陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ロアルド・ダール「ウィリアムとメアリー」その13.

2011-11-07 11:51:53 | 翻訳
その13.


 ミセス・パールはしばらく黙り込んでいた。

「ええ、そうね」やっと口を開いたが、先ほどまでとは打って変わって、ひどく弱々しい、疲れた響きだった。「そちらへうかがって、あの人がどんなだか見た方がいいんでしょうね」

「それはよかった。そうなさるだろうと思っていました。ここでお待ちしています。三階の私のオフィスにじかにいらしてください。では、失礼します」

 半時間後、ミセス・パールは病院にいた。

「彼の様子を見て、驚いてはなりません」ランディは彼女と並んで廊下を歩きながらそう言った。

「驚いたりしませんわ」

「最初のうち、おそらく多少、動揺されることでしょう。あまり現在の彼の様子は、きわめて魅力的とは言い難いですからな」

「あの人の外見と結婚したわけではありませんわ、先生」

 ランディは振り返ると、まじまじと彼女を見た。何だかおかしな、ちっぽけな女だな、と彼は思った。大きな目をしているが、無愛想で、なにかに腹を立てている感じだ。顔立ちは、おそらく昔はきれいだったのだろうが、もはや当時の面影もない。だらしなく開いた口元、こけた頬はたるんでいる。喜びのない結婚生活を長年おくってきたせいで、少しずつ、だが確実に顔全体が崩壊しつつある、という印象だ。ふたりはしばらく黙ったまま歩いていった。

「中に入ったら、時間をかけてください」ランディは言った。「あなたが入っただけでは彼にはわからない。彼の眼の真上に顔を出すまではね。眼はいつも見開いた状態にありますが、まったく動かすことはできません。だから視界は大変狭いんです。いまのところ、天井を見るように設置しています。もちろん何も聞こえません。だから私たちは話し放題ってわけですよ。さて、この中です」

 ランディはドアを開き、小さな四角い部屋に招じ入れた。

「まだそばには行かない方がいい」とランディは言うと、ミセス・パールの腕に手をかけた。「奥さんがあれに慣れてしまうまで、一緒にここにいましょう」

 部屋の真ん中にある白い、丈の高いテーブルの上に、白いほうろうびきの、ちょうど洗面器ほどの大きさの容器が置いてある。そこから五、六本、細いビニールのチューブが伸びていた。そのチューブはたくさんのガラス管につながっていて、人工心臓から出入りする血液の流れが見えた。機械の立てる静かでリズミカルな鼓動が聞こえてい
る。

「彼はあそこにいます」ランディは、容器を指して言ったが、高すぎて彼女のところからは中を見ることはできなかった。「もうちょっと近くへ行ってみましょう。でも、近づきすぎないで」

 彼は二歩、前へ進ませた。

 首を伸ばすと、ミセス・パールにも容器の中の液体の表面が見えた。透き通って静かな水面には、小さな楕円形のカプセルが浮かんでいる。ちょうど鳩の卵ほどの大きさだ。

「あそこにあるのが眼です」ランディは言った。「あれが見えますか?」

「はい」

「私たちにわかっている限りでは、完璧な状態にあります。あれは彼の右目で、プラスティックの容器にはかつて彼がかけていた眼鏡のレンズと同様のものが装填されています。いま、このときもおそらくかつてと同じくらい、はっきりと見えているはずです」

「天井なんて見るほどのものじゃないでしょうに」ミセス・パールは言った。

「その点はご心配なく。私たちは現在、彼を楽しませるプログラムを作成しつつあります。とはいえ、最初からあまり先走ったまねはしたくない」

「良い本を見せてあげて」

「もちろんですとも。そうしますよ。ご気分は悪くはないでしょうか、パールさん」

「大丈夫です」

「ではもう少し前に出ましょう。そうすれば、すべてをご覧になれますよ」


(この項つづく)





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