忽ち私らの心臓が大波をうち出した。私の眼は異様なものを見つけたのである。私共のつかまって立つBalconyの欄干から、眼下の見下ろす処に、白い着流し埃及人(エジプト人)が、杖をさし置き、四角い布を大地に敷くと、其上に跪(ひざまず)いてはぴったり両手をついて、額を大地にすりつけた。髯が真白、白い頭巾濡れて流るる髪も真白である。其白い顔を、地にすりつけて、彼は祈念を凝らして居る。と見ると、立上った。立上ってMeccaの方を拝んだ。また跪いて、大地にぴったりと頭をつけた。跪いては立ち、起っては跪きして居る。直ぐ其前を、わあっ、わあっ、と若い埃及の血気が潮の如く奔騰する。私は寒くなった。体がぶるぶると震えて、涙がわいてきた。
そんなにも、独り立ちがしたいのか!
ああ、埃及は独りで立たしたい!
Mecca(メッカ)というのは、エジプトから見ると、紅海をまたいだ東の地アラビア半島にあるイスラム教の聖地です。
この文章は徳冨蘆花(とくとみろか)の1919年のカイロでの体験を記したもの。
徳冨蘆花といっても…知りませんよね? 僕も小説も読んでいないし、『不如帰』がベストセラーにもなった代表作のようで何度も映画化されているのですが、それもずいぶん昔のこと。明治時代の作家です。
東京の京王線に「芦花公園」という駅があります。「ろかこうえん」と読みます。これは徒歩15分ほどの場所に「芦花公園」があるからなのですが、その公園の名前が、徳冨蘆花(とくとみろか)の「ろか」だったんです! 僕はつい2週間前に知りました。先日、たまたま近くを通ることがあったので、行ってみました。徳富蘆花とその夫人愛子の住んだ家が残されていて、ふたりの墓がありました。いまどき東京で、住んだ家がそのままの姿で残っているなんてめずらしいですよね。広い公園で、枯葉の絨毯の上を、たくさんの人が散歩していて、森林浴に適した落ち着いたところでした。
徳冨夫妻は子供に恵まれなかったようです。その夫妻、1919年にエルサレムを巡礼するために旅行へ出たのですが、その際、エジプトのカイロに滞在しました。その時に宿泊したのがシェパードホテル。歴史ある、今でもある有名なホテルのようです。そのホテルの窓から、カイロ市民の、イギリスに対しての激しい独立運動の様子を記したのが上の文章。シェパードホテルに宿泊している外国人に、自分たちの願いを訴えるために集まってきた人々です。本当はもっと長いのですが、このあと蘆花は、妻が見たもの(デモ行列の向こうにいたエジプト女性の姿)を描写しています。黒い布をかぶった物売りの30代と思われる女が、そのデモ行列に共鳴して、頭に載せていた空の籠を力いっぱい振り回しはじめたというのです。そして蘆花は、その後にこう書いてています。
埃及の立場に朝鮮を見、日本の立場に英吉利を置いて、其何れをも私共はとっくりと腹に入れねばならぬ。
そんなにも、独り立ちがしたいのか!
ああ、埃及は独りで立たしたい!
Mecca(メッカ)というのは、エジプトから見ると、紅海をまたいだ東の地アラビア半島にあるイスラム教の聖地です。
この文章は徳冨蘆花(とくとみろか)の1919年のカイロでの体験を記したもの。
徳冨蘆花といっても…知りませんよね? 僕も小説も読んでいないし、『不如帰』がベストセラーにもなった代表作のようで何度も映画化されているのですが、それもずいぶん昔のこと。明治時代の作家です。
東京の京王線に「芦花公園」という駅があります。「ろかこうえん」と読みます。これは徒歩15分ほどの場所に「芦花公園」があるからなのですが、その公園の名前が、徳冨蘆花(とくとみろか)の「ろか」だったんです! 僕はつい2週間前に知りました。先日、たまたま近くを通ることがあったので、行ってみました。徳富蘆花とその夫人愛子の住んだ家が残されていて、ふたりの墓がありました。いまどき東京で、住んだ家がそのままの姿で残っているなんてめずらしいですよね。広い公園で、枯葉の絨毯の上を、たくさんの人が散歩していて、森林浴に適した落ち着いたところでした。
徳冨夫妻は子供に恵まれなかったようです。その夫妻、1919年にエルサレムを巡礼するために旅行へ出たのですが、その際、エジプトのカイロに滞在しました。その時に宿泊したのがシェパードホテル。歴史ある、今でもある有名なホテルのようです。そのホテルの窓から、カイロ市民の、イギリスに対しての激しい独立運動の様子を記したのが上の文章。シェパードホテルに宿泊している外国人に、自分たちの願いを訴えるために集まってきた人々です。本当はもっと長いのですが、このあと蘆花は、妻が見たもの(デモ行列の向こうにいたエジプト女性の姿)を描写しています。黒い布をかぶった物売りの30代と思われる女が、そのデモ行列に共鳴して、頭に載せていた空の籠を力いっぱい振り回しはじめたというのです。そして蘆花は、その後にこう書いてています。
埃及の立場に朝鮮を見、日本の立場に英吉利を置いて、其何れをも私共はとっくりと腹に入れねばならぬ。