70年代後半から80年代初めにかけて……つまりわたしがいちばん少年マンガに熱中していたころ、描き手の側ではこんなドラマがあったのか。“ボロボロ泣きながら描いた”という小林のコピーがうなずける悲惨さ。
世間知らずで(なにしろ印税という存在を彼らは知らなかったのだ)、しかし常に人恋しい新人漫画家たちの熱情は、病や自死という形で終息する。小野新二や大和田夏希の死はわたしにとってもショックだった。
小林が「1、2の三四郎」以後、マイケルや柔道部物語で生きのびたことがどれだけの幸運か……。作者急病のため、というフレーズに隠された地獄を、わたしたちは常に知らないふりをして少年マンガを楽しんできたわけだ。
舞台裏をあえてさらす連載を引き受けた少年マガジンの度量は、ジャンプやサンデーよりもずっと“文学的”だったマガジンらしい。必読。三四郎のいつものメンバーがそろった「格闘探偵団」も笑えます。この本を持ってきてくれた書店員が小林フリークだったので紹介してもらいました。商売上手。
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