昭島駅から見た夕暮れです。
プレー中に、膝をつき動けなくなりました。
ドライバーを杖がわりに、片側は友人に支えられ、やっとカートに乗り込みました。
座席に座り込むや、白目をむきいびきをかきはじめました。
後の組のカートを借り、クラブハウスに駆け込み救急車を依頼しました。
友人は、2分後に意識を取り戻し、片言話せるようになりました。
考えられることはと聞くと、
糖尿病に低血圧ととぎれとぎれに答えるのがやっとでした。
突然のことでした。
友人は、救急病院で一命を取り戻し、
先輩が友人の車を運転し、自宅まで送りました。
冒頭の絵は、昭島駅で遭遇した夕焼けです。
闇が迫る中、あまりの碧き空に驚きました。
毎日の終わりです。
ドラマがあった日だったのか平凡な一日だったのか覚えていません。
あってはならない時に、また場所で突然やってくるのです。
あとは「ゆだねる」しかありません。
いつか誰にもやって来ます。
準備などいくらやっても足りないのです。
やっと終わったか。
もう少し先まで行きたかった。
家族がいれば、家族に。
家族がいなければ、通りがかった人に。
山で誰もいなければ、後は虫たちにゆだねるのです。
心配事は多いのです。
やり残したことが何なのか考えるこの頃です。
何者だったのか。
評価も噂話も、あとの人に「ゆだねる」しかないのです。
いつでも、ジ・エンドを受けられる人がいるのでしょうか。
仕事は、自分で幕引きをしなければならないと思っています。
いつもの仕事が出来なくなった時が幕引きの時です。
まだやれるじゃないが、丁度潮時です。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、
60歳で定年を迎えた先輩に、
「よくぞ生きてこの日を迎えれました。」と一緒に喜んだものです。
平均寿命70歳の会社です。
明日から、農業をやるんだと喜んで定年の日を迎えた先輩は、
翌月亡くなられました。
ゆだねる家族や後輩がいるあなた、
幸せだと思いませんか。
どっぷり甘えてよいのですが、そうもいきませんね。
入れたかな また一からを 繰り返す
2015年9月1日
プレー中に、膝をつき動けなくなりました。
ドライバーを杖がわりに、片側は友人に支えられ、やっとカートに乗り込みました。
座席に座り込むや、白目をむきいびきをかきはじめました。
後の組のカートを借り、クラブハウスに駆け込み救急車を依頼しました。
友人は、2分後に意識を取り戻し、片言話せるようになりました。
考えられることはと聞くと、
糖尿病に低血圧ととぎれとぎれに答えるのがやっとでした。
突然のことでした。
友人は、救急病院で一命を取り戻し、
先輩が友人の車を運転し、自宅まで送りました。
冒頭の絵は、昭島駅で遭遇した夕焼けです。
闇が迫る中、あまりの碧き空に驚きました。
毎日の終わりです。
ドラマがあった日だったのか平凡な一日だったのか覚えていません。
あってはならない時に、また場所で突然やってくるのです。
あとは「ゆだねる」しかありません。
いつか誰にもやって来ます。
準備などいくらやっても足りないのです。
やっと終わったか。
もう少し先まで行きたかった。
家族がいれば、家族に。
家族がいなければ、通りがかった人に。
山で誰もいなければ、後は虫たちにゆだねるのです。
心配事は多いのです。
やり残したことが何なのか考えるこの頃です。
何者だったのか。
評価も噂話も、あとの人に「ゆだねる」しかないのです。
いつでも、ジ・エンドを受けられる人がいるのでしょうか。
仕事は、自分で幕引きをしなければならないと思っています。
いつもの仕事が出来なくなった時が幕引きの時です。
まだやれるじゃないが、丁度潮時です。
エンジニアリング会社に勤めていた頃、
60歳で定年を迎えた先輩に、
「よくぞ生きてこの日を迎えれました。」と一緒に喜んだものです。
平均寿命70歳の会社です。
明日から、農業をやるんだと喜んで定年の日を迎えた先輩は、
翌月亡くなられました。
ゆだねる家族や後輩がいるあなた、
幸せだと思いませんか。
どっぷり甘えてよいのですが、そうもいきませんね。
入れたかな また一からを 繰り返す
2015年9月1日