案内の妙について考えてみようと思います。妙は心得と同一ではありません。
ミュージアムを訪れる人はなにか刺激的なものを求めているでしょう。刺激の中身はいうまでもなく展示内容であり,学び・体験・体感の新鮮さです。わたしたちのミュージアムでは,科学を柱にして事業を展開しているので,ふしぎをたっぷり感じて帰っていただきたいと願っています。
体験なり体感なりをする主役は来館者自身です。ふしぎを感じて,その奥にある見えにくい部分をどうしても知りたいと思うのはその方々。案内人が解説して来館者が「はい,なんとなくわかりました」というあり方は主役論のはき違えです。したがって案内人が長々と解説するのはもっとも避けなくてはならない点です。限られた時間でたくさんのことに触れていただくには,殊のほかこの原則がたいせつです。
ふしぎ感覚を端的に引き出したりくすぐったりして,もし来館者がそれ以上のことを知りたいと思うときは,その雰囲気をつかんで対応していきます。それはちょうど,仏教用語でいう“啐啄同時”の呼吸です。ぴったり相手に呼応して,チャンスをしっかり生かすということです。
心得ていないと,知っているものを吐き出すように口にしてついつい教えたくなるものです。学校でもそうです。担任の資質として,教養を身に付けて必要に応じて子どもの反応に応じて行くのは当たり前。しかし,ほんとうは,教えるべきことを教えてはならず,子が自ら発見するように導くのがよいのです。子が先を知りたくなるように巧みに誘うことこそが担任の力量。
ミュージアムも,学校と似ています。案内人のおしゃべりは禁物。「説明をして!」といわれない限り,ヒントを出すぐらいがちょうどいいのです。ということは,出し惜しみするぐらいでいいわけです。今日(4月6日)は,親子連れの方から「光の三原色の展示内容がよくわからないので,教えて」といわれました。この場合は,来場者の声にしたがったわけです。わたしの“解説”で納得していただけたようで,ホッ。
わたしたちのミュージアムには,この例のように子どもがたくさん訪れます。結果,家族連れも多くなります。たのしんでいただくには,案内の妙が求められます。「心得何カ条」のように淡々と列挙した注意点でなく,人の五感というふるいを通して磨きのかかった感度のようなものです。チャームなセンス,こういうと多少は理解しやすいかもしれません。でも,こういう微妙な意味合いはことばとしてなかなか言い表しにくいものです。
それをことばとして見事に言い表した方が井上ひさしさんで,次のことば。。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」。
わたしもまた,来館者に喜んでいただけるよう,案内人にふさわしいことばの使い手になれるよう,妙を鍛え直したいと思っています。