原題は「Whiplash」。
ジャズの名曲のタイトルであると同時に「ムチ打ち」という、この映画の主題そのものをあらわしている。「アイアンマン2」でミッキー・ロークが演じたムチ男が、その名もウィップラッシュだったのでわかりやすい。
おそらくはジュリアードをモデルにしている、全米トップの音楽学院シェイファー。懸命にドラムを叩く一年生ニーマンが主人公。学院のみなが怖れ、そして彼のジャズバンドに入ることを切望する指揮者フレッチャーは、ありとあらゆる罵詈雑言を生徒に投げつけ、体罰も辞さない。
ニーマンは主演奏者の座を、血のにじむような(比喩ではなく、実際にハイハットに叩き過ぎで手から血が飛び散る)努力で手に入れるが……
フレッチャーを演じたJ.K.シモンズが鬼気迫る。これがスパイダーマンのお間抜けな編集長と同一人物とは思えないほど。アカデミー賞助演男優賞は当然だろう。
彼の指導はもちろん教育の名に値しない。彼が望んでいるのは「第二のチャーリー・パーカーを育てること」だと言うが、ひとりの偉大な演奏家を育てるために、その他の人間をつぶしてもかまわないと考えるその尊大さはいかがなものか、と思わせておいて実は彼の心のなかには……ここで終われば並みの作品。
しかしこの映画は最後に……(ある意味、ニーマンとフレッチャーのセッションが行われるので、邦題も正しい)
芸術が生まれる瞬間を描いてすばらしい映画だ。同時に、音楽をやるヤツにろくなのはいないんだなと認識させてもくれる(笑)。
にしてもわたしが疑問なのは、この映画がジャズを描いていることだ。ビッグバンドジャズだから正確な演奏が必要であるとしても、でもジャズ(もとの意は“めちゃめちゃ”)だよ。フレッチャーの意に沿う形でしか自己を発露できない、そんな音楽がジャズだろうか。チャーリー・パーカーの本領はインプロビゼーションではなかったか?
もちろんこの映画は、だからこそフレッチャーは優秀な教師たりえなかったのだと訴えているわけだが、どうもそのあたりがちょっとすっきりしないのでした。
もっとも、「フルメタル・ジャケット」ばりの差別用語や四文字言葉(とシンバル)を生徒に投げつけるフレッチャーが、自分に四文字言葉で返されるといきなり切れちゃうあたり、妙におかしみもあるところが困ったもの。キャラが邪悪さを凌駕してしまっているのだ。魅力的な映画であることは確かです。ぜひ。