hiyamizu's blog

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フジヤマのトビウオ 

2021年02月02日 | 昔の話2

 

オリンピックについての私の最も古い思い出は1952年(昭和27年)のヘルシンキ・オリンピックだ。陸上5千・1万メートルとマラソンに優勝した人間機関車ザトペックの苦しそうな顔も忘れられないが、何と言っても世界記録を33回も更新した古橋の惨敗が心に刻まれている。

 

1948年のロンドン・オリンピックに敗戦国日本は参加を認められず、日本水連は、オリンピック当日に全日本選手権を開催した。古橋は400、1500メートルで金メダル以上のタイムを出し、世界新となるタイムだったが、日本が国際水泳連盟から除名されていたため公認記録にはならなかった。1500メートルでは、なんと40秒、60メートル以上の差をつけたという。古橋は自信喪失の日本国民のヒーローになった。

 

さらに翌1949年、ロサンジェルスの全米選手権に招かれた日本競泳陣は世界一のアメリカに圧勝した。古橋は400・800・1500メートルに驚異的な世界新で優勝して、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた。満足な食べ物が無い時代にサツマイモを食べて世界記録を次々と出したのだ。米国でも人気となり、当初のジャップからジャパニーズと呼ばれるようになった。

 

しかし、1952年、当時9歳の私は古橋の金メダルを信じ、遥かヘルシンキからのアナウンサーの声が大きくなったり、小さくなったりする短波ラジオに耳を押し付けていた。古橋はいいところなく800では8位に終わり、1500では決勝にも残れなかった。金はアメリカのコンノで、銀に橋爪が入った。後にニュース映画で見ると、あのぎこちないが力強い古橋のファームが、ただギクシャクとしているように見えた。選手生命のピークを既に過ぎていたのだ。

 

しかしながら、全米選手権でアメリカを驚嘆させ、絶望的に貧しく自信喪失していた当時の日本人に希望と誇りを与えてくれたフジヤマのトビウオに感謝したい。その後、1964年の東京オリンピックに向けて一気に繁栄に走り出す日本の礎になったのだと思う。

 

ただ、今この先が見えない時代となって、古橋の全盛時代を実感していない私には、あの時のズルズルと遅れていく古橋の姿がどうしても忘れられないのだ。

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