お寺のオバサンのひとりごと

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お守り

2007年07月10日 | 仏教
 先日の「連研」で、出た質問(ウチの住職から聞き出したこと)  その1

 どうして、浄土真宗では、お守りを否定するのか?

 それは、親鸞聖人が、現世祈祷 や まじない などに 頼らない、気にしない生活をするように勧められているからです。

 浄土真宗の信心とは、「私が、お願い事をする」信心ではなく ×
 「私が真理に気づくように願われている 仏さまの方からの仏願をいただく」○
仏さまの本願に任せきった生き方を言います。

 また、南無阿弥陀仏に生きる者は、全ての神仏が誉めたたえておられると経典にもあります。

 だから、真宗の教えをよろこぶ者にとっては、この教えにそって、気が楽に生きていますので、交通安全のお守りも、子どもの受験のお守りも、家内安全のお札もないがしろにするわけではありませんが、私には必要ないのです。

 だから、お守りを持っちゃダメだ ではなくて、お聴聞重ねられたら、お守りがなくても、安心な生活ができますよ いかがですか といった感じでしょうか・・・

 この娑婆世界の厳しい現実から言うと、お守りを持っても、持っていなくても事故、事件、災害に遭う時は、遭う。

 と、言うわけで私自身は、お守りを持ちませんが、でも、お守りを持っておられる方を批判する気はありません。

 大切な人の幸せを願う その心情まで否定したくは、ないからです。

 自分の得だけ願う、御利益請求的お守りは、イヤですが、
人のあたたかさ、やさしさ、恩を思い出させるお守りならば、ダメ とは、オバサン思わないのですが・・・ご住職方、どう思われますでしょうか?
 

 「南無阿弥陀仏」の名号を お守りの代わりに持つ 

 真宗のお寺の者としては、これを一番オススメいたします。


 
 
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