2.晦日の買い物
暮れの買い物は、何を買いに行ったにしても楽しいものだった。
母に連れられて電車に乗ってデパートに行くこともあったし、人であふれかえる近所の商店街を、はぐれないように母の背に目を凝らしてついて歩いたことも、父親と一緒に両脇にしめ縄や盆栽を並べた露店が続く通りを歩いたこともあった。
暮れの買い物は、ふだんの買い物とはずいぶんようすがちがうものだった。
正月を迎えるための、しめ縄飾りや切り花、お節料理やお雑煮に使う食材、果物やお菓子もいまのように元日や二日から店が開いていることもなく、三が日を終えるまでの分、ということで、何度かに分けてずいぶん大量に買い込んでいたように思う。
しめ縄飾りを買いに行ったのはどこだったのだろう。
よく晴れた空の下、左右にずらりと露台が並ぶ通りを、父に手を引かれてぶらぶらと歩いた記憶がある。あるいは、こんどはわたしが小さな弟の手を引いて歩いた記憶。弟がしめ縄飾りについている橙を「小さいミカン」と呼ぶので、あれはダイダイだよ、と教えてやると、「ダイダイ」という言葉の響きがおかしいらしく笑い転げたので、わたしも何度も「ダイダイ」と繰りかえし、そのたびに弟は身を折って笑うのだった。
そうした露台のなかには盆栽を売っているところもあった。
当時、何度か箱庭を作る機会があったわたしは、その箱庭の中に盆栽の木を植えてやったら、それはそれは立派な箱庭ができるにちがいないと思い、ひとつ買ってくれ、どうしてもひとつほしい、とねだったのだった。
これがいい、とわたしが指したのは、おそらく高い鉢だったのだろう。売っているおじさんは、おじょうちゃん、目が高い、と誉められたのはうれしかったが、父は、とんでもない、と首を横にふり、買ってもらったのはそれよりずいぶんみすぼらしい、それでも確か、松だったのだろうと思う。袋に入れてもらい、だんだん重くなってくるのをふうふういいながら両手でささげて持って帰ると、母に、なんでまたそんなものを、とあきれられたのだった。おそらく箱庭にはしなかったと思うのだが、その盆栽がどうなったか、まったく記憶には残っていない。間もなく忘れ、そのうちに枯らしてしまったのだろうか。
母に連れられて、電車に乗ってデパートに行くこともあった。
遠出をするのは楽しかったが、人でごったがえすデパートはうんざりするほど暑く、自分のものを買ってもらってしまうと、あとはただ買い物が終わるのを待つだけになり、早く帰ろう、と文句を言いでもしたのだろう、屋上で遊んでいるように、といくばくかの小銭を持たされ、母が買い物を終えるまで待つように言われたこともあった。
乗り物を二、三度乗ってしまえばなくなるぐらいの金額をにぎりしめ、どうしようか迷っていたのだと思う。するとわたしより少し上の男の子が寄ってきて、アメをとってやるから、と言って、わたしにお金を出せ、と言ったのだった。
わたしはもちろんその男の子が少し怖かったけれど、それでも相手は同じ小学生、知らない大人に感じる怖さとは全然質がちがっていた。
それはどういうゲーム機だったのか、お金でコインを何枚か買い、そのコインを落としてアメにぶつけ、下に落とす、というようなものではなかったかと思う。ともかくあっという間にお金はなくなり、その男の子はひどくあわてて、滑稽なぐらい何度もわたしに謝り、ごめん、もういっかい、絶対今度は取り返すから、と両手を合わす。そんなことをするその子とはもう話をするのもイヤで、わたしは別の方に歩いていったのだが、それでもあとをついてくる。困っていたところに母があがってきて、ほんとうにホッとしたのだった。
それから十年ほどして、わたしが高校生の頃、駅で小学校の高学年ぐらいの男の子からお金をせびられたことがあった。
電車賃を落としてしまった、百円ください、という。お金なら、駅員さんに頼んだら貸してくれますよ(実はわたしは定期を落としてそうやって駅員さんにお金を借りて家に帰ったことがある)、と教えてやったら、すっと向こうへ行き、今度は別の人に同じことを言い、そこでも断られたのだろう、つぎつぎにそうやって声をかけていた。
その子を見ていると、もちろん遠いあの日に屋上で会った男の子と同じ子であるはずはなかったが、わたしには同じように思えてしまったのだった。
駅の券売機の前をうろうろしていた男の子は、同じように暮れだったのだが、黄土色で胸のところに赤い太い縞が二本入ったセーターを着ただけ、上着も着ずにいたのだが、デパートで会った男の子も、どういうわけかそっくり同じ格好をしていたように思えて仕方がないのだ。
いまもどこかにそんなふうに小銭をねだりながらうろうろしている男の子がいるような気がする。それは人間の子というより、人間の子の姿を借りた、何か別の、都市の隙間に潜む座敷わらしとかそんなものではないか、というような気がするのだ。
(この項つづく)
暮れの買い物は、何を買いに行ったにしても楽しいものだった。
母に連れられて電車に乗ってデパートに行くこともあったし、人であふれかえる近所の商店街を、はぐれないように母の背に目を凝らしてついて歩いたことも、父親と一緒に両脇にしめ縄や盆栽を並べた露店が続く通りを歩いたこともあった。
暮れの買い物は、ふだんの買い物とはずいぶんようすがちがうものだった。
正月を迎えるための、しめ縄飾りや切り花、お節料理やお雑煮に使う食材、果物やお菓子もいまのように元日や二日から店が開いていることもなく、三が日を終えるまでの分、ということで、何度かに分けてずいぶん大量に買い込んでいたように思う。
しめ縄飾りを買いに行ったのはどこだったのだろう。
よく晴れた空の下、左右にずらりと露台が並ぶ通りを、父に手を引かれてぶらぶらと歩いた記憶がある。あるいは、こんどはわたしが小さな弟の手を引いて歩いた記憶。弟がしめ縄飾りについている橙を「小さいミカン」と呼ぶので、あれはダイダイだよ、と教えてやると、「ダイダイ」という言葉の響きがおかしいらしく笑い転げたので、わたしも何度も「ダイダイ」と繰りかえし、そのたびに弟は身を折って笑うのだった。
そうした露台のなかには盆栽を売っているところもあった。
当時、何度か箱庭を作る機会があったわたしは、その箱庭の中に盆栽の木を植えてやったら、それはそれは立派な箱庭ができるにちがいないと思い、ひとつ買ってくれ、どうしてもひとつほしい、とねだったのだった。
これがいい、とわたしが指したのは、おそらく高い鉢だったのだろう。売っているおじさんは、おじょうちゃん、目が高い、と誉められたのはうれしかったが、父は、とんでもない、と首を横にふり、買ってもらったのはそれよりずいぶんみすぼらしい、それでも確か、松だったのだろうと思う。袋に入れてもらい、だんだん重くなってくるのをふうふういいながら両手でささげて持って帰ると、母に、なんでまたそんなものを、とあきれられたのだった。おそらく箱庭にはしなかったと思うのだが、その盆栽がどうなったか、まったく記憶には残っていない。間もなく忘れ、そのうちに枯らしてしまったのだろうか。
母に連れられて、電車に乗ってデパートに行くこともあった。
遠出をするのは楽しかったが、人でごったがえすデパートはうんざりするほど暑く、自分のものを買ってもらってしまうと、あとはただ買い物が終わるのを待つだけになり、早く帰ろう、と文句を言いでもしたのだろう、屋上で遊んでいるように、といくばくかの小銭を持たされ、母が買い物を終えるまで待つように言われたこともあった。
乗り物を二、三度乗ってしまえばなくなるぐらいの金額をにぎりしめ、どうしようか迷っていたのだと思う。するとわたしより少し上の男の子が寄ってきて、アメをとってやるから、と言って、わたしにお金を出せ、と言ったのだった。
わたしはもちろんその男の子が少し怖かったけれど、それでも相手は同じ小学生、知らない大人に感じる怖さとは全然質がちがっていた。
それはどういうゲーム機だったのか、お金でコインを何枚か買い、そのコインを落としてアメにぶつけ、下に落とす、というようなものではなかったかと思う。ともかくあっという間にお金はなくなり、その男の子はひどくあわてて、滑稽なぐらい何度もわたしに謝り、ごめん、もういっかい、絶対今度は取り返すから、と両手を合わす。そんなことをするその子とはもう話をするのもイヤで、わたしは別の方に歩いていったのだが、それでもあとをついてくる。困っていたところに母があがってきて、ほんとうにホッとしたのだった。
それから十年ほどして、わたしが高校生の頃、駅で小学校の高学年ぐらいの男の子からお金をせびられたことがあった。
電車賃を落としてしまった、百円ください、という。お金なら、駅員さんに頼んだら貸してくれますよ(実はわたしは定期を落としてそうやって駅員さんにお金を借りて家に帰ったことがある)、と教えてやったら、すっと向こうへ行き、今度は別の人に同じことを言い、そこでも断られたのだろう、つぎつぎにそうやって声をかけていた。
その子を見ていると、もちろん遠いあの日に屋上で会った男の子と同じ子であるはずはなかったが、わたしには同じように思えてしまったのだった。
駅の券売機の前をうろうろしていた男の子は、同じように暮れだったのだが、黄土色で胸のところに赤い太い縞が二本入ったセーターを着ただけ、上着も着ずにいたのだが、デパートで会った男の子も、どういうわけかそっくり同じ格好をしていたように思えて仕方がないのだ。
いまもどこかにそんなふうに小銭をねだりながらうろうろしている男の子がいるような気がする。それは人間の子というより、人間の子の姿を借りた、何か別の、都市の隙間に潜む座敷わらしとかそんなものではないか、というような気がするのだ。
(この項つづく)