「あれ?オレ酔ったのかな。六本木のどまんなかにプリンスホテルが見える。」
「できたんだよ。お前が田舎に帰ってすぐに。」
八十年代の中ごろ、友人の結婚式の二次会で飲んでいるときのことだった。プリンスホテルは怒濤のいきおいで拡大を続けていたのだ。
コクドの盟主だった堤義明がスキャンダルで失墜したとき、新聞はこう報じた。
「ほんとうに悪いヤツは墓の下にいる」
西武グループの創始者にして義明の父、堤康次郎の経営哲学ははっきりしていた。土地(と女)への徹底的な執着と節税である。都心にあった旧皇族の土地をかき集め、転売せずにホテルを建設(したがって“プリンス”ホテル)。借金を重ねて拡大路線をつづけることでほとんど税金を払わないのが家訓だった。清二(前セゾングループ代表にして作家の辻井喬→愛人の姉の子)など優秀な子どもが上にいながら、(第三の)愛人の子である義明が後継者に選ばれたのは、康次郎に義明が絶対服従だったからだと言われている。西武は康次郎と義明にとって、何よりも『家業』だったのだ。
つまりこの会社には、企業の社会的責任や株主への利益還元などよりも優先する何かがいまだに息づいているのだろう。司法判断にさからってまで全国教研への会場提供を拒否したのには、そんな背景があったのだとわたしは思っている。
「ミカドの肖像」は、猪瀬らしいもってまわった書き方でプリンスホテルと皇族の関係をネチネチと描いている。お暇なときにどうぞ。
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