陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

懐かしくはない人たち

2011-02-18 22:02:43 | weblog
信号待ちをしていると、通りの反対側に中年の女性が立っていた。どうも見たことがある……と記憶を辿ると、前に住んでいたところで同じ階の人だった。軽く会釈して、信号が変わるともう一度、こんにちは、と挨拶して、それでおしまい……のはずだった。ところがその人は「まあ、ほんとにお久しぶり。懐かしいわ。お元気でいらっしゃいました?」とわたしの腕に手をかけて押しとどめた。

横断歩道の真ん中である。信号を見上げるわたしに気がついたその人は、手を放して、今度はわたしについてきた。
「いまちょっとよろしい?」
手をかけられたときから、この人の用件にはおぼろげに気がついていたのである。つぎの言葉はほぼ予想通りだった。

「新聞を入れさせていただけません? この近所にお住まいでいらっしゃるの?」

「いやー、新聞、読まないから取ってないんです」
前もそう言って断ったような気がする。事実ではないのだけれど、あまり無下に断るのも気が引けて、つい、そんなことを言ってしまうのである。
なにしろこの人のいう「新聞」というのは、広告などのはさまっていない、というか、見方によっては全部広告ともいえる、例の宗教団体の新聞なのだから。

「またよろしくお願いしますね」
なにかあったら、と名刺を渡してくれて、ほんとうはそんなものはいらなかったのだが、一応受けとって、そこで別れた。わたしが住んでいるところは、そこから目と鼻の先だったのだが、背後でその人が見送っているのがわかったから(それにしてもどうして視線というのは感じるものなのだろう)、そこを行き過ぎ、つぎの角を曲がった。なんでこの寒いのにこんなことをしなきゃならないんだ……と内心思いながら、しばらくあたりをてくてく歩いて、頃合いを見計らって家に帰った。

以前、あの人たちの新聞の勧誘は功徳を積むことだから、どんなに断ったって平気だよ、どんなにひどく断られたって、あの人たちにとっては「またひとつ功徳を積んだ」ってことになってるんだよ、と教えてもらったことがある。以来、あまり罪悪感を覚えることなく、体よく断ってきた。

それにしても、つきあいもない家のドアフォンを鳴らして、頼み事をする、というのは、どのくらい勇気がいるものなのだろう。昔からわたしは、たとえ肉体労働ができたにしても、セールスの仕事はできないなあ、と思っていたのだった。

最近はセールスマンというのをほとんど見かけないが、わたしが子供の頃は、牛乳や新聞や保険の勧誘を初め、化粧品や掃除用具、寝具や学習教材など、いろんなセールスマンがやって来ていた。セールスマン、というか、女の人の方が多かったかもしれない。

話好きな人が多くて、学校から帰ってくると、見たことのない女の人が、玄関のあがりがまちに腰を掛けて、母と話をしていた。スーツ姿で、きれいにお化粧をしているので、セールスの人と近所の人を見間違えることはない。その人たちには何を売りに来ている人でも独特の口調――もの柔らかさと優しさをベースに、同調とお世辞を混在させ、押しつけがましさで塗り固めたような――があって、わたしが帰ってきたころには、たいていは商品の話などしていないのだった。

世間話、というか、この町内の外の話である。新聞のニュースには決して載らない、この町内と同じような町内で起こり、ここから外にはめったに出ていかない母の耳にはなかなか入らないようなできごとなのである。自分が会ったこともない、けれど、自分によく似た人に起こった話や、その人がどうなったかという話を、セールスの人は持ってきた。

のちにマーク・トウェインの短編で、十九世紀半ば、アメリカの各地を回って、いろんな話を伝えるセールスマンの話を読んだときには、わたしが見たそのときの光景を思い出した。人びとがセールスマンの話に耳を傾ける、「その感じ」がありありとわかったのである。その時代、広いアメリカで、「よその町」の話は、いまよりもっと知られることはなかっただろう。自分とよく似た人の話、自分にも起こったかもしれない話は、いったいどれほどの好奇心をかきたてたものだろうか。おそらく話をする側も、商品を売りたい気持ちはもちろんあるだろうが、それ以上に、自分の話に耳を傾け、目を丸くしてくれる相手の反応が、足を運ばせていたのにちがいない。

わが家にやってきたセールスウーマンは、わたしが帰ってきたのをしおに腰を上げ、じゃあまたうかがいますね、とにこやかに帰っていった。そんなとき、たいてい母の手には、乳液だの毛布だの、英語のカセットだのがあった。

いまはインターフォン越しに声が聞こえるだけだから、いりません、必要ないです、興味ありません、とけんもほろろの対応である。昼間、留守にしている家も多いだろう。インターフォンに耳をすませたあげく、尖った声を聞かされるのは、いくらプロフェッショナルといえど、気の滅入ることだろう。かといって、家で仕事をしているときに、ピンポーンと鳴らされて中断を強いられるのは、腹が立つ。いきおいこちらもつっけんどんな声になる。

ところがそういう気の重い仕事が、あの方々にとっては「功徳」なのである。蒙昧な輩に「功徳」を施してくださろうというのであるから、ドアフォンを押す指にも力がこもるだろうし、どれほどのイヤ味を言われようと、いやなことを耐えれば耐えるほど、功徳が積もっていく……と考えれば、雄々しく(?)立ち向かえるのにちがいない。

たまたま以前、近所に住んでいた、というだけの薄い縁でも、新しい住所を確かめて、またそこへ頼み事をしに行く、などということは、自分がやっていることに対して全幅の信頼を寄せていなければできることではない。まあ、そういうのが自分の「救済」がかかっている宗教の宗教たるゆえんである。

どうも、「同窓会名簿を見たら懐かしくなって」「写真の整理をしていたら懐かしくなって」「昔の年賀状を整理していたら懐かしくなって」などと電話がくると、たいてい話はそのうち会わない? となり、やがて、宗教がらみ、セールスがらみであることが判明するものと相場が決まっているようだ。「懐かしくなって」ときたら、ご用心。たいていロクな成り行きにはならない。

もちろん、純粋に懐かしくならないわけがない。「今年こそ会おうね」「東京へ来ることがあったら、絶対連絡してね」などと年賀状の交換をしながら、十年ほど、それっきりのつきあいの友だちもいる。そんな年賀状を見るたびに、懐かしくなるし、今度こそ連絡しようと思う。それでも、そこから先のアクションにつながっていかないのである。どうやら何らかの行動を起こすためには、懐かしさだけでは十分ではないらしい。

もうひとつ、その躊躇には根拠があるのではないか。
過去、親しかった相手にも、現在の生活があり、現在の人間関係があるだろう。ちょうど、いまの自分がそうであるように。
いそがしい毎日、いろいろ不満はあるにせよ、安定した人間関係。そんな安定をかき乱されたくないし、相手のそれもかき乱したくはない。思い出は、思い出として、楽しかった記憶のままで留めておきたい、という気持ちが、どこかにあるのではないか。
ちょうど、お腹が空いていないときに、何もいま、わざわざ食事を取りに出かけようとはしないように。

「懐かしくなって」と連絡してくる人は、懐かしくはないのだ。その代わりに、ほかに強力な動機があるから、「懐かしさ」など、いともたやすく犠牲にできる。その人たちは、「お腹が空いている」のだ。

セールスマンたちは、見知らぬ人の家だから、ドアフォンを鳴らすことができるのだろう。その先にいるのが、幼なじみであったり、昔机を並べて勉強したり、一緒にバレーボールをやったりした相手、自分の思い出と固く結びついた人であれば、それを歪めるのにためらってしまうのではないだろうか。




※このところ、すごく忙しくて、こちらまで手が回りませんでした。
無駄足を踏ませてごめんなさい。また再開していきますのでよろしくお願いします。