お寺のオバサンのひとりごと

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常識 対 常識

2009年11月10日 | 雑感
 仏教でいう「我執」
 「自分の思い」に「執着」することで、

 我執があるがゆえに、ままならぬことに ますます 苦しむ 

 「我執」は、苦しみをうむ「もと」
 「我執」を離れることを説くのが仏教です。

 こう言うと、
「何だ、仏教は、脱・個性で、自分の意見をしっかり持たない。個性も重んじない。ただ周囲に妥協して生きる教えなのか~
と、誤解されるかもしれませんが・・・

 いえ、そうではありません。

 そもそも、私たち一人ひとり、顔形が違うように、一人ひとり感性も違います。
生まれ育った「価値観」も異なります。
 つまり、「常識だろう」と思うものが、各人違ったりします。

 同じものを見ても、同じ話を聞いても
 一人ひとり、見方、感じ方が違う

 私たちは、充分「個性的」なのでありましょう。

 「個性」がダメなのでも、
「自分の意見をしっかり主張する」のが、いけない のでもなく

 「みんな一人ひとり違っていて、当たり前なんだ」 
 「でも、『自分の思いが正しい』と執着してしまう自分がいるんだ」

と、己の「我執」を「常識」と「正当化」する
 「我執」の 危うさ を認識すること  

 それを仏さまが教えてくださっているように味わっております。 

 

 
コメント (4)
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