古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

車谷長吉と白洲正子の出会い

2019年01月06日 01時48分45秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは6時頃に夕食をとって、8時頃には寝てしまうことがよくあります。そして夜中の12時頃に目が覚めて、ブログを書いたり本を読んだりテレビを見たりして、明け方にまた布団に入って寝ます。
 去年の暮れ、夜中にテレビの再放送(BS3・深夜番組・2夜連続)で「白洲正子」について語る番組があり、そこに車谷長吉が出ていました。
「車谷長吉」と「白洲正子」というかけ離れた二人が、ぼくの中では結びつきません。不思議な気持ちで見ました。生まれた年は35年も違うし(白洲正子 1910年 / 車谷長吉 1945年)、そんなに付合いのよくなさそうな、随筆家と小説家です。

 図書館で借りて、白洲正子の古い本を読んでいたら、その疑問を解いてくれる白洲正子の文に出会いました。紹介します。(白洲正子随筆集『夕顔』の「蜘蛛と金盥」:新潮社刊・1993年より)


 だいだい小説というものは、1ページといわず、5、6行も読めば、どんな作品かわかってしまう。ずいぶん生意気な言い分だが、ほんとにそうなのだから仕方がない。 …… 文学はそういうものより高級だと思っている人がいたら、よほどイカれている。もはや余命いくばくもない私には、そんなものと付き合っている暇はないのである。
 車谷さんの小説を読んだのは大分前のことで、題も内容もまったく覚えていない。覚えているのは今時珍しい本格的な私小説であることと、その頃はたしか板前さんをしていたと思う。 ……
 車谷長吉という名前も知らなかった。何げなく雑誌をめくっていた時、偶然出会ったので、読みはじめるとどこか近頃の小説とは違う。どこが違うかはっきりとはいえないが、いつも間にか文章の中にのめりこんで、息もつかせず最後まで読み通してしまった。
 …… しいていうなら強引な筆力にひっぱられてどこかへ連れ去られたという感じである。 …… 私はとても感動して、手紙を書いた。未知の作家に手紙を出すなんて考えられないことだったが、そうせずにいられぬものがあった。たぶん「小説らしい小説を久しぶりに読んだ」というような …… 。
 それっきりで車谷さんのことは、忘れるともなく忘れていた。  …… 手紙が来て、十年ぶりで「新潮」に小説を書いたから、読んでくれということだった。  ……
 実のところ、私は車谷さんに会うのが怖かった。  …… 彼は実に優しい人なのだ。あんまり優しすぎて、崩壊に瀕した己が一族を、「言葉」によって救わねばならないという宿命(さだめ)を、自らに課して苦しんでいるに違いない。 …… 

 車谷さんは「読者からの初めての手紙だった」と話しています。
 火花を散らす魂の出会いを感じます。
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