バブルの真っ盛りにいるとき、それがバブルであることなどほとんどの人が気づかないで浮かれている。ある人間とつきあっているときよりも、別れてはじめてその存在の大きさを確信するのに似て。
「悪人」で、まさしくタイトルどおり人間の静かな邪悪さを冷静に描いた吉田修一は、一転して聖人の物語を展開してみせた。ところがこの聖人は、西鶴の「好色一代男」の名をいただいているだけあって煩悩にふりまわされ続ける。しかし彼は、(本人は意識していないのに)まわりの人間を幸せにせずにはいられないのだ。
時代はバブルまっさかり。長崎から上京し、マンモス大学(法政がモデル)に入学した横道世之介のまわりには、サンバサークルで知り合った友だちや、親切な隣人のお姉さん、ゲイであることをカミングアウトするクラスメイト(世之介はそのことでまったく動じない)、バブル期らしく高級娼婦めいた美女、コワモテの父親をもつお嬢さまなどがいる。
吉田がうまいのは、季節ごとに彼らの十数年後の姿を挿入し、世之介の存在が彼らにとってどんなものだったかを描いていくあたり。
ある登場人物はこうつぶやく。
「青春時代に世之介と出会わなかった人がこの世の中には大勢いるのかと思うと、なぜか自分がとても得をしたような気持ちになってくる」
そして当の世之介の“現在”とは……
彼の行動が決してヒロイックな動機によるものではなく、ほんの少しの調子良さにもとづいていることを母親に語らせるラストが泣かせる。まさか小田急線で読みながら涙がこみあげてくるとは思わなかった。高等なテクニックを駆使した青春小説、苦みのある石坂洋次郎というだけではかたづけられない傑作。ぜひ、ご一読を。
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