やむちん焼きのシーサーと一緒に写っています。
タイトルは、「阿吽」です。
シーサーのように生きたい。
今日のタイトルは、「故郷へ恩返し(Part3)」です。
「私は故郷へ何か恩返しをしたい。」と、このブログを始めました。
故郷へ何も恩返しができずに、すでに5年が経ちました。
自分だけの想いで、生活をするわけにはいかないのです。
義兄が亡くなり、長兄が亡くなった。
義兄の葬式を出し、納骨をし、義兄が墓守だった墓の始末をした。
義兄が住んでいた家の解体が残っている。来年中には方をつける。
なんとなく曖昧にしていた、故郷の相続もしなければならなくなった。
残された者が、片づけの仕事をする。
これまで世話になった人を訪ねる。感謝の気持ちでものを送る。
少ないとは言え、できないことだった。
我が家にも、コンパクトシティー構想が適用されなければならなくなった。
人の終活の手伝いをする。自らの終活の準備をする。
拡大したままの生き方を収束しなければならない。
年賀状を出さなくなって10年以上が過ぎた。
会社に勤めている時は、勤めを免罪符にしてきた。
これからも生きていく。スリムにならなければならない。
年金生活者には、勤め人とは違う生き方がある。
収入が、右肩上がりとはいかなくなった。
やりたいことがある。そのためのスペースを作る。
この5年間、学びやってこれた。
これまでの人生を卒業し、新たな人生に入学をする。
「故郷へ恩返し」をするのにも準備が必要だった。
その心構えこそ、恩返しかもしれない。
心技体 不動の構え 振り下ろす
2019年12月27日