今日からJ.G. バラードの幻想的な短編「時の庭」の翻訳をやっていきます。四日ぐらいを目途に訳していきますので、まとめて読みたい人はそのくらいに。
この話はいったい何を象徴しているのでしょうか。
原文はhttp://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/d9/b7030c4ef4e0c3c5d0fd59f9219e00f5_s.jpg?で読むことができます。
夕方近く、テラスにパラディオ様式の屋敷が影を落とす頃合いになると、アクセル伯爵は書斎を出て、幅の広いロココ調階段を降り、時の花の中に入っていった。長身で堂々とした体躯に、黒いベルベットのジャケットをまとい、ジョージ五世風あごひげの下には金のタイ・ピンが光を投げ掛けている。白い手袋をはめた手は、ステッキをきつくにぎっていた。アクセル伯爵は何の感情もこもらないまなざしで、美しい水晶の花をながめた。妻の弾くハープシコードの音が――音楽室で弾いているのはモーツァルトのロンドだ――、こだましながら響き、透明な花弁をふるわせていた。
屋敷の庭園は、テラスから二百メートルほど、なだらかにくだりながら続いていく。その先には小ぶりな湖があって、白い橋が架かっていた。対岸には細長いあずまやがある。アクセルがわざわざ湖の方へ足を運ぶことはめったになく、たいていは、敷地を囲む高い石塀で守られた、テラスのすぐ下、植え込みの花の中へおりるだけだった。
テラスからは、塀の向こうに広がる平原を見渡すことができた。広々とした野原がどこまでも続き、はるか彼方、地平線がかすむあたりがわずかに盛り上がっているのは、丘陵が広がっているからだ。四方を取り囲む平原は、黄褐色の土が広がるばかりで、そのなかに建つ屋敷は、くっきりと周囲とは隔絶し、落ち着いた色合いは際だって見えた。ここ、庭にいれば、空気は澄み、陽射しは暖かい。それに対して平原は、一面、荒涼たる眺めだった。
それが習慣である夕方の散策に出かける前に、アクセル伯爵は平原から彼方の丘陵に目をやる。地平線の丘陵は、翳りゆく陽を浴び、はるか遠くにある舞台のようにきらめいていた。
伯爵夫人の気品ある指先から流れ出すモーツァルトの繊細な調べが身を包んだそのとき、地平線の彼方からゆっくりと近づいてくる、すさまじい数の兵士の一団が見えた。一瞥したときは、一個大隊の長い列が前進してくるのだろうと思ったが、よくよく見れば、ゴヤの風景画に見られる、暗い中に精緻に描かれた細部のように、兵士たちと思えた人びとは、男や女の群れで、ぼろぼろの軍服を身にまとった兵士も一部混ざって、隊列も組まず、ぞろぞろと歩いているのだった。首かせにつながれ、それに重い荷を吊されている者もいたし、重そうな荷車の車輪を押している者もいる。身一つで、とぼとぼと歩いている者は少なかった。だが、すべての者たちは同じ足取りで、沈む日を背にして、歩き続けているのだった。
こちらへ向かってくる群衆は、見えるか見えないかの距離だったが、アクセル伯爵は、用心深いながらも超然とした表情を浮かべてそれをじっと見つめ、わずかずつではあるが近づいてくるのは、膨大な数の群衆のほんの前衛部隊にすぎず、本体は地平線の向こうにいることを見て取っていた。やがて日の名残りも薄れたころ、群衆の先頭が、地平線の下、丘の頂上にたどりついた。アクセル伯爵はテラスを離れ、時の花の中へ降りていった。
時の花というのは、高さは約二メートルほど、ガラス棒に似た華奢な茎をもち、十二枚の葉をつける。かつては透明だった葉は、葉脈が化石化したせいで、霜に覆われたようになっていた。茎の先に時の花が咲いている。ゴブレットほどの大きさで、光沢のない外側の花弁がクリスタルの花芯を取り囲んでいた。花芯部は、千もの切り子面を持つダイヤモンドのようにきらきらと輝き、クリスタルは大気の光と風を吸収しているように思われた。夕暮れ時の微かな風に揺れては、先端が炎となった槍のようにきらめいた。
ほとんどの茎の先には、もはや花は咲いていなかった。アクセル伯爵は注意深く確かめながら、小さなつぼみを見つけると、その目に希望の灯を宿す。そうして最後に石壁にもっとも近い、大きな花を選んで、手袋をぬぐと、指先に力をこめて、摘み取った。
(この項つづく)
この話はいったい何を象徴しているのでしょうか。
原文はhttp://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/04/d9/b7030c4ef4e0c3c5d0fd59f9219e00f5_s.jpg?で読むことができます。
* * *
THE GARDEN OF TIME(「時の庭」)
by
J.G. バラード
THE GARDEN OF TIME(「時の庭」)
by
J.G. バラード
夕方近く、テラスにパラディオ様式の屋敷が影を落とす頃合いになると、アクセル伯爵は書斎を出て、幅の広いロココ調階段を降り、時の花の中に入っていった。長身で堂々とした体躯に、黒いベルベットのジャケットをまとい、ジョージ五世風あごひげの下には金のタイ・ピンが光を投げ掛けている。白い手袋をはめた手は、ステッキをきつくにぎっていた。アクセル伯爵は何の感情もこもらないまなざしで、美しい水晶の花をながめた。妻の弾くハープシコードの音が――音楽室で弾いているのはモーツァルトのロンドだ――、こだましながら響き、透明な花弁をふるわせていた。
屋敷の庭園は、テラスから二百メートルほど、なだらかにくだりながら続いていく。その先には小ぶりな湖があって、白い橋が架かっていた。対岸には細長いあずまやがある。アクセルがわざわざ湖の方へ足を運ぶことはめったになく、たいていは、敷地を囲む高い石塀で守られた、テラスのすぐ下、植え込みの花の中へおりるだけだった。
テラスからは、塀の向こうに広がる平原を見渡すことができた。広々とした野原がどこまでも続き、はるか彼方、地平線がかすむあたりがわずかに盛り上がっているのは、丘陵が広がっているからだ。四方を取り囲む平原は、黄褐色の土が広がるばかりで、そのなかに建つ屋敷は、くっきりと周囲とは隔絶し、落ち着いた色合いは際だって見えた。ここ、庭にいれば、空気は澄み、陽射しは暖かい。それに対して平原は、一面、荒涼たる眺めだった。
それが習慣である夕方の散策に出かける前に、アクセル伯爵は平原から彼方の丘陵に目をやる。地平線の丘陵は、翳りゆく陽を浴び、はるか遠くにある舞台のようにきらめいていた。
伯爵夫人の気品ある指先から流れ出すモーツァルトの繊細な調べが身を包んだそのとき、地平線の彼方からゆっくりと近づいてくる、すさまじい数の兵士の一団が見えた。一瞥したときは、一個大隊の長い列が前進してくるのだろうと思ったが、よくよく見れば、ゴヤの風景画に見られる、暗い中に精緻に描かれた細部のように、兵士たちと思えた人びとは、男や女の群れで、ぼろぼろの軍服を身にまとった兵士も一部混ざって、隊列も組まず、ぞろぞろと歩いているのだった。首かせにつながれ、それに重い荷を吊されている者もいたし、重そうな荷車の車輪を押している者もいる。身一つで、とぼとぼと歩いている者は少なかった。だが、すべての者たちは同じ足取りで、沈む日を背にして、歩き続けているのだった。
こちらへ向かってくる群衆は、見えるか見えないかの距離だったが、アクセル伯爵は、用心深いながらも超然とした表情を浮かべてそれをじっと見つめ、わずかずつではあるが近づいてくるのは、膨大な数の群衆のほんの前衛部隊にすぎず、本体は地平線の向こうにいることを見て取っていた。やがて日の名残りも薄れたころ、群衆の先頭が、地平線の下、丘の頂上にたどりついた。アクセル伯爵はテラスを離れ、時の花の中へ降りていった。
時の花というのは、高さは約二メートルほど、ガラス棒に似た華奢な茎をもち、十二枚の葉をつける。かつては透明だった葉は、葉脈が化石化したせいで、霜に覆われたようになっていた。茎の先に時の花が咲いている。ゴブレットほどの大きさで、光沢のない外側の花弁がクリスタルの花芯を取り囲んでいた。花芯部は、千もの切り子面を持つダイヤモンドのようにきらきらと輝き、クリスタルは大気の光と風を吸収しているように思われた。夕暮れ時の微かな風に揺れては、先端が炎となった槍のようにきらめいた。
ほとんどの茎の先には、もはや花は咲いていなかった。アクセル伯爵は注意深く確かめながら、小さなつぼみを見つけると、その目に希望の灯を宿す。そうして最後に石壁にもっとも近い、大きな花を選んで、手袋をぬぐと、指先に力をこめて、摘み取った。
(この項つづく)