあります。

 横尾雄一氏の祥月命日(5月26日)をご縁として、平成19年に始まったのが佐賀教堂開館記念法要です。
毎年、5月26日に勤修されるのですが、今年は2ヶ月送れの7月26日に勤修され、私もお参りさせていただきました。

 昨日の記念布教のご講師は、M組のT・J師。

 ご法話の中で、浄土真宗では、住職を「和尚さん」とは、絶対呼ばない。何故か

 「和尚さん」とは、仏道修行の師匠、先生のこと。 修行のない浄土真宗は、みんな、横一列。
 親鸞聖人ほどの方が「私は弟子1人も持っていない」(師匠、弟子ではなく、阿弥陀如来の御前に、みんな仲間である)と仰っている。

 では、住職を何と呼ぶか。
 その土地によって、呼び方は違うが、一番多いのが「院家」(いんげ)・・・それに丁寧語「御」をつけて、「ごいんげさん」
 佐賀は「院主」(いんしゅ)・・・「ごいんしゅさん」が、省略されたのか、「ごいっさん
 久留米あたりは、「御住持さん」が省略されて「おじゅっさん」
など、呼ばれるそうです。

 また、真宗のご法話を(伝道)なさる資格をお持ちの僧侶方を「布教使」と、言います。
 これも、布教師ではなく、布教使
 仏さまのおこころを取り次ぐのだから、師匠として、「こうしなさい」と指導しないし、「私は~思います」というような私見は、決して述べない。
 
 大切なのは、仏法。
 私の、この頭(死ぬまで煩悩に満ち満ちている)で考えることは交えない。
 
 「法に依って、人に依らざるべし

の言葉をご紹介いただきました。

 
 人の言うことはあてにならないし、人の言うことを信じるのは、恐ろしい。 
人が言うこと、でなく、仏法を 指針と人生を歩みたい 

 横尾雄一氏の言葉、「法によって人は育つ」を、あらためて味わう、有り難いご法話をいただきました。

 
 
 

 

 
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