よくできた映画だ。黒澤明の「七人の侍」にインスパイアされて「荒野の七人」(ジョン・スタージェス)が作られ、56年ぶりにリメイク。どっちも名作なのでハードルは高いけれども、健闘したとつくづく。
今回の特徴はなんといっても主役のガンマンがデンゼル・ワシントンであることだ。
南北戦争直後に、北軍出身とはいえ黒人の執行官が実際にいたのかはわからないが、南軍にいた人間にとって、その存在は複雑なものだろう。ナイフの達人役がイ・ビョンホンなのは(市場としてのアジアを意識したのはもちろんでしょうが)、労働力不足のアメリカに、大量のアジア人が拉致されていた事実はヘニング・マンケルの「北京から来た男」でおなじみ。
ガンマンたちの雇用主が若い女性であり、彼女も戦闘に加わるのは時代というものだろうか。もっとも、一種の祝祭のようにガンファイトは行われるので、ラストに彼女の手から銃をとりあげたデンゼル・ワシントンは「祭りは終わったよ」と非武装化するのだが。
ネイティブ・アメリカン、フランス系、アジア人、黒人と多彩な人種を集めることができるのはアメリカ映画の強み。
ただし、なぜデンゼル・ワシントンが野伏り、じゃなかった悪徳資本家から町を守るために立ち上がったのか、の理由には不満がある。
思えば志村喬が演じた勘兵衛は、死に場所を求め、しかし同時に自らの能力をできるかぎり発揮しようとするテクノクラートだった。彼には理由などいらなかったのだ。だから「七人の侍」のラストは、野伏りを追い払うことに成功したのに「負けいくさ」と総括される。死んでもかまわない自分が生き残り、仲間を死なせてしまったから。
しかしデンゼル・ワシントンは(ネタバレですみません)目的を達成してしまう。うーん、世界中の観客を納得させるには、これしかなかったのかなあ。
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