ほぼ毎日チェックする、COMEMO に「アート思考」について、分かりやすい内容のものがあった。
それよりも、記事のトップに掲載されている写真を見て「凄い!」と、唸ってしまったのだった。
COMEMO:アーティストを目指す学生に伝えたい事。
記事のトップに掲載されている写真は、東京芸大の学園祭で登場した「神輿」の一つだ。
発泡スチロールを使って作成された「神輿」を、学生が披露する作品のようだ。
何よりこの「神輿」は、毎年人気の作品となっている、という。
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今年の「神輿」は例年に比べ、制作をする学生たちの力は入り具合が半端なかったのか?どの「神輿」も発砲スチロールを土台に創られた云々ではなく、芸術作品として十分すぎるほどの力を感じるのは、私だけではないと思う。
そして一昨年ごろからだろうか、ビジネスの世界では盛んに「アート思考」ということが、言われるようになってきた。
私の理解が違っているのかもしれないのだが、「アート思考」と言ったとき、「芸術を鑑賞し、そこから何かを感じ取り考える力」のように思われているように感じているのだが、日ごろそのような「アート作品」を見ていないビジネスパーソンが、いきなり美術館に行ったからと言ってそのような「思考」が身につくとは思えないし、現実的には難しいのでは?と、感じていた。
だからこそ「アート思考」と言う言葉が、盛んに言われるようになったころから、ある種の違和感を持っていた。
しかしCOMEMOの「アーティストを目指す学生たちに伝えたい事」を読んだとき、「アート思考」とはこのようなことなのでは?という、気がしたのだった。
重要な点は「プレゼンテーション力」と「共感性」だ。
クラウドファンディングによって「制作費」を集めるためには、「プレゼンテーション力」は重要であり、一流の表現者(を目指すの)であれば、「言葉で語れと言われたらものすごくロジカルにプレゼンテーションができる人達」であるという。
これまで「芸術家(あるいは表現者)=口下手な人たち」という、ステレオタイプ化された見方をしている部分が多いと思うのだが、それは思い込みでしかない、ということだろう。
当然「プレゼンテーション力」が高ければ、そのプレゼンテーションに対しての「共感性」を引き出す力も備わっていなくては、クラウドファンディングによる制作の為の資金調達はできない。
「(誰かに)共感する」のではなく「共感させる(力がある)=共感性」だと考えると、美術的作品だけではなく音楽など「芸大」の専門課程全般に共通する内容である、ということが分かる。
そしてこれら「プレゼンテーション力」も「共感性」にしても、「アート思考」に限ったことではない、ということにも気づくはずだ。
もし「アート思考」を考えるのであれば、芸術作品を見て・聴いて「何に共感をしたのか?共感した理由は何か?」という「直感的」な部分を改めて分析(と言うと大げさだが)することで、「アート思考」の本質が理解できるのではないだろうか?