陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

サキ 「マルメロの木」

2008-01-03 22:25:42 | 翻訳
今日はサキの短編 "The Quince Tree" の全文訳をお送りします。あの「開いた窓」のヴェラが少し大きくなって登場します。
原文は
http://haytom.us/showarticle.php?id=67で読むことができます。

-----
マルメロの木("The Quince Tree")

by サキ



「わたし、さっきベッツィ・マレンおばあさんのお宅にうかがってきたところなんです」ヴェラは叔母のベバリー・クランブルに報告した。「あの人、家賃のことで困ってらしたわ。四ヶ月分近く溜まってるうえに、それをどうやって払ったらいいかもわからないんですって」

「ベッツィ・マレンなら、昔からずっと家賃に四苦八苦してたのよ、人が助けてくれたおかげで、なんとかやってこれたようなものなの」叔母は答えた。「わたしはもうこれ以上助けてやるつもりなんてありません。ほんとうならもっと手狭で安い家に引っ越してるところよ。この村の反対側にだって、いまの家賃、っていうのか、払うことになってる家賃って言った方がいいわね、ともかくその半額の家だって何軒もあるのよ。わたしは一年も前から、引っ越した方がいいわよ、ってずっと言ってきたんです」

「でもね、あそこの庭ほどすてきな庭はほかにはないと思いません?」とヴェラは言い返した。「それに庭の隅にはとってもステキなマルメロの木があるんですよ。教区中探したってあそこまで立派な木は一本もないと思うわ。なのにベッツィさんったらマルメロのジャムを作ろうともしない。あんなに立派な木があるのに、ジャムを作らないなんて、きっと強い意志をお持ちの方なんだわ。きっとベッツィさん、あの庭から離れることなんて不可能なんでしょうね」

「十六歳の娘なら」ミセス・ベバリー・クランブルはにべもない調子で言った。「ちょっとしたくないぐらいのことを不可能だなんて言ってもいいわ。だけどね、引っ越せないはずがないし、そうした方がベッツィ・マレンのためにもなるんです。だいいち、いくら大きな家に住んでたって、ろくすっぽ家具さえ持ってないじゃありませんか」

「貴重っていうなら」しばらくしてヴェラが言った。「ベッツィさんのお宅には、あたり数十キロ界隈のどこの家にあるよりも貴重なものがあるんです」

「ばかばかしい」叔母は言った。「骨董品の磁器ならもうずいぶん前に手放してるわ」

「何もベッツィさんがお持ちのものについて言ってるんじゃありません」ヴェラは声を曇らせた。「だけど、もちろん叔母様はわたしが知ってることはご存じじゃないんだから、こんなこと言っちゃいけないんだわ」

「教えてちょうだい、いますぐ」叔母の声は大きくなった。それまで退屈してうとうとしていたテリヤが、ネズミを捕まえられるのではないかという期待に目を輝かすように、彼女の五感は一気に覚醒したかのようだ。

「ほんと、このことは言っちゃいけないと思うんです」ヴェラは言った。「だけど、わたし、ときどきしちゃいけないことをやっちゃうのよね……」

「わたしだってしちゃいけないようなことをしなさい、なんて言うような人間ではありませんけどね」ミセス・ベバリー・クランブルはいかにも重々しい調子になった。

「わたし、そんなきちんとした人の前に出るといつも、気分がぐらついちゃうんです」ヴェラは認めた。「だから、言っちゃいけないってことはわかってるんだけど、お話しします」

ミセス・ベバリー・クランブルは、むりもないことではあるが、破裂しそうなかんしゃく玉をなんとか腹の底へ押しとどめて、じりじりした調子でたずねた。

「ベッツィ・マレンの家に何があるからってあなたはそんなに大騒ぎしてるの?」

「わたしが大騒ぎしてる、っていう言い方は正しくありません」ヴェラは言った。「このことを誰かに言うのは初めてなんです。でも、おもしろいですわね、新聞で憶測が乱れ飛んだり、警察や探偵が国内や外国を探し回っているっていうのに、あの一見、平和そうな家に秘密が隠されてるなんて」

「まさかあなたが言ってるのは、ルーヴル美術館の絵、ほら、モナとかなんとかいう笑っている女の絵、二年前に行方不明になったあの絵のことを言ってるんじゃないでしょうね?」だんだん興奮してきた叔母の声は悲鳴に近くなっていた。

「あら、そのことじゃないんです。でも、値打ちにかけては勝るともおとらないぐらいのものなんです、おまけにミステリアスな――どちらかというと、スキャンダラスって言った方がいいかもしれません」

「もしかして、ダブリン……?」(※1907年7月、アイルランドのダブリン城で、王冠用の宝石が盗まれたことを指している)

ヴェラはうなずいた。

「それがまるごと」

「それがベッツィの家に? まさか!」

「もちろんベッツィさんはあれがそんなものだなんて全然ご存じじゃないんです」ヴェラは言った。「知ってるのは、何か値打ちのあるもので、そのことについては秘密にしておかなきゃならない、ってことだけ。それが本当は何で、どこから来たのかわたしが知ったのも、ひょんなことからだったんです。あのね、あれを手に入れた人たちが、どこか安全なところに保管できないか、もう万策尽き果てたときに、そのうちのひとりがこの村を車で通りかかって、あのこぢんまりしてひっそり建っている家を見つけたんです。この家こそまさにうってつけだ、って。そうしてミセス・ランパーがベッツィさんに話をつけて、こっそり家に持ち込んだんです」

「ミセス・ランパーが?」

「そうです。あの人、このあたりの家をしょっちゅう行ったりきたりしてるでしょう?」

「それは知ってるけど、あの人は石けんやフランネルや教化用の印刷物を困っているお宅に配って歩いてるんでしょう」ミセス・ベバリー・クランブルは言った。「そういうものと盗んだものをさばくのとではわけがちがうわ。あの人だって、その出どころぐらいは知ってるでしょうに。新聞を読めばだれだって、どれほどお気楽な人だって、盗まれたものだって気がつくはずだもの。きっと、それは一目でわかるものでしょうし。ミセス・ランパーって人は、これまでずっと良心的だっていう評判の高い人ですもの」

「もちろんあの人はほかの人たちのカモフラージュなんです」ヴェラは言った。「この事件の特徴は、立派できちんとした人がそれはそれは大勢、ほかの誰かの盾になるために、かかわっていることなんです。叔母様だってこれに関わり合っている人たちの名前をお聞きになったら、たぶん、ものすごくびっくりなさると思うわ。なのにだれひとりとして、もともとの容疑者が誰なのか知らないみたいなんです。わたしもこうやって叔母様をあの家の秘密を話して、ごたごたに巻き込んでしまったんだわ」

「間違いなく、わたしは巻き込まれてなんかいません」ミセス・ベバリー・クランブルは憤然として言った。「わたしは誰もかばうつもりなんてありませんからね。このことはすぐに警察に通報します。盗人は盗人ですよ、誰が関わり合いになっていようとね。立派な人だって、盗まれたものを受け取ったり、始末したりすれば、その人はもう立派じゃなくなってるんです。それだけのことよ。わたしはすぐに電話しなきゃ……」

「あら、叔母様」ヴェラはとがめるような声を出した。「気の毒なキャノンさんの心臓は破裂してしまうでしょうね。もしキャスバートがこのスキャンダルに巻き込まれてるってわかったら。そうじゃなくて?」

「キャスバートがかかわってるの? わたしたちがみんなどれだけキャスバートのことを大切に考えてるかわかっていて、そんなことを言ってるの?」

「もちろんわたしだって、叔母様があの人のことをそれはそれは大切に考えてることも、ベアトリスと婚約してることも知ってます。あのふたりはそれはそれはお似合いですもの。叔母様の義理の息子としても、これ以上はないくらいの人でしょうね。でもね、キャスバートのアイデアなんですよ、あれをあの家に隠そうと思いついたのは。それに運んだのもキャスバートの車だったんです。もっともキャスバートがそんなことをやったのは、友だちのペギンスン、ご存じでしょう、あのクウェーカー教徒の、いつも海軍の軍縮を訴えてる人を助けるためだったんです。わたし、なんでこんなことに関わり合いになったのかは忘れちゃったけど。この件には立派な人がたくさんかかわっている、って言ったでしょう。わたしが、ベッツィがあの家から引っ越すのは不可能だって言ったのは、そういう意味だったんです。かなり場所をとるものなんです。だからほかの家財道具と一緒に運んだらずいぶん人目を引くでしょう。もちろんもし病気になりでもしたら、やっぱり大変なことになるでしょうね。以前うかがったんですけど、ベッツィさんのお母さまは九十歳を越えるまで生きてらしたんですって。ですから、きちんとお世話してさしあげて、心配するようなことも取り除いてあげたら、おそらく十年以上はお元気でいらっしゃるはず。そのころまでには、いくらなんでもあの厄介なものも片がつく手はずも整うでしょうし」

「キャスバートにはいずれ話すことにするわ――結婚式が終わったら」ミセス・ベバリー・クランブルはそう言った。



「結婚式は来年までないし」ヴェラは親友にこの話をしたあとでこういった。「それまでベッツィは家賃は払わなくていいし、スープは週に二回は飲ませてもらえる。おまけにちょっと指が痛いとでも言ったなら、叔母の医者が駆けつけることになったの」

「だけどその事件のこと、あなたどうして知ったの?」友だちは感心したように聞いた。

「そこが秘密」ヴェラが言った。

「もちろん秘密っていうのはわかってるわ。だからみんながびっくりしてるんじゃない。なによりもわたしがよくわからないのは、どうしてあなたが……」

「ああ、宝石のこと? それはわたしが考えた部分」ヴェラは言った。「わたしが秘密っていったのはベッツィおばあさんの溜まった家賃がどこから出たかってことよ。ベッツィもあのステキなマルメロの木と別れるのはいやだろうなって思ったから」


The End


明日・明後日はお休みです。
では6日にまたお会いしましょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿