富島健夫って、どれだけの人がいまおぼえているのだろう。いやわたしだってあやしいのだ。少女小説を読んだのは小野不由美の「十二国記」が初めてだし……でも彼の名前を見ると妙にドキドキするのは、官能小説系に走った(わけではないとこの評伝では解説されていて、それは納得できた)あとの読者だからだろうか。
引揚者であり、日本人がいかに薄汚い民族であるかを痛感した彼は、正義漢が理想的なセックスをくりかえす(わたしのイメージ)、自分の理想像を描き続けたのだと知る。ましてや、彼自身が美男であることは作品に強く影響しただろう。当時の少女雑誌における小説は、文字通り教養小説であり、少女たちを啓蒙するものだったせいで、彼が露骨に性について語ることが批判の的になったというエピソードは泣ける。そんな時代もあったんだ。
著者の荒川氏は富島の大ファンで、だからこそむしろ冷静な評伝にしようとしている(たまに、愛情が爆発しています)。だから彼の私生活にあまり立ち入らないようにしているあたりが、ゲスな読者であるわたしには少し不満。彼のようなファンだからこそ、そのことを描くべきだったのではないかとすら。
富島が河出書房の社員だった過去があったのも初めて知った。だからこの本が河出から出たのは本当にすばらしいことだと思う。
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