台風12号は、長崎に接近する頃には衰えて、何事もなく通り過ぎてゆきました。
よかった~
さて、真宗連合の法語カレンダー9月の言葉は 親鸞聖人の「正信偈」の意訳から
一生悪を 造るとも
弘誓に値いて 救われる
悪いことしないし、そこそこ良い人間だなんて、うぬぼれていても、
それは、「悪」の自覚症状がないだけで、
仏さまからご覧になれば、「私」は、どこまでも自己中心的な愚かで悲しい存在でありましょう。
また、縁によっては、事故や事件など、新聞沙汰になるようなことをしてしまうかもしれない・・・
意図しない思いがけないことであったり、心の病であったり、認知症であったり・・・
現に、取り返しがつかないことを抱えていたり、あるいは、今たまたま、平穏でも、この先、何があり、どんな病になり、何をしでかすかわからない「私」を今、生きています。
でも、そんな「私」を丸ごと抱いてくださるのが
阿弥陀如来です。
阿弥陀さまの 弘誓(ぐぜい:本願、どんな人も漏らさず覚りに導き、心に楽(しあわせ)をあたえたいという仏さまの願いと誓い)を私のこころに受けて、
つらい悲しみ、苦しみの中に、もがきながらも、自分の努力ではどうしようもないことは、
あるがまま、阿弥陀さまに「おまかせ~」で、生きてゆきたい と、しみじみ味あわせていただいています。
よかった~
さて、真宗連合の法語カレンダー9月の言葉は 親鸞聖人の「正信偈」の意訳から
一生悪を 造るとも
弘誓に値いて 救われる
悪いことしないし、そこそこ良い人間だなんて、うぬぼれていても、
それは、「悪」の自覚症状がないだけで、
仏さまからご覧になれば、「私」は、どこまでも自己中心的な愚かで悲しい存在でありましょう。
また、縁によっては、事故や事件など、新聞沙汰になるようなことをしてしまうかもしれない・・・
意図しない思いがけないことであったり、心の病であったり、認知症であったり・・・
現に、取り返しがつかないことを抱えていたり、あるいは、今たまたま、平穏でも、この先、何があり、どんな病になり、何をしでかすかわからない「私」を今、生きています。
でも、そんな「私」を丸ごと抱いてくださるのが
阿弥陀如来です。
阿弥陀さまの 弘誓(ぐぜい:本願、どんな人も漏らさず覚りに導き、心に楽(しあわせ)をあたえたいという仏さまの願いと誓い)を私のこころに受けて、
つらい悲しみ、苦しみの中に、もがきながらも、自分の努力ではどうしようもないことは、
あるがまま、阿弥陀さまに「おまかせ~」で、生きてゆきたい と、しみじみ味あわせていただいています。