お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お寺の子ども その2

2006年11月07日 | 雑感
 お寺の子が親に従順なのは、小学生くらいまで
 中学生ともなれば、朝の本堂おつとめにも、何だかんだ言って出てきたがらない。そして、「お寺はイヤだ」と言い始める。
 そして、高校生となり、進路を考えるにあたり、当然のように「後継者」と周囲から期待される長男、長女はお寺に生まれた我が身の不幸を嘆き悲しむ。

 こうして、反発している彼らも「ご門徒さんのお陰を忘れちゃいかん」「お仏飯で育てられた」だの言われ続け、20才過ぎる頃には「結局、自分が寺を継がなきゃしょうがないだろう」と諦観、悟りの境地に達し、まじめに仏教の勉強を始める。

 それでも他の友人達は、自由に就職、恋愛、自分の人生を選べるのを見ると、またも、煩悩わき起こり「自分に自由はない」と親に八つ当たりのひとつもしたくなる。

 まさにお釈迦様の説かれた「人生は苦なり」四苦八苦の一番目。生まれる苦ですね。

 時代も場所も親も選べず、気づいたら自分というものが、この世に存在している。お寺の子は「気づいたらお寺の子に生まれていた」のですよね。

 まあ、若い間は「自由がない」って悲しむかもしれませんが、オバサンくらいの年になると「お寺で生活することのありがたさ」がしみじみ分かりますよ。

 お布施をいただきながら、相手が頭を下げてお礼を言われる。
 お金を受け取りながら相手にお礼を言われるのは、医者と先生と坊主くらいなものでしょう。
 
 坊主には定年がない。
 当人が元気な限りおつとめできます。しかも、年を重ねるほどに味わい深く、仏法をお伝えすることができます。 

 お寺で心穏やかに生活できる
 イヤな上司にどなられることも、対人関係で神経をすり減らすこともない。
 仏さまの願いに即して生活すればいいのだから、こんな恵まれた環境があるでしょうか。

 自由がないだの、外出しにくいだの、いつも人から見られているだの・・不満はあるでしょうが、何の仕事も、誰の人生も大変ですよ お寺で生活させてもらう利点に比べたら、大したことありませんって。


 
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3 コメント

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Unknown (維真尽)
2006-11-07 22:44:58
ほんと、達観ですね

確かに、定年がないですね
それに、年をとればとるほど
悟りの境地 が、でてくるのではないですか
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Unknown ()
2006-11-07 23:50:55
法専寺さん
さすがでございます。

穏やかでしかし経験をふまえ理にかなったお言葉に
感じ入りました。

自分の手の中にあるものを愛していく姿勢というのかなあ、そういうこころがすーっと伝わってきました。


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頑張れ!お寺の子 (法専寺)
2006-11-08 09:30:22
 維真尽さん、文さん、いえいえ、お寺の親の立場からお寺の子どもへのエールです。
 企業に例えるとイベント企画、営業・・全てチームで(ご門徒さんと)自由に采配できる、やりがいのあることですから。
 
 残念ながら私は、年取っても悟りには遠いでしょう・・粗大ゴミとして、姨捨山に捨てられないよう願っております。
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