「ほりセンセー、フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』持ってる?」はるか昔、同僚からの質問。
「うん。角川文庫のなら」映画化されたときのロバート・レッドフォードとミア・ファローが表紙になってるヤツ。
「貸して!ってゆーか、ちょうだい!」
今も昔もフィッツジェラルドは女性に圧倒的に人気があるわけだ。この同僚からはいっしょに「夜はやさし」Tender Is The Nightまで持って行かれた。
英文出身のくせに、フィッツジェラルドをさして面白いと思ったことがわたしはないが、この村上春樹の新訳で、ギャツビーの悲哀と、なぜ彼が“偉大な”と皮肉ぬきに語られるかを感じとることができた。どの一文を切り取っても詩になりそうなほど華麗な文体、冷静な観察者ニックを語り手にする手管。ため息がでる。
ドンキホーテのように富と洗練の象徴であるデイジーを追い求めるギャツビーが、西部からニューヨークに移り住み、享楽的な妻ゼルダに翻弄されるフィッツジェラルドの写し絵であることが今は読みとれる。その意味で、村上はすばらしい仕事をしたといえるのかも。その村上の次の翻訳作品は、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」とか。うゎあミステリおたくたちに総スカンをくいそうだなあ。ちょっと心配。
※事実上、総スカンでした
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます