赤切れの手が作る漬物です。
タイトルは、「洗い清めて」
防腐剤で安心を確保したものより、ずっと美味しい。
私達は、知っています。
今日のタイトルは、「時給」です。
かつて勤めていた会社の海外ジョブの時給の売価が、18000円/時間を越えてしまった。
国内ジョブは、8000円/時間であった。
15000円/時間でも、台頭してくる海外勢の時給に勝てなくなった。
会社は、リストラを敢行した。
500人を自社の下請け会社に出向させた。
実質は、解雇である。
主に、50歳以上のベテラン(平均年齢49歳)が、その対象となった。
私もその一人であった。
本社が、下請け会社から買う時給は、4000円~6000円/時間となった。
本社の社員は、自社内に残った若手より力があって単価が安い下請け会社の社員を使った。
下請け会社の受注率は、100%を越えた。
すると、本社はさらなる単価引き下げを迫った。
しかも営業権は本社が握っており、下請け会社が独自の努力でとった受注額の4%をピンハネした。
往復ビンタである。
かつて本社に勤めていた者たちは、会社の要請に従って70歳を超えても働いた。
人財不足が、補えなかったからである。
グループの平均寿命が70歳であったから、
いつまでも仕事をせざるを得ないロートルから悲鳴があがった。
それから15年が過ぎた。若手はきっと育ったことであろう。
残念なことが起こった。
下請け会社の若手社員(主にプロジェクトマネージャーという御用聞き)は、
いつまでも力をつけることができなかった。
本社に残った中堅クラスから若手も、リスクに飛び込む仕事ができなくなった。
本社に残った力のある社員が、シャッフルされて薄くばらまかれた。
それでも能力低下は避けられず、海外の優秀な人材(共同受注など)に頼ることになってしまった。
私は、国内ジョブの担当であった。
食品のエンジニアリングフィーは、8%が常識の世界である。
本社にいるときは、キーマンだけ本社のエンジニアーを使い、
詳細エンジニアリングは、協力会社のエンジニアーと共にこなした。
協力会社のエンジニアーには、厳しくあたった。
しかし、協力会社の若手エンジニアーはついてきたし、能力もジョブを重ねるごとに格段にあがった。
機械担当の私は、建築会社の若手(特にユーティリティー関連)にも無償で指導した。
会社を辞めるときは、協力会社の人たちが一席を設けてくれた。
建築会社の方たちも、辞職後も付き合ってくれている。
時給に対する考えは、様々であろう。
オール本社で対応できれば、価格は高くなるが高度な仕事がこなせるであろう。
しかし、大会社にはセクショナリズムがあり、必ず上司の了解を必要とする稟議制度が速度感を失わせた。
中小ジョブには、不適切であった。
時給が高いものと、低いものの組み合わせを実現できる会社は、強みがある。
この辺りでも、三次四次下請けの会社がある。
受注額と利益から、社員は1500円/時給で、臨時工は1000円/時間が存続のための
ぎりぎりの単価である。
優秀な臨時工を雇え続けられなくなり、海外(ベトナム)からの派遣に頼らざるをえなくなった。
派遣と言えど、研修制度(1年間)の足かせがあり次から次にニューフェースとなってしまっている。
技術の伝承が難しく、外国人もあまりの短期のために、日本社会(特に地域)になじむ意欲が薄れている。
派遣社員は、派遣会社に20%は持っていかれる。
そして、いつでも首を切られてしまう。
日本のモノづくりは、単価の高いベテラン社員から低い若手社員に技術伝承がされてきた。
派遣制度によって、この連鎖が切られてしまっている。
会社という枠にとらわれない、オール日本の底上げという考え方が浸透するのを待っている。
農業も土地の権利がからみ、部外者に継承してもらえないのが衰退の一因となっている。
農業がしたい若手や都会生活者(主に定年者)がいる。
それぞれ、目標は違うが単価が低くても幸せ感を持てる職業である。
それは、部分最適(モノづくりの一部)ではなく、全体最適(土づくりから販売まで)の感覚が
そう感じさせるのである。
農業人が売価を決められるようになれば、農業は革新的に進歩するであろう。
オーナー制度が、その端緒であろう。
これから日本が進む方向は、三次産業なのであろう。
仕組みを司る人たちが、稼いでいくのであろう。
現に、テレビのコマーシャルはモノづくりの会社から通販やサービス業に転換されている。
私達は、低成長(ゼロからマイナスも覚悟)の時代に向かって久しい。
単価を下げても幸せな暮らしができる社会を作っていかなければならない。
何がキーワードになるのか探している。
前だけを 向きし生きざま 鈍化せり