hiyamizu's blog

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ディヴィッド・マークソン『ウィトゲンシュタインの愛人』を読む

2021年02月03日 | 読書2

 

ディヴィッド・マークソン著、木原善彦訳『ウィトゲンシュタインの愛人』(2020年7月20日国書刊行会発行)を読もうとした

 

表紙裏にはこうある。

地上から人が消え、最後の一人として生き残ったケイト。彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界での日常生活のこと、日々考えたとりとめのないこと、家族と暮らした過去のこと、生存者を探しながら放置された自動車を乗り継いで世界中の美術館を旅して訪ねたこと、ギリシアを訪ねて神話世界に思いを巡らせたことなどを、タイプライターで書き続ける。彼女はほぼずっと孤独だった。そして時々、道に伝言を残していた……
ジョイスやベケットの系譜に連なる革新的作家デイヴィッド・マークソンの代表作にして、読む人の心を動揺させ、唯一無二のきらめきを放つ、息をのむほど知的で美しい〈アメリカ実験小説の最高到達点〉。

 

本書は、地球上にただ一人取り残された女性ケイトの語る手記だけから成る作品で、彼女が過去の行動や身の回りのことを描写する合間に、多数の美術館、作家、画家、音楽家、さまざまな芸術作品についてトリビア情報が脈絡なく挟まる。

 

本書のタイトルは『ウィトゲンシュタインの愛人』だが、本文にも哲学者ウィトゲンシュタインの名は登場するが、「愛人」は登場せず、なぜ「愛人」なのかは判然としない。

 

無作為にある部分を引用すると、こんな具合だ。

バートランド・ラッセルは弟子のルートヴィッヒ・ウッィトゲンシュタインをケンブリッジに連れて行き、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドがボートを漕ぐのを見せた。ウィトゲンシュタインは一日をむだにしたと言って、バートランド・ラッセルに腹を立てた。
 どうして覚えているか分からないことを覚えているのに加え、そもそもどうしてしったのか分からないことを覚えている場合もある。
 しかし、アルキメデスが使わなかったとしても、トゥルーズ=ロートレックがかって私の棒を用いた可能性はある。彼は歩くとき、杖を使ったから。

 

 

私の評価としては、★☆☆☆☆(一つ星:止めた方が、最大は五つ星)

 

本書を読もうとし、読み切れなかった。何しろ延々と意味不明が続き、とりとめない独り言が続く。内容は、訪れた世界各地のこと、絵画・音楽・文学など芸術作品と作家のことなどだが、どれも2,3行のトリビア情報であり、脈略なく話が飛んで行く。気にせずに、突っ込まずに、流して読めばいいのだろうが、300頁も続くのだから、いくら暇だからと言っても付き合いきれない。

著者は著名な作家、作品に関するトリビア情報マニアらしいが、知識も興味もない私には単なる無駄話に思える。


一人で世界中を放浪し、鍵とガソリンが残っている車を都合よく発見し、食べ物にも困らないなんてことがあるのだろうか。小さな男だと反省しながらも、些細なことが気になる。

 

訳者あとがきによれば、著者がこの原稿を出版社から突き返された回数は54回で、サミュエル・ベケットの『マーフィー』の42回を抜いたという。 さもありなんだ。

 

 

デイヴィッド・マークソン David Markson

1927年ニューヨーク州オールバニー生まれ。2010年没。小説家、詩人。若い頃はコロンビア大学などで創作を教えるかたわら、娯楽的な作品を執筆した。60歳の年に発表した『ウィトゲンシュタインの愛人』(1988年)が傑作として注目を浴びた。以後に出版された『読者のスランプ』(1996年)、『これは小説ではない』(2001年、邦訳は2013年、水声社)、『消失点』(2004年)、『最後の小説』(2007年)の作品群は「作者四部作」と呼ばれ、断片を積み重ねるスタイルを顕著な特徴とし、高く評価されている。

 

木原善彦(きはら・よしひこ)

1967年生まれ。京都大学大学院修了。大阪大学大学院言語文化研究科教授。著書に『UFOとポストモダン』(平凡社)、『ピンチョンの『逆光』を読む』(世界思想社)、『実験する小説たち』(彩流社)、『アイロニーはなぜ伝わるのか?』(光文社)、訳書にウィリアム・ギャディス『JR』『カーペンターズ・ゴシック』(国書刊行会)、トマス・ピンチョン『逆光』、リチャード・パワーズ『幸福の遺伝子』『オルフェオ』『オーバーストーリー』、アリ・スミス『両方になる』(いずれも新潮社)、ハリー・マシューズ『シガレット』、ハリ・クンズル『民のいない神』、ベン・ラーナー『10:04』(いずれも白水社)、デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』(水声社)など。

 

トリビア

モーパッサンは毎日昼飯をエッフェル塔でとっていた。そこがパリで唯一、それを見ないで済む場所だから。

コメント
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