絵のタイトルは、「永観堂」です。
ウフフとオホホ。
これしか思いつかない。
今日のタイトルは、「狂気と正気」です。
狂気とは、
気が狂っていること。また、異常をきたした精神状態。
(goo国語辞典より)
正気とは、
正常な心。確かな意識。
(goo国語辞典より)
(2019年9月13日、中断)
何を書こうとして、このタイトルを選択したのか想像しています。
自らは正気、他人の目には狂気と映るものです。
私の住む地域は、11軒中8軒が空き家です。
普通じゃないと思いました。かつては栄えたセンターです。
どの家も剪定がされないまま草は伸び放題で、道がトンネル状態でうっそうとしていました。
地域おこし協力隊として赴任して、各種イベントの手伝いに没頭していました。
朝妻に出かけるよと言い、草むらに入る。
夕方草むらを出て、ただいまと帰る。
ある日から、イベントの合間に草刈を始めました。
持ち主の許可をいただき、草刈の範囲は瞬く間に広がりました。
まず、妻にばれました。
狂気の目で見られました。とうとう、気が振れた。
私は楽しくてたまらなかった。
自分が刈った分だけ、地域が元の姿を取り戻す。
宝物を発掘する気分でした。
大真面目でした。
そんな折、使われなくなったカフェを発見しました。
ジャングルにパゴダ(寺院)の感じです。
市役所が主催する「地域活性協議会」に何か話してくれと呼ばれたのもこの頃です。
この地域のよいところを話してくれと言われました。
何にも期待されない自由にすでに気づき始めていました。
「なんにもないところ」と答えました。
美味しい米が採れて、果樹園も開けているではないか。と質問者は促しました。
果樹園も米農家も後継者不足にあえいでいました。
自分の代で終わりにしようと、果樹農家の多くが覚悟していました。
農業法人に米作を依頼し、田んぼの持ち主は小作料として飯米を受け取っていました。
これが、わが村の自慢とはとうてい言えないように私は感じました。
半年後、カフェを借りて開店することにしました。
ある人は、きっと儲からないからやめとけと忠告してくれました。
ある人は、どうして声をかけてくれないのかと怒ってくれました。
では、手伝わせてやるか。と協力をお願いしました。
多くの善意(畳、机、電化製品、器など)が集まりました。
狂気の延長にある正気でした。
文字通り赤字でした。
忠告は正しかった。
協力してくれた妻に、「10年やって元がとれる」のが普通と言われました。
カフェの屋号を「さんぽみち」と名付けました。
地域の方が、散歩道として選択してくれています。
老人が、長い時間話されていきます。
子供が、隠れ家みたいと飛び跳ねてくれます。
カフェだけきれいなのは不自然と、周りの草刈を続けています。
背後の山も日が当たるよう伸び放題の篠だけと木を伐っています。
借景の一つと考えています。
よその家の木を伐って、草を刈ってなんぼもらうんだい、とばあちゃんが笑います。
私は、何もしない正気の人こそ狂気に見えることがあります。
それであなたはよいのですか。
問いかける前に、狂気の自分に気づきます。
そして、口をつぐみます。
皆同じ 正気と狂気 紙一重
2019年12月14日
(投稿後)
今日は、討ち入りの日。
内蔵助は、悟られまいと狂喜乱舞した。
粛々と計画を進めていたのです。
(筆者)