その6.
その日のフレデリックのいでたちは、まったくバカげたものだった。赤、白、青の縦縞のズボンをはき、カンカン帽の下から、薄くなりかけた髪とまばらな口ひげがのぞいている。彼のもくろみは、見事に外れたようだ。父親の方は、白いスーツにブルーのシャツ、それに赤いネクタイをしめ、フレデリックがなんとかしてかもしだそうとしたお祭り気分を、見事なほどあざやかに体現していた。
ステージは郡庁舎の芝地にしつらえられていた。最初にメソジスト教会の女性聖歌隊がミュージカルの曲をいくつか歌った。つぎにアンクル・サムの衣装を身につけた銀行頭取の娘がバトンを回し、アコーディオン弾きが登場した。フレデリックがステージに上がったのはそのあとである。同僚がみんな、口笛を吹き、足を踏みならして野卑な歓声をあげる。ミセス・ヘイスティングスは息子が注目を集めているのが恥ずかしくてたまらなかった。
「さて、身びいきと非難されるのは避けたいところなんですが」と彼は口を開いた(おそらく何かの冗談、仕事にまつわる冗談にちがいない。男たちが全員、無作法な笑い声をあげているところをみると、おそらく下品な冗談なのだろうとミセス・ヘイスティングスは推測した)。「家族のなかに才能がある者がいるというのに、どうして謙遜して隠さなければいけないのでしょう。わが父、アルバート・ヘイスティングスは、最上級の手品師であります。過去においては、かのフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領に手品を披露するという栄誉に浴しております。わたくしがかねがね申し上げておりますように、ルーズベルト家に良いものは、わたくしたちにとっても良いものなのであります」
男たちの中からふたたび笑い声が上がった。フレデリックはさっと片手を上げた。「レディース・アンド・ジェントルマン、驚異の男、ヘイスティングス!」
アルバートは最初から舞台裏にいた。あのひとと一緒にいなくて良かった、とミセス・ヘイスティングスは思った。きっとあのひとはわたしが怯えているのに気がつくだろうから。それどころか、わたしの怯えがあのひとに感染するかもしれなかったんだから。
真後ろの女性が肩を叩いた。「さぞかし鼻が高いでしょうね」ミセス・ヘイスティングスはしっ、と唇に指を当てた。夫が口を開こうとしているところだ。
もう何年も、夫の前口上は、ほとんど同じものだったのだが、今日の話には一箇所、これまでには聞いたことのない色彩があった。彼女はそれが気になった。感謝します、だなんて。観客に向かって、手品をやらせていただいて、大変ありがたく思っています、と繰りかえし言っている。やらせていただいてありがたい、だって?
十年前、否、五年前だって、決してそんなことを言いはしなかった。これじゃまるで、お情けでダンスを申し込んでもらえたさえない女の子じゃない? 話なんて早く終われば良いのに、と思った。だが、観客は喜んでいる。彼のことをひとりの老人として愛しているのだ。だが、それが夫が求めていた愛なのだろうか? あのひとが追い求めていたのはそんなものじゃない、と彼女は思った。
助手役の孫が舞台に上がった。ミスター・ヘイスティングスは、どなたもお疑いなきよう、この助手は公明正大そのものであります、と言った。まず、その子が三枚のトランプを引く。単純な手品で、すぐに終わった。彼女の目には、観客の拍手喝采が、あまりに過大であるように映った。これは簡単な手品なのに。手始めの、空気を暖めるためだけのものであることを、彼女はよく知っていた。
二番目は魔法の袋の手品だった。小さな袋から、夫は卵をひとつ、オレンジをひとつ、ぶどうを一房、最後にひと瓶のシャンペンを取り出した。「いつも妻にはこの袋を持って、スーパーに行くように言っているのですが、どうにも聞いてもらえません」と言って、客席の最前列にすわっているミセス・ヘイスティングスを身ぶりで示した。夫が舞台から自分に目を留めてくれたときにいつも感じる、興奮に身が震えるような思いを、またしても味わった。ここに至ってやっと彼女の緊張もほぐれてきた。
(この項つづく)