お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

0葬を考える

2015年12月21日 | 仏教
 某宗教学者の方が某週刊誌に「0葬のすすめ」を書いておられました。

 0葬とは、葬式をしないばかりか、お骨も火葬場から持ち帰らないこと。
 
「お骨がなければ、埋葬の心配もなく、お寺と付き合う必要もないから」
なんだそうです。

 こういうふうに思われる方は、最愛の人を亡くした経験がないのでしょうか

 苦労して大切に育ててくれた親も、老いて手がかかれば邪魔で、亡くなれば、せいせいし、お骨も要らない、0葬なんでしょうか

 子どもが死んだらどうなんでしょう。  火葬場にお骨を放置して帰宅できるでしょうか

 そもそも、「お寺と付き合う」のは、納骨のため? 死者のため? 何のため

 なんだか「自己中心」で、
一番大切なこと(大切な人の死を縁として、自分自身が、仏の教えに出遇う機縁)が抜け落ちているようで、悲しい記事でした。

 
コメント (4)
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