海に落つるがごとくというタイトルの絵です。
香川県高松市雄島です。
山肌にしがみつくように家々が連なっていました。
島の生活道路は、軽トラックがやっと通れるかそれ以下の道巾です。
家から家に行く裏通りは、猫が通れるほどの道もあり、
島の狭い小川の上は板敷で人が通る道路であったり、植木が置かれています。
いわゆる背戸です。東京の下町で同じような風景に出会いました。
今日のテーマは、「出会いを求めて」です。
カフェには、多くの人が来てくれます。
散歩の途中に寄ってくれる常連さんが一人できました。
70歳を越えても、積極的に外に出られる方です。
顔は知っているけど、話したことが無い方が案外いるのです。
お茶を飲みながら、世間話をされます。
1階は一人のお客様用です。
2階には上がりにくいお年寄りのグループです。
こんなことがしたかったような気がします。
知らないもの同士の出会いの場であれば良いと考えています。
私は多くの人と出会ってきました。
船がないと広島にいけない島の生活が嫌でした。
ある日、世界中の船が江田島湾に入ってきたことがありました。
瀬戸内海を航行していた船が、台風の暴風と波を避けるために、
避難してきたのです。
世界に繋がっていると、
わくわくしながらいつまでも入って来る船を
津久茂の瀬戸が見渡せる場所で見続けていました。
ここから私の出会いは始まったような気がします。
それは、今だから言えることのようにも思います。
この地域に来て1年が過ぎました。
地域おこしになるのなら、何をやってもよいと言われました。
こんな漠然とした生き方はしたことがありませんでした。
半年は、いろんなイベントを手伝いました。
空き家を見て、故郷の櫛の歯が抜けるがごとく
人がいなくなった廃屋と同じでした。
自分が変わる。
空き家の持ち主の許可をいただき、廃屋の草刈りを始めました。
少しずつ、人が暮らした跡が見えるようになりました。
生活があった。痕跡が見えてきました。
すると、近所の人が笑顔を見せてくれるようになりました。
空き家の持ち主を思い出してくれるようになりました。
きっと、自分たちが住んでいたこの場所は素晴らしいところだったと
改めて思われたかもしれません。
人が生きると言うことは、簡単なことのようで重いものなのです。
月日が流れるうちに、澱のように人のこころに沈んでいくものもあります。
また、何年経っても風化しない思い出があるものです。
あんたは、こういう人だったんかいが演出できれば良いと考えています。
こごみ採り 葱をいただき 肥え買いに
2017年4月25日