おそろしく長いタイトルだけれど、ストーリーはまさしく題名どおりにすすむ。
36才の青年、多崎つくるは16年前に、当時わかちがたく構成されていた男女5人の友人グループから、理由もわからないままに排斥されてしまう。その理由をさぐるために、巡礼のように友人たちを訪ねてまわる。その友人たちには、赤松・青海・白根・黒埜といった具合に名に色がついていたが、つくるにだけはその名のどこにも色がなかった……
ミスター・ブルー、ミス・ブラックのように形容される友人たちに、純文学好きの人はポール・オースターを思いうかべるかもしれない。でもわたしは映画ファンなのでタランティーノの「レザボア・ドッグス」かな。銀行強盗である登場人物たちが、色をみずから選択して名前にするシステム。しかしみんながブラックをほしがるのでそれだけは選べないというオチがついている。
映画つながりでいえば、巡礼のくだりは、みずからの思い出に違う側面があったことを思い知らされるという意味で「舞踏会の手帖」か。
色がない、ということで「自分が何者でもない、とるに足らない存在」だと思いこんでいたつくるは、排斥によって死の淵まで行く。しかしまたしても色のついた灰田(ミスター・グレイ)という年下の友人によって救われる。そして沙羅(もうひとりのミス・ホワイトとも読める)によって過去と向き合うことに。
回復の物語であることで、読後感はすこぶるポジティブ。つくるはラストである賭けを行うのだけれど、その賭けに負けたとしても(彼の自己診断がどうあれ)彼は静かに、強く生きていくことが暗示されるのだ。
もはや新刊がイベントと化す村上春樹の作品が、ここまで明るいのは暗い世相の反映だとする人も多い。もちろんそういう側面もあるだろうけれども、「午後の最後の芝生」に始まる、他人に必要とされない(と思いこんでいる)、他人を必要としない(と思いこんでいる)青年の成長譚でもある。彼は山手線のホームをながめてこう考えるのだ。
「それはまさに奇跡のように思えた。それほど多くの人々が、それほど多くの車両で、なんでもないことのようにシステマティックに運搬されていること。それほど多くの人々が、それぞれに行き場所と帰り場所を持っていること。」
こんなにさみしい青年を、読者が愛さないはずはない。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 価格:¥ 1,785(税込) 発売日:2013-04-12 |
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