サブカル好きの読者なら、小林信彦を知らないはずがない。該博な知識と確かな批評眼。特に映画、落語、ミステリ……つまり芸に関して、彼の存在を無視して批評をかます勇気ある評論家はまずいないだろう。それほどに、彼は“権威”になりおおせている。
ところが、本人の気持ちのなかには、若い頃にマスコミの寵児だった時代(ひところの秋元康かいとうせいこうみたいな存在だった)が脈々と息づいているようで、だから若い者たちへの対抗心から奇矯なふるまいに出ることもある。有名なのが雑誌「ロッキングオン」の松村雄策との間でくり広げられたビートルズ論争。91年、小林の「ミート・ザ・ビートルズ」という作品のなかに、考証上おかしな点がいくつかあると指摘した松村に彼は激高。「半狂人」あつかいした文を発表したりしている。以降は反論につぐ反論の嵐。
まあ言ってみれば子どものケンカみたいなものだったのだが、ロッキングオンの読者だったわたしはどちらかと言えば松村に軍配をあげていた。オヨヨシリーズから読み始め、文体から考え方まですっかり影響をうけていたわたしの“小林離れ”が始まったのもこのころだ。しかし週刊文春に「人生は五十一から」という連載を開始し、きわめてまっとうな政治観を披瀝し始めてから、またしても小林熱再発。この人、やっぱりコラムの天才だ。
※画像は、ひょっとしたら小林の最高傑作かもしれない「パパは神様じゃない」。日本のコラム、というものの方向性を決定づけたのではないか。
つまらなくなって来て ずっと読んでませんでした。昔の平凡パンチにイラストを
書いていた小林泰彦っていましたが 信彦が彼の兄だったって知ってました?