お寺のオバサンのひとりごと

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歎異抄の 誤解

2012年03月24日 | 仏教
宗教学者の島田裕巳氏の本を2冊拝読しました。

 「浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか」 幻冬舎新書

 宗派の起こりと宗派の違いについて書かれています。他宗に疎い私は、勉強になりました。

         

 もう一冊は「ほんとうの親鸞」 講談社現代新書

 真宗者の端くれで、学問も積んでいない私ですが、島田先生の書かれていることの中で、ちょっと違うのでは・・・と気になる箇所がいくつもありました。

 一番驚いたのが、親鸞聖人の仰る「悪人」の「悪」を世間的な善悪の「悪」、また「業縁」の「業」を「前世の業」 と、勘違いされておられること。

p34に「悪人正機」について、こう書かれています。
 「決して親鸞は、善人が成仏できないとしているわけではないのだが、善人は自らで善をなそうとする作為の気持ちが働いており、逆に悪人はもっぱら阿弥陀仏にすがろうとするところで、善人よりも優れているかのような言い方をしている。
 それは考えようによっては、悪の勧めとも見える。」

  
p41に、こう書かれています。
 
 「現代であれば、誰かが人を殺したとき、それは殺した人間の意思によるものととらえられる。(中略)ところが、親鸞の言う業の考え方では、人は自分の意思で殺人を犯すのではなく、前世の業によってそれに及ぶことになる」
「鳥獣や魚を捕る者たちに対して、殺生の罪を犯していると非難する人間たちがいたことを踏まえてのことばだろう。それに対して親鸞は、「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と、やはり業をもちだす。漁師や猟師になるのも、商人や農民になるのも全ては業によって定まるというのだ」

 う~ん、
島田先生、題名は「ほんとうの親鸞」ではなく、先生の受け取り方による「私の親鸞」にしていただきたかったです。

 真宗の坊主の書いた著書は、抹香臭いから読みたくなくても、「宗教学者」の先生が書かれた本ならば、教養知識の仏教として、読みたい という知識人が多いでしょう。
 でも、大きな誤解をあたえそうで、残念です。
 まさに現代の唯円さんに「歎異抄」を書いていただきたいと思いました。
 

 

 
コメント (4)
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