鹿児島教区川内組作成の法語カレンダー 9月の言葉です。(歎異抄から)
薬あればとて 毒を好むべからず
毒消しの薬がある(阿弥陀如来がおられる)からと言って、
自ら毒を飲む(進んで悪事をはたらく、または、わざと煩悩燃えさかることを好む)ようなことがあってはならない
真宗の仏道は、こうしなさい、ああしなさい という決まり事や修行は、ありません。
ただ、自分の「はからい」を捨てて、阿弥陀如来に帰命(南無)・おまかせ し、
如来の大きな慈悲のよって、一切の者が「救われる」(仏に成らせてもらう)仏道です。
だからと言って、「何もしなくていいし、どうでもいいし、どうせ、凡夫なんだから、ちょっとくらい悪いことをしてもいいじゃない~」
というのは、阿弥陀如来の本願に背くことです。
親は、できの悪い子ほど、心配でたまらず、愛情をかけるでしょうが、だからと言って、親を悲しませるとわかっていながら、悪いことをするのは、親の恩を知らないから。
感謝するならば、せめて、自分で気づくことは正して、自分なりに精一杯生きようと思うはず。
自覚症状がないだけで、無意識に「悪」をつくり重ねている私が、います。
縁によっては何をしでかすかわからない私がいます。
そんな私をも見捨てず、寄り添ってくださる阿弥陀如来の本願の御恩を思えば、
ただ、ただ、感謝しかありません。
南無阿弥陀仏