以前、こんなことがあった。
駅前のコーヒー屋のカウンターで雨宿りをしていたときのこと。
隣でさきほどからしきりに話をしている男性の声が、ふっと耳に入ってきた。
「バイクに乗るんだ? じゃ、ツーリングとか、ひとりで行くの?」
いかにもしゃべり慣れている人らしい、なめらかな、よどみないしゃべり方。
いわゆるお腹から出す声ではない、ごく少人数しか相手にしない人の発声。
そちらに目をやると、後ろ髪の長い、凝ったヘアスタイルの、三十代ぐらいの男性だった。
その男性が話しかけているのは、わたしの隣に座っている女の子だった。
体を男性の方に向けているので、わたしにはちょうど背を向けた格好になっている。彼女の声が聞き取りにくいのはそのせいばかりではなくて、厚ぼったい背中を丸めて、ぼそぼそとしゃべっているのだった。
「ツーリングっていうか……ときどき一緒に乗りに行く人はいるけど……」
男性の向こうには、おそらく連れらしいもう一人の女性がいた。二十代初め、いまふうの、上にも下にも太めの真っ黒なアイラインを入れている。話を聞いてはいるらしいが、退屈そうな顔をして、柱によりかかるような格好で、その男性とわたしの隣の女の子を眺めていた。
「いまのバイトはどう? パチンコのホールだったら、きついでしょ」
その男性が聞いた。
「いや……カウンターにいるだけだから……」
「あ、そうなんだ。景品の交換とかしてるんだね。顔なじみのお客さんとかと話はよくするの?」
「ときどき……話しかけられることとかありますけど……」
「へえ、そんなときはどうするの? 好みのタイプだったりしたら」
「あぁ……えぇと……あんまりそういうことないから……。話しかけてくるの、たいていおじさんばっかりで」
「あはは、じゃ、眼中にないんだ」
「えぇ……」
「そんなときはどうするの?」
聞いていたわたしは、ああ、人と話をするときは、こんなふうにいろいろ聞いていってもかまわないんだ、ぶしつけになるわけではないんだ、と感心していた。
わたしは自分のほうから「○○は何? ××はどう思う? ~のときどうする?」と、聞いていくことが苦手だ。つい、相手を尋問してるんじゃあるまいし、などと、いろんなこと考えてしまって、聞きたいことがあっても、自分の方から切り出すことができない。
ただ、この男性の話は、そんなことはそれほど気にしなくていいんだ、と思わせるような尋ね方だった。聞きようによっては、ずいぶん詮索がましくも聞こえるのだけれど、聞かれる側はまったく警戒することもなく、ごく自然に、構えるでもなく答えていた。
ともかく、男性の側は、明らかに何か目的があって、その女の子と話している様子だった。それが何なのか、どうもよくわからない。わかりにくい原因のひとつには、聞かれている女の子の反応が鈍いことにもあった。
その子が受け手としてもう少し積極的に対応してくれればいいのに、聞かれたことに対して
「はぃ(この小さい「ぃ」は、「え」と「い」の中間的な音として発音されるす)……」
「えぇ……」
「さぁ……」
ともそもそと言うだけなのだった。
それでもしだいに、その子はいまパチンコ屋でアルバイトしていて、みんなから「天然」と思われていて、二回ほど交換率をめぐって大きな失敗(三千円ぐらいのところに四千円の交換率のものを渡した)をして怒られた、ということはわかった。それでも、話相手のその男性との関係がよくわからない。
やがてその男性が「わかりました、じゃ、ここらへんで。また電話しますね。いい電話ができるといいんだけど」と言った瞬間、わたしははっと理解したのだった。
さて、みなさんはこのふたり、どういう関係だかわかりますか?
わたしが知り得た情報はすべて提示しました。
これはバイトの面接だったのだ。
この男性は雇用者、いまパチンコ屋で働いているという女の子は、彼の経営する店の販売員に応募してきた女の子だったのだ。
その嵩高い女の子がいなくなって、わたしのところから、店長が手にしている折り目のついた用紙は、履歴書であることが見えた。バイクの話も、パチンコ屋のバイトも、そこにすべて書いてあることだったのだ。
ほどなく男性ともうひとりの女の子が話を始めた。
「あなた」という二人称に微妙にストレスを置いて、男が言った。
「素直でいい子だとは思うんだ。だけどね、あなたの仕事が増えることになるかもしれない。何時に出勤して、出勤したらすぐあれとこれをやって、って、いちいち説明しなきゃ、あの子はやってくれないよ」
「あたし、そういうのダメなんです。自分からぱーっとやっちゃう」
「そうだと思う。あなたはそういう人だ。だけどね、それだとあの子はいつまでたっても使い物にならない。あの子を使えるようにしようと思ったら、あなたは何度も何度も口で説明してやらなきゃいけない」
「あたし、そういうのストレス溜まっちゃって、キーッとなっちゃう」
「だけど、あなたはそれをやらなきゃいけない。どう、それができそう?」
どうやらその男性は経営者、ギャル風のおねえちゃんはその店の「雇われ店長」らしい。
声だけ聞いているときは、もっと若いように思ったのだが、服装やヘアスタイルは若いけれど、目尻の皺や首筋を見ると、三十代後半か、四十代に入ったくらいの男性だった。
それにしてもえらく個人的な面接のやりかたをするものだな、と思った。
これまでわたしも何度か面接は受けてきたが、いつも面接を受ける場はその職場の一室で、そんな雑談混じりのものではない、一問一答式の、こちらもスクエアなら、向こうもスクエア、「面接」という儀式にのっとったものだった。
そこでやりとりされる表面的な情報は限られたものであっても、公式の場面でどのような受け答えができるのか、形式的な設問にこめられた意図を瞬時に読みとって、求められる「正解」を探り当てる能力の有無、そういうものがそのような場では試される、そういうのが面接だと思っていたのだった。
ところがその面接というのは、それはそれで実に見事なものだった。
おそらくは時給も安い、高校生あたりを相手にするチープな洋服やアクセサリーを売る店ではないかと思う。そういうところでは、相手の経歴(○○高校卒)などの肩書きなど何の意味もない。
そうではなくて、その人間が、お客さんに対してどんな対応ができるか(いやな印象を与えず、また来たいと思わせるような対応ができるか)、労働者として、どのくらいの能力を持ち、学習能力があるか、ともに働く人間としてどうか。
そんな雑談混じりの面接は、そういうものが伝わる面接だったのだ。
わたしはそうした面接が、その種の業界ではありふれた方式なのかどうかよくわからなかったのだけれど、それはそれですごいものだな、と感心したのだった。
もちろんそれは労働者として熟練させるとかいったものでは全然なく、一種の使い捨てのような雇用ではあるのだろうが、そうしてそういうありかたの当否を問うことももちろんできるのだろうが、それとは別に、現場は現場でそういうやり方を洗練させていっているのだなと思ったのだった。
あの背中の丸い、がっちりした女の子は、面接に受かったのだろうか。
駅前のコーヒー屋のカウンターで雨宿りをしていたときのこと。
隣でさきほどからしきりに話をしている男性の声が、ふっと耳に入ってきた。
「バイクに乗るんだ? じゃ、ツーリングとか、ひとりで行くの?」
いかにもしゃべり慣れている人らしい、なめらかな、よどみないしゃべり方。
いわゆるお腹から出す声ではない、ごく少人数しか相手にしない人の発声。
そちらに目をやると、後ろ髪の長い、凝ったヘアスタイルの、三十代ぐらいの男性だった。
その男性が話しかけているのは、わたしの隣に座っている女の子だった。
体を男性の方に向けているので、わたしにはちょうど背を向けた格好になっている。彼女の声が聞き取りにくいのはそのせいばかりではなくて、厚ぼったい背中を丸めて、ぼそぼそとしゃべっているのだった。
「ツーリングっていうか……ときどき一緒に乗りに行く人はいるけど……」
男性の向こうには、おそらく連れらしいもう一人の女性がいた。二十代初め、いまふうの、上にも下にも太めの真っ黒なアイラインを入れている。話を聞いてはいるらしいが、退屈そうな顔をして、柱によりかかるような格好で、その男性とわたしの隣の女の子を眺めていた。
「いまのバイトはどう? パチンコのホールだったら、きついでしょ」
その男性が聞いた。
「いや……カウンターにいるだけだから……」
「あ、そうなんだ。景品の交換とかしてるんだね。顔なじみのお客さんとかと話はよくするの?」
「ときどき……話しかけられることとかありますけど……」
「へえ、そんなときはどうするの? 好みのタイプだったりしたら」
「あぁ……えぇと……あんまりそういうことないから……。話しかけてくるの、たいていおじさんばっかりで」
「あはは、じゃ、眼中にないんだ」
「えぇ……」
「そんなときはどうするの?」
聞いていたわたしは、ああ、人と話をするときは、こんなふうにいろいろ聞いていってもかまわないんだ、ぶしつけになるわけではないんだ、と感心していた。
わたしは自分のほうから「○○は何? ××はどう思う? ~のときどうする?」と、聞いていくことが苦手だ。つい、相手を尋問してるんじゃあるまいし、などと、いろんなこと考えてしまって、聞きたいことがあっても、自分の方から切り出すことができない。
ただ、この男性の話は、そんなことはそれほど気にしなくていいんだ、と思わせるような尋ね方だった。聞きようによっては、ずいぶん詮索がましくも聞こえるのだけれど、聞かれる側はまったく警戒することもなく、ごく自然に、構えるでもなく答えていた。
ともかく、男性の側は、明らかに何か目的があって、その女の子と話している様子だった。それが何なのか、どうもよくわからない。わかりにくい原因のひとつには、聞かれている女の子の反応が鈍いことにもあった。
その子が受け手としてもう少し積極的に対応してくれればいいのに、聞かれたことに対して
「はぃ(この小さい「ぃ」は、「え」と「い」の中間的な音として発音されるす)……」
「えぇ……」
「さぁ……」
ともそもそと言うだけなのだった。
それでもしだいに、その子はいまパチンコ屋でアルバイトしていて、みんなから「天然」と思われていて、二回ほど交換率をめぐって大きな失敗(三千円ぐらいのところに四千円の交換率のものを渡した)をして怒られた、ということはわかった。それでも、話相手のその男性との関係がよくわからない。
やがてその男性が「わかりました、じゃ、ここらへんで。また電話しますね。いい電話ができるといいんだけど」と言った瞬間、わたしははっと理解したのだった。
さて、みなさんはこのふたり、どういう関係だかわかりますか?
わたしが知り得た情報はすべて提示しました。
これはバイトの面接だったのだ。
この男性は雇用者、いまパチンコ屋で働いているという女の子は、彼の経営する店の販売員に応募してきた女の子だったのだ。
その嵩高い女の子がいなくなって、わたしのところから、店長が手にしている折り目のついた用紙は、履歴書であることが見えた。バイクの話も、パチンコ屋のバイトも、そこにすべて書いてあることだったのだ。
ほどなく男性ともうひとりの女の子が話を始めた。
「あなた」という二人称に微妙にストレスを置いて、男が言った。
「素直でいい子だとは思うんだ。だけどね、あなたの仕事が増えることになるかもしれない。何時に出勤して、出勤したらすぐあれとこれをやって、って、いちいち説明しなきゃ、あの子はやってくれないよ」
「あたし、そういうのダメなんです。自分からぱーっとやっちゃう」
「そうだと思う。あなたはそういう人だ。だけどね、それだとあの子はいつまでたっても使い物にならない。あの子を使えるようにしようと思ったら、あなたは何度も何度も口で説明してやらなきゃいけない」
「あたし、そういうのストレス溜まっちゃって、キーッとなっちゃう」
「だけど、あなたはそれをやらなきゃいけない。どう、それができそう?」
どうやらその男性は経営者、ギャル風のおねえちゃんはその店の「雇われ店長」らしい。
声だけ聞いているときは、もっと若いように思ったのだが、服装やヘアスタイルは若いけれど、目尻の皺や首筋を見ると、三十代後半か、四十代に入ったくらいの男性だった。
それにしてもえらく個人的な面接のやりかたをするものだな、と思った。
これまでわたしも何度か面接は受けてきたが、いつも面接を受ける場はその職場の一室で、そんな雑談混じりのものではない、一問一答式の、こちらもスクエアなら、向こうもスクエア、「面接」という儀式にのっとったものだった。
そこでやりとりされる表面的な情報は限られたものであっても、公式の場面でどのような受け答えができるのか、形式的な設問にこめられた意図を瞬時に読みとって、求められる「正解」を探り当てる能力の有無、そういうものがそのような場では試される、そういうのが面接だと思っていたのだった。
ところがその面接というのは、それはそれで実に見事なものだった。
おそらくは時給も安い、高校生あたりを相手にするチープな洋服やアクセサリーを売る店ではないかと思う。そういうところでは、相手の経歴(○○高校卒)などの肩書きなど何の意味もない。
そうではなくて、その人間が、お客さんに対してどんな対応ができるか(いやな印象を与えず、また来たいと思わせるような対応ができるか)、労働者として、どのくらいの能力を持ち、学習能力があるか、ともに働く人間としてどうか。
そんな雑談混じりの面接は、そういうものが伝わる面接だったのだ。
わたしはそうした面接が、その種の業界ではありふれた方式なのかどうかよくわからなかったのだけれど、それはそれですごいものだな、と感心したのだった。
もちろんそれは労働者として熟練させるとかいったものでは全然なく、一種の使い捨てのような雇用ではあるのだろうが、そうしてそういうありかたの当否を問うことももちろんできるのだろうが、それとは別に、現場は現場でそういうやり方を洗練させていっているのだなと思ったのだった。
あの背中の丸い、がっちりした女の子は、面接に受かったのだろうか。