hiyamizu's blog

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『文豪と借金』を読む

2023年10月01日 | 読書2

 

「文豪と借金」編集部・編『文豪と借金 泣きつく・途方に暮れる・踏みたおす・開きなおる・貸す六十八景』(2020年4月29日方丈社発行)を読んだ。

 

方丈社の内容紹介

文豪といえども、お金のことになると、なりふりかまっていられない。
そんな赤裸々な姿が描かれた作品の数々、笑って読み始めていると、次第に胸を打ちます。
「ふざけたことに使うお金ではございません。たのみます」(太宰治)。
「若し、無理に庵を押し出されるような事があれば、意識的に、食を絶って、放哉、死にます……」(尾崎放哉)、 「何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く」(石川啄木)など、 すべてをさらけ出しながらも筆致が光ります。

 

文豪五十九人の借金名言集。
現代のさわやかな作家たちと違い、昔の文豪たちはもともと金に恵まれなかったり、破滅型で浪費して借金まみれになったり、極端に貧乏な人が多かったようだ。
文豪が手紙やエッセイの中、あるいは作品の中で、借金をこいねがい、踏み倒したときの名言を集めている。

 

下に、方丈社のサイトから図をお借りする。

 

太宰治「太宰治の手紙」  淀野隆三宛

私なども何か貴兄のお役に立つように、なりたいと、死にたい、死にたい心を叱り叱り、一日一日を生きて居ります。唐突で、冷汗したたる思いでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし。

謹啓
私の、いのちのために、おねがいしたので、ございます。
誓います。生涯に、いちどのおねがいです。

拝啓
こんなに、たびたび、お手紙さしあげ、羞恥のために、死ぬる思いでございます。……まことに生涯にいちどでございます。

 

太宰治「悶悶日記」

ゆうべ、一円五十銭のことで、三時間も家人と言い争いいたしました。残念でなりません。

 

石川啄木「啄木の借金メモ」(宮崎郁雨)

 約60名の氏名と借金額のメモ

 

石川啄木「悲しき玩具」

何故かうかとなさけなくなり、/弱い心を何度も叱り/金かりに行く。

 

芥川龍之介「芥川龍之介書簡集」

当時大阪毎日新聞社学芸部長の薄田泣菫に宛てて、

あからさまな借金申し込みではないが、小説を書くという口約束で、生活すべてを面倒みてほしいと泣きついている。

 

薄田泣菫「天文学者」

「主婦(おかみ)さん、僕はここでちょっと天文学の講釈をするがね。凡てこの世界にあるものは、二千五百万年経つと、また元々通りに還って来るという事になっている。してみると、僕も二千五百万年後には、やはり今のようにお前さんの店で午飯を食っているはずなのだ。ところで物は相談だが、この勘定をそれまで掛にしておいてはくれまいかね。」
「ええ、よござんすとも。」と、主婦は愛想笑いをしながら言った。「忘れもしません。ちょうどいまから二千五百万年前にも、旦那は今日のように、手前どもの店でお午飯を召し食って下さいましたが、その折のお勘定が唯今戴けますなら、今日のはこの次までお待ち致しましょう。」

 

田村隆一「青山さん」

女性は短大の英文科を卒業したばかりの色白のポッチャリした可愛い女の子で、ぼくがワイセツなことを云ってからかうと、顔をあからめるのである。それでもときおり二百円貸してくれて、ぼくはそのお金で新橋のカストリ横町で、カストリ焼酎を飲んだものである。……
後年、彼女は流行作家になり、『紀ノ川』や『恍惚の人』を書くことになる。

 

樋口一葉「日記」

昨日より、家のうちに金といふもの一銭もなし。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

昔の小説家の多くは、作家というより文士と呼ばれたように、破滅型でない作家でも、つねに貧乏で、たまに入った金も敢えて浪費してしまい、豊かな生活に浸らないようにしていたのではないかと疑われる。

そして、借金するときはこれ以上ない哀れを装い、借りた金は当然の権利のように踏み倒す。こんな精神構造でないと小説は書けなかったのだろうか?

現代のスマートは作家さんとの差はどこから生じて来たのだろうか?

コメント (2)
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