「仏」とは、一言で言えば「真理に目覚めた者」なんですが
そもそも「真理」って言葉は、各人のイメージで、尊くも、怪しげにも受け取る「手あかの付いた」言葉になっています・・・
「真理」とは、「法」
世界中、どこでも、誰にとっても、いや、宇宙のどこでも変わらない「真実」「法則」
その「法」・・・あるがまま「真如」を覚った方 が 「仏さま」です。
あらゆる煩悩(心を煩わせる苦悩)がなく、
正しい物の見方、正しい考え方、正しい行い、正しい努力・・・ができる方
人間世界の いかなるものも 独立して存在するものは、なく
全て 「原因」 と 「条件(縁)」 によって 成り立った事象で
この世に形成されたもので、恒久のものはない と 覚った方
とらわれの心が無く、ものをあるがままに見通す智慧をもった方
そして、自分が智慧を得て満足するのではなく、
覚りに至らない者たちを 「自分と同じように 覚らせたい」と
大きな慈悲の心で願われる方
であります。
「仏さま」は、キリスト教(ユダヤ教・イスラム教)の「神」(God)と違って
この世を支配している方ではありません。
気がついたら「私(わたし)」という存在がこの世にいて、生きていかねばならない・・・その私の苦悩に寄り添い、
どう心を転じれば心軽やかに生きていけるか
それに気づくように、はたらいて くださる方
その「仏の教え」が、「仏教」 であり
この「私(わたし)」が、理想の「仏」を目指し、「仏に成る」のが 仏教であります。
そもそも「真理」って言葉は、各人のイメージで、尊くも、怪しげにも受け取る「手あかの付いた」言葉になっています・・・
「真理」とは、「法」
世界中、どこでも、誰にとっても、いや、宇宙のどこでも変わらない「真実」「法則」
その「法」・・・あるがまま「真如」を覚った方 が 「仏さま」です。
あらゆる煩悩(心を煩わせる苦悩)がなく、
正しい物の見方、正しい考え方、正しい行い、正しい努力・・・ができる方
人間世界の いかなるものも 独立して存在するものは、なく
全て 「原因」 と 「条件(縁)」 によって 成り立った事象で
この世に形成されたもので、恒久のものはない と 覚った方
とらわれの心が無く、ものをあるがままに見通す智慧をもった方
そして、自分が智慧を得て満足するのではなく、
覚りに至らない者たちを 「自分と同じように 覚らせたい」と
大きな慈悲の心で願われる方
であります。
「仏さま」は、キリスト教(ユダヤ教・イスラム教)の「神」(God)と違って
この世を支配している方ではありません。
気がついたら「私(わたし)」という存在がこの世にいて、生きていかねばならない・・・その私の苦悩に寄り添い、
どう心を転じれば心軽やかに生きていけるか
それに気づくように、はたらいて くださる方
その「仏の教え」が、「仏教」 であり
この「私(わたし)」が、理想の「仏」を目指し、「仏に成る」のが 仏教であります。