1952年(昭和27年)生まれの私は、戦争について色々な事を聴いて育ちました。建て替え前の熊本の実家の土壁に小さな穴が高い所に空いていました。母親に尋ねたら戦争中米軍機の機銃掃射で家の西側から飛んで来た飛行機から撃たれ、西側から東側に家の中を弾が抜けて隣の家の木に刺さった言いますが、両方の壁の穴の高さが少し違うだけで、幼い私は上空から撃たれた弾が横に飛ぶのが不思議でした。(映画等でみると爆弾は上から落ちて、機銃掃射は斜めに撃たれています。
家の西側の直ぐ近くの田んぼは、南から飛んでくる米軍機が7キロほど離れている熊本市内を爆撃する前に、爆弾を試しに落としたと母親が説明していました。
隣のおじさんは元憲兵で、中国大陸で若い女性を裸にして体内に隠されている品物を調べたと述べていました。
40年前に仕事で知り合った老人は、戦争中大陸で女学生をたくさん体育館に集めて、日本兵は武器をはずして集団強姦を行なった事を戦争の記憶として話していました。
ドイツは、戦争の戦後責任として、戦争犯罪者を探して今も裁判で裁いていますが、今の日本は戦争に過去の犯罪を無かった事にして、子どもたちをだまそうとしています。歴史のごまかしはいけません。(6月17日記)