のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は結構世に広く知られていながら、「本当のところはどうなのよ?」ってな色が強い、激戦「姉川合戦」をお送り致します。
美貌の妹「お市の方(※写真)」を嫁がせ、同盟関係となった尾張・織田、近江・浅井の両家。
しかし、浅井古くからの盟友であった朝倉家を無断で攻撃。
電撃作戦によって、一気に本拠である一乗谷近くまで迫っていた織田勢。
「朝倉景恒」の守備する「金ヶ崎城」を無血開城させたあたりで、信長が仰天する報が届くのでした。
「浅井長政謀反」
近江(滋賀県)にて、六角氏の支配を打ち破った「浅井長政」は若く才能ある当主。
そんな彼に目をつけた(※むろん、上洛の際にに必ず通らなければいけない重要拠点であることも加味されているでしょう)「織田信長」は”戦国一”とも言われる美貌の妹「お市の方」を送り込むのでした。
(※永禄七年(1564)だから、六年前のことですね)
多くの子供にも恵まれた二人の夫婦仲は良かったらしく、信長としては信頼できる有能な当主・同盟軍だったのです。
ただし、この同盟には条件がありました。
浅井家と朝倉家は古くから代々続く友好関係にあり、「浅井長政」は盟約の際には朝倉家を無断で攻めないようにと求めていたのです。
これは、もともとは同じ斯波氏の代官であった、朝倉家・織田家の仲が険悪であったことが周囲にもよく知られていたためでもありました。
(※朝倉家は守護代の家柄ですが、織田家は守護家の家老に過ぎず、陪臣風情の織田家に頭を下げるのばプライドが許さないのですよ。当時の人は特に)
浅井氏にすれば、これは約束違反なのです。
一方の織田家としては、”将軍を奉じて上洛し、天下統一のために動いている”ので、同盟を結んだ当時とはもうだいぶ状況が変わっている。
だいたい、事前に連絡などすれば板ばさみになって困るだろう、という言い分なのでしょう。
どちらかの本に書かれていましたが、もしここで従順に織田家を選んでいたなら、東の徳川家のように織田家と共に発展したのかもしれません。
あるいは、やっぱり要求に応えられず、結局はどちらかで決別していたか…。
結局、旧交を守った浅井勢は朝倉方についたのでした。
若い「浅井長政」は織田を支持していたが、父「浅井久政」が譲らなかった。
あるいは、家臣団が譲らなかったという説があります。
「お市の方」があまりに美人なため、”その色香に迷ったと言われないため朝倉についた”、なんて週刊誌記事のようなのもありました。
…まぁ、色々な要因が重なっただろうことは確かであるようですね。
美人というのはいつの時代でも悲劇がつきまとってしまうものです。
ああ、美しさは罪なのね…。
⇒ つづく。
次回は「袋の鼠の織田勢・金ヶ崎の退き口」です。
[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 将軍 足利義輝 (京都・等持院)
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [前 中 後]
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⇒ 北条家の忠実なる影 「風魔小太郎」
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⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [1 2 3 4 5 6]
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⇒ 最強軍団を撃退した北信の雄 「村上義清」 <前編> <中編> <後編>
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※さすがに”戦国一”なんて言われるだけあって、本もいっぱい出ています。
でも、ひでるさんは「北条政子」さまのが好き。
本日は結構世に広く知られていながら、「本当のところはどうなのよ?」ってな色が強い、激戦「姉川合戦」をお送り致します。
美貌の妹「お市の方(※写真)」を嫁がせ、同盟関係となった尾張・織田、近江・浅井の両家。
しかし、浅井古くからの盟友であった朝倉家を無断で攻撃。
電撃作戦によって、一気に本拠である一乗谷近くまで迫っていた織田勢。
「朝倉景恒」の守備する「金ヶ崎城」を無血開城させたあたりで、信長が仰天する報が届くのでした。
「浅井長政謀反」
近江(滋賀県)にて、六角氏の支配を打ち破った「浅井長政」は若く才能ある当主。
そんな彼に目をつけた(※むろん、上洛の際にに必ず通らなければいけない重要拠点であることも加味されているでしょう)「織田信長」は”戦国一”とも言われる美貌の妹「お市の方」を送り込むのでした。
(※永禄七年(1564)だから、六年前のことですね)
多くの子供にも恵まれた二人の夫婦仲は良かったらしく、信長としては信頼できる有能な当主・同盟軍だったのです。
ただし、この同盟には条件がありました。
浅井家と朝倉家は古くから代々続く友好関係にあり、「浅井長政」は盟約の際には朝倉家を無断で攻めないようにと求めていたのです。
これは、もともとは同じ斯波氏の代官であった、朝倉家・織田家の仲が険悪であったことが周囲にもよく知られていたためでもありました。
(※朝倉家は守護代の家柄ですが、織田家は守護家の家老に過ぎず、陪臣風情の織田家に頭を下げるのばプライドが許さないのですよ。当時の人は特に)
浅井氏にすれば、これは約束違反なのです。
一方の織田家としては、”将軍を奉じて上洛し、天下統一のために動いている”ので、同盟を結んだ当時とはもうだいぶ状況が変わっている。
だいたい、事前に連絡などすれば板ばさみになって困るだろう、という言い分なのでしょう。
どちらかの本に書かれていましたが、もしここで従順に織田家を選んでいたなら、東の徳川家のように織田家と共に発展したのかもしれません。
あるいは、やっぱり要求に応えられず、結局はどちらかで決別していたか…。
結局、旧交を守った浅井勢は朝倉方についたのでした。
若い「浅井長政」は織田を支持していたが、父「浅井久政」が譲らなかった。
あるいは、家臣団が譲らなかったという説があります。
「お市の方」があまりに美人なため、”その色香に迷ったと言われないため朝倉についた”、なんて週刊誌記事のようなのもありました。
…まぁ、色々な要因が重なっただろうことは確かであるようですね。
美人というのはいつの時代でも悲劇がつきまとってしまうものです。
ああ、美しさは罪なのね…。
⇒ つづく。
次回は「袋の鼠の織田勢・金ヶ崎の退き口」です。
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※さすがに”戦国一”なんて言われるだけあって、本もいっぱい出ています。
でも、ひでるさんは「北条政子」さまのが好き。