はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

そんなにも、独り立ちがしたいのか!

2007年12月10日 | はなし
 忽ち私らの心臓が大波をうち出した。私の眼は異様なものを見つけたのである。私共のつかまって立つBalconyの欄干から、眼下の見下ろす処に、白い着流し埃及人(エジプト人)が、杖をさし置き、四角い布を大地に敷くと、其上に跪(ひざまず)いてはぴったり両手をついて、額を大地にすりつけた。髯が真白、白い頭巾濡れて流るる髪も真白である。其白い顔を、地にすりつけて、彼は祈念を凝らして居る。と見ると、立上った。立上ってMeccaの方を拝んだ。また跪いて、大地にぴったりと頭をつけた。跪いては立ち、起っては跪きして居る。直ぐ其前を、わあっ、わあっ、若い埃及の血気が潮の如く奔騰する。私は寒くなった。体がぶるぶると震えて、涙がわいてきた。
 そんなにも、独り立ちがしたいのか!
 ああ、埃及は独りで立たしたい!


 Mecca(メッカ)というのは、エジプトから見ると、紅海をまたいだ東の地アラビア半島にあるイスラム教の聖地です。
 この文章は徳冨蘆花(とくとみろか)の1919年のカイロでの体験を記したもの。
 徳冨蘆花といっても…知りませんよね? 僕も小説も読んでいないし、『不如帰』がベストセラーにもなった代表作のようで何度も映画化されているのですが、それもずいぶん昔のこと。明治時代の作家です。
 東京の京王線に「芦花公園」という駅があります。「ろかこうえん」と読みます。これは徒歩15分ほどの場所に「芦花公園」があるからなのですが、その公園の名前が、徳冨蘆花(とくとみろか)の「ろか」だったんです! 僕はつい2週間前に知りました。先日、たまたま近くを通ることがあったので、行ってみました。徳富蘆花とその夫人愛子の住んだ家が残されていて、ふたりの墓がありました。いまどき東京で、住んだ家がそのままの姿で残っているなんてめずらしいですよね。広い公園で、枯葉の絨毯の上を、たくさんの人が散歩していて、森林浴に適した落ち着いたところでした。
 徳冨夫妻は子供に恵まれなかったようです。その夫妻、1919年にエルサレムを巡礼するために旅行へ出たのですが、その際、エジプトのカイロに滞在しました。その時に宿泊したのがシェパードホテル。歴史ある、今でもある有名なホテルのようです。そのホテルの窓から、カイロ市民の、イギリスに対しての激しい独立運動の様子を記したのが上の文章。シェパードホテルに宿泊している外国人に、自分たちの願いを訴えるために集まってきた人々です。本当はもっと長いのですが、このあと蘆花は、妻が見たもの(デモ行列の向こうにいたエジプト女性の姿)を描写しています。黒い布をかぶった物売りの30代と思われる女が、そのデモ行列に共鳴して、頭に載せていた空の籠を力いっぱい振り回しはじめたというのです。そして蘆花は、その後にこう書いてています。

 埃及の立場に朝鮮を見、日本の立場に英吉利を置いて、其何れをも私共はとっくりと腹に入れねばならぬ。
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埃及

2007年12月09日 | はなし
 「埃及」と書いてエジプトと読みます。

■ナイル川
 エジプトは一年中雨が降らず空は晴れています。そしてエジプトにはナイル川があります。
 ケニアのヴィクトリア湖から発した白ナイルと、エチオピアのタナ湖から発した青ナイルは、スーダンで合して一本となり、エジプトへ入ります。エチオピアの雨季に増水したナイルの水は「沃土」を運んできます。エジプトの畑は4ヶ月間の増水で水びたしになり、やがて減水します。そうしてナイルは「たっぷりの沃土」を置いていってくれます。栄養たっぷりのその「沃土」に種を蒔けば、肥料はいらず、あとは収穫期をまてばよいのです。
 エジプトはそんな具合に恵まれた土地でした。

■征服者たち
 ところが「恵まれた土地」ならばこそ、「征服者」がねらってきます。古代のファラオ達、それから地中海の向こうからはアレクサンダーがやって来ました。その後にイスラム帝国…そのイスラムの支配者も次々と代わり、オスマン・トルコの支配となりました。オスマンが弱ってきた頃に、フランスのナポレオンがやって来たのです。
 その頃のヨーロッパはイギリスとフランスの世界の主導権争いが激しい時で、海運力によってインドを支配して冨を得ているイギリスに対し、フランスは地中海から中東を押さえてイギリスとインドとのつながりを分断しようとしたのです。しかしナポレオンがエジプトを征服したのは短い間でした。ずっとエジプトにかかりきりというわけにいかなかったからです。このナポレオンが連れてきた学者達によって、エジプトの考古学の発掘が進みました。この時まで、あのスフィンクスも(首から下は)土の中に埋まっていたのです。

■スエズ運河
 エジプトは、フランスと共同出資で「スエズ運河」を建設することになりました。発案者はフランス人退役外交官のレセップス。当然イギリスは反対します。フランスがそんないい場所にそんないいものを造ってしまっては困りますから。ところが、それを阻止できないとわかると、イギリスはそれを自分のものにできないかと考えました。そしてそれは思惑どおりになります。エジプトは、「スエズ運河」のための借金が返せなくなり、その権利を売り出さざるを得なくなったのです。すかさず、イギリスはその株を買い集め、筆頭株主となりました。こうして、1869年に開通した「スエズ運河」は英仏のものになりました。
 エジプトはこの時オスマン・トルコ帝国の支配下にあったのですが、まるで英仏の持ち物のようです。当時の国際的な力関係がそこに表れています。「エジプト民」はいないかのように政治が進められています。実際にはエジプト民も黙ってはおらず、独立運動をなんども行っています。ところが力のないオスマン帝国は、イギリスやフランスに頼って民衆運動を鎮圧したのです。
 ところで、日本人は世界旅行へ行くと、必ずと言っていいほどエジプトに立ち寄っているように思われます。岡本一平も1922年に行っていますし、「スエズ運河」がまだ建設中の1867年には福沢諭吉らが訪れています。「お決まりコース」ってわけですね。

■アイーダ
 サッカーの中田英寿がパルマに所属していた時、ヴェルディ作曲の歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲がよくTVのサッカー中継などで流れていたことがあります。あのオペラは元々は「スエズ運河」の計画時に、エジプトから注文されたものなんですってね。内容は、エジプト王とエチオピアの王女(アイーダ)の恋物語だとか。「アイーダ」の原案を書いたのはフランス生まれの考古学者マリエット。機会があれば一度観てみたいですね。

■エジプトの独立
 第一次世界大戦の結果、オスマン帝国が消滅しました。長くオスマンの支配下にあったエジプトは、1922年(アインシュタインが日本へ来るためにスエズ運河を通過した年)に、イギリスによって「エジプト王国」として独立宣言がなされました。といっても、なぜエジプトの独立をイギリスが宣言するのか? 実質はイギリスの「支配宣言」だったからなのですね。
 ほんとうのエジプトの独立は、1952年の「エジプト革命」まで待たなければならなりません。
 エジプトという土地はずっと、何千年も、支配されてきました。エジプトは「御しやすい民」とされていますが、その点は日本の農民と似ています。日本と違うのは、エジプトには木がないこと。そして、決定的に違うのは、常に支配されてきた民であること。その、支配する人物の能力と性格が彼らのしあわせに直結するのです。日本だと、総理大臣なんてどうせだれがなっても同じ…なんて感覚がありますが、エジプトではまるで違います。征服者が、強く優しく賢く公平であればエジプトの民は安心して暮らせ、そうでない場合には暗転します。中東の国では、指導者がマヌケだと、すぐにどこかに支配されてしまうのです。そういう歴史を重ねてきています。
 それにしても、世界を見渡して、エジプトほど重要な場所はありません。地中海とインド洋(紅海)の両方に面しているわけですし、隣国はイスラエルです。「たいへんな国」、といえるでしょう。

■ナセル
 1956年、第2代大統領となったナセルは、カイロ市の広場で演説しました。これが世界をあっと驚かす内容だったのです。
 「スエズ運河を国有化する」
とナセルは宣言したのです。自分たちの国を流れる運河を、「これは私たちのものだ」と言ったのです。その言葉にエジプトの民衆は歓喜し、そのニュースは世界を駆けめぐりました。それは、ナセルの、エジプト国民への、これ以上は思いつかないほど素敵なサプライズプレゼントだったといえるでしょう。しかしそれを宣言した以上は、英仏との戦争を覚悟しなければなりません。もちろんその準備と覚悟と勝算を持った上で、ナセルはそれを言ったのです。
 やはりイギリス軍フランス軍はやってきました。スエズ戦争(第2次中東戦争)の勃発です。さらにそれに加えてイスラエル軍がエジプトに攻め込みました。これはナセルも計算外でした。エジプト軍は一気に不利になりました。完敗でした。ところが占領されたエジプトを国際世論(主としてアメリカとソ連)が味方したのです。英仏軍とイスラエル軍は世論に押し返され、すごすごと撤退することになりました。
 ナセルは、「独裁者」と呼ばれることもありましたが、エジプトの民からこれほど愛されたリーダーもありません。郵便局員の息子ナセルは、若い時、読書ばかりしていたそうですが。
 このような強い指導者は日本の土壌では生まれないでしょう。砂漠とナイルとピラミッドのエジプトには、それが(強く賢く優しい指導者が)必要なのだと思います。
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「ナベ」さんの場合

2007年12月08日 | はなし
  では、知恵はどこに見いだされるのか。
  分別はどこにあるのか。

  深い淵は言う。
  「わたしの中にはない。」
  海も言う。  
  「わたしのところにもない。」

 「ナベ」という人がいました。でも「ナベ」は初めから「ナベ」ではありませんでした。努力して、「ナベ」になったのです。世間の役に立つように。そしてお金を稼いで暮らせるようにと。
 ところがある日、その「ナベ」に「穴」が開いてしまいました。さあ、たいへん、どうしましょう?
 「ナベの穴」は塞がなければなりません。穴が開いていては「ナベ」ではありませんから。問題はその穴を何で塞ぐかです。
 「仕事をがんばる」というお札を貼ってみました。これでは弱いので中に「酒」や「お菓子」や「お買い物の品」を入れてみました。それでもまだ「すきま」があるので「愛」を入れ、さらにその上に「宗教」というタイルを貼りました。それでなんとかなりました。ええ、ある時期までは。やがて我慢も限界にきて、「ナベ」さんは困りました。もうちょっとがんばれば… それでなんとかならないことはない。いや、なんとかせねば生きていけぬ。でも…
 あーあ、どうせ先は見えている。がんばっても、いつか埋めた「穴」は決壊する。その日を先延ばししているだけだ。「ナベ」さんは気づいてしまったのです。
 「や~めた!」
と、とうとう「ナベ」さんは「ナベ」であることをやめました。ですから「ナベ」さんは、もはや「ナベ」ではありませんが、ほかに名前もありません。だからこれからも「ナベ」さんと呼びましょう。
 「ああ、せいせいするな」
 と、「ナベ」さんはひっくりかえって言ってみました。「穴」はぽっかり開いて空からまるみえです。
 「あれは何だろう?」
と、妖怪たちが面白がってやってきました。彼らは、気ままに自由に生きています。彼らのしゃべる話を聞いて「ナベ」さんは思いました。
 「こいつら、阿呆だな。」
 それに嘘つきでもありました。妖怪たちの話は、なんでもあり、なのでした。信用すると痛い目をみるでしょう。
 妖怪のほうでも「ナベ」さんのことを馬鹿にしています。「こいつダメなやつだ」と。でもほめる妖怪もいました。「アンタ、形がおもしろい。」 これは妖怪たちの一致した意見でした。彼らは、こうも言いました。「へえ、『ナベ』だったって? とてもそんなありふれたものには見えない」 「うん、いいよ。なんの役に立たないまぬけな感じがじつにいい!」と神妙に言うのです。
 嘘つきで阿呆だけど、こいつら案外おもしろい、と「ナベ」さんは思うようになりました。それに時にはするどくてましなことも言っている、と「ナベ」さんは気づいたのでした。妖怪ならではの視点なのだな、と「ナベ」さんは思いました。だけどやっぱりくだらない、あほだし… そう思いながらも、やっぱり妖怪たちの話は、おもしろいのでした。
 それはそうと、わたしはお腹がすきました。夕飯を食べますのでこの話はこれでおしまいです。

  では、知恵はどこから来るのか。
  分別はどこにあるのか。

  すべて命あるものの目にそれは隠されている。
  空の鳥にすら、それは姿を隠している。
  滅びの国や死は言う。
  「それについて耳にしたことはある」
                   (旧約聖書ヨブ記より)
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「預言」者

2007年12月06日 | はなし
 一昨日の「レバノン杉」の記事の中で紹介した『旧約聖書エゼキエル書』から
わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。…(中略)…足の裏は子牛の足に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。…(中略)…それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて…


 このエゼキエルという人の描写は、とても「視覚的」だ。これを見たとき、僕は、宮沢賢治の文章を思い浮かべた。輝きを「石」であらわすところが似ていると思ったのだ。賢治の文章もたいへん「視覚的」である。
 次は、宮沢賢治の詩「春と修羅」から

  いちめんいちめんの諂曲模様
  (正午の管楽よりもしげく
   琥珀のかけらがそそぐとき)
  いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ


 ほらほら、ここでも「四」が出てくるでしょ? 「四」が好きなんですよ、賢治は。(でも、まあそれはいいとして…)

 「神」から言葉をもらった人を「預言者」という。(予言者、未来を予言する人、ではない。) モーゼも、キリストも、ムハマンド(マホメット)も、同じ一つの「神」から言葉を「預か」った人たちだ。聖書の物語の語り部たちのすべてが「預言者」というわけではないだろうが、彼らの多くももまた「預言」された人々のようだ。上のエゼキエルも。
 賢治もまた「預言者」といえるのではないか。
 ただし賢治の場合、「神」からの預言ではなく、水の粒や、石の光や、風にゆれる草木などからの「預言」であろう。賢治は、その創作を「心象スケッチ」と呼んだ。シャープペンシルを首にぶら下げて山を歩き、「ほうっ、ほほう」と叫び、飛び回りながら、見える景色を「スケッチ」したのである。
 「預言された」言葉は、美しく迫力がある。賢治のはそれだけでなく、わたしたちに、とてもやさしくしみわたる。
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OLD

2007年12月05日 | はなし
                  昔はよく見かけたものです。
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レバノン杉

2007年12月04日 | はなし
   大きな翼と長い羽をもち
   彩り豊かな羽毛に覆われた大鷲が
   レバノンに飛来する。
   その鷲はレバノン杉の梢を切り取り
   その頂の若い枝を折って
   商業の地に運び、商人の町に置いた。
                   (旧約聖書エゼキエル書より)

 地中海の東のはてレバノンの地にはレバノン山脈がある。最高峰が3000mほどの山々である。そこにある「レバノン杉」は古代、征服者のあこがれの杉であった。高貴さを表すために「香伯」と訳されることもある。
 この地に住んだフェニキア人はレバノン杉を伐って船を造った。大きな木のないエジプトの王は、レバノン杉で棺を作らせた。自国の山の木を採り尽してしまい人口が過剰になったギリシャ人たちも採りにきた。東のメソポタミアの王たちもレバノン杉に憧れた。そして一番沢山レバノン杉を採ったのは、イスラエルのソロモン王だったという。
 紀元前にほぼ採り尽したが、現代でもわずかに残っている。


 そのようなことを本(『レバノン杉のたどった道』金子史朗著)で読み、ふと思い出したマンガがあって、引っぱりだしてみた。諸星大二郎の短編『侵食惑星』である。これは週刊少年ジャンプに1974年に掲載された32ページの作品だが、インパクトのある内容だった。
 そのマンガは2085年の未来を舞台に子供の日常生活を描いたものだが、そこに描かれた未来は、『ドラえもん』の未来像とはまったく異なるもので、子供の僕らに、実はこっちが本当なのではないかと考えさせてしまうのであった。
 『侵食惑星』では、子供たちは冒険心から、偶然、「地底の空洞」を見てしまう。人口過密で住むところのなくなった人類は、地下へ地下へと住居を拡大していく。だからめったに空は見られない。だが、スイッチ一つで食べ物が供給される便利な世界。そこはドラえもん的なのだが、しかしその食料は、「なんでも原子に変えてしまう機械」によって、地球を「食べる」ことで成り立っていたのだった。
 プラネタリウムで見上げると「小さな月」が浮かんでいる。あの月も、昔はもっと大きかったという。あと5、6年でなくなってしまうでしょう、とプラネタリウムの解説はいう。それはどうしてかと父親に子供が聞くと、父「食っちまったってことさ。人間はなんでも食っちまう」
 じゃあ、人間が地球の中心まで食い尽くしてしまったら…と子供は考えこんでしまう。


 子供に、そんなことを考えさせたら、将来つぶれてしまいそうな気がする。いや、大人だって。かしこい大人は、だから考えない。考えてもどうにもならない、と先に結論を出して…、ね。


 あっ、今日深夜、NHKでレバノン杉が観られるじゃないか! ひゃー、なんという偶然!
   NHKスペシャル(再) 「新シルクロード最終集」
   絶景・レバノン杉の谷・中東のパリに響く祈り・火祭りの村 
 ああー、でも、うちNHK、映り最低なんだよね。 
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ほしの仙いち

2007年12月03日 | はなし
 ひさびさのスポーツテーマ。野球の星野一さんです。
 昨日の韓国戦8回裏のピンチに、まったく動じず岩瀬を見守ってほほえんでいた星野さんが素敵でした。
 僕のブログに1年前くらいによく登場してもらった「シゲ」という子供時代の近所の友達は、長嶋茂雄の名前からもらった「シゲ」でした。荒木大輔ブームのときに「大輔」と名づけられた多くの子供の一人が松坂大輔だそうですね。星野仙一氏も、人気は絶大なのだけど、なぜか「」のついている名前の人、僕は一人も知らないなあ。

 いま、台湾戦始まりました。新井ヒット! 全日本1点先取!
 ところで今回の1次予選にはパキスタンが参加していました。パキスタンでも野球やってるんですねー。
 日本先発はダルビッシュ。台湾の応援もすごい。バットに当てるだけであんなに…、先頭打者ヒット!


 あれは… ??
 山本浩二か!  赤い帽子かぶらずそして眼鏡をかけていると、だれかわからんおっちゃんだなー。
 あ、いや…  タブチ?   ??
 
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カスハガ

2007年12月02日 | まんが
 みうらじゅんの『カスハガの世界』(ちくま文庫)という本を衝動買いしてしまった!
 「カスハガ」とは、「カス」な「絵葉書」という意味らしい。文庫サイズだけれど全ページカラーなので900円もする。こういう本は図書館で読めないからなー。
 おもしろい …んだけど、20分ながめて、あれれれ? あと、どうする? あ、ああ、後悔~。 面白いけど、この本、今後の活用方法がないんだよな。ひゃあー、しっぱい、しっぱい。
 「おもしろい」だけでは買う意味がないんだなあ、と反省。
 上の絵は『カスハガの世界』から、千葉・御宿の海女さんの絵葉書の写真を模写。「こんな人、いないよ!」ってゆうカンジ。



 みうらじゅんという人は面白い人だ。仏像が好きなんだよねこの人。そしてキャッチーな言葉をつくりだすのが上手い。(養老猛氏もそうだが。) 普通の人とはちょっと違うことを考えていて、それを言葉であらわす。 ん、てことは、「詩人」なのか?
 みうらじゅんの漫画『アイデンティティ』はいい本だと思う。(映画化もされている) 1、2巻は古本で買って持っているけど、第3巻はまだ読んでいない。読みたいけれど、あの絵で1500円は高くて買えないな。

 いくらいい本でもほとんどの漫画は図書館で読めないのが困る。あとで(20年後とか)読みたくなって、でも古本でも手に入らないってことがよくある。傑作の短編漫画を描いて消えちまった人とかたくさんいると思うんだけど。そういうの、読みたいな。
 浦沢直樹の『PLUTO』は、やっぱり、謎がどんどん深まって結局謎だらけで終わるという彼のとくいなパターンなのだろうか? 全然読んでいないけど。
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バラエティズ オブ 歯医者さん

2007年12月01日 | はなし
 僕の育った田舎町には2つの歯医者があった。1つは人気があって、もう1つは人気がない。人気のある歯医者は丁寧で時間をかけて治療をおこなう。なので半年以上も通っている人も多かった。予約もいっぱいだ。
 僕は人気のないほうの歯医者に行っていた。これは多分に医療というものに意識の雑な父の影響である。こっちの歯医者は、今から考えると明らかに雑だった。ただし利点もある。予約はとりやすいし治療は早い。ふつうに治療すると5回以上にわけてする治療も「よし、土曜日に来て。休みの日だけど君のためにやってあげる」といって、2時間くらいでいっぺんにすませてしまうのである。僕は歯医者にたいしては怖がりだったのだが、一日で歯医者に通う憂鬱が消えるのかと、それはそれでいいじゃないかと考えていた。その考えはまちがいだったと今は思う。やっぱり歯医者は丁寧なほうがいいよ。(そりゃそうだ。) その歯医者さん、相撲中継見ながらやってたもんねえ。
 20歳を過ぎて一度人気のあるほうの歯医者に行ったことがある。(人気のないほうの歯医者さんが死んじゃって廃業したこともあって。) ビックリした。親知らずを1本抜いたのだが、麻酔の注射が「マッタク痛クナイ」のだ! マジックか、と思った。そうだったのか…! 人気がある理由が初めて判ったのであった。

 数年前の話。奥歯にかぶせたものがとれたので、その治療のために歯医者に行った。そこは建てられたばかりのマンションの1階にある新しい歯医者だった。
 受付に若い女性の歯科衛生士さんがいて、中には男性の歯医者さんと、もう一人女性の歯科衛生士さんがいた。治療の予約をして、その予定日に行ってみると、男性歯医者氏が受付にいて電話をかけている。なんだかアタフタしている。女性はいない。電話の内容は、んん?、人材募集広告の話か? あれ、この人、もしかして歯科衛生士に逃げられた? 二人ともいっぺんに?
 アタフタとした受付が終わり、中で治療が始まった。彼と僕、二人きりだ。治療の合間に電話がかかってきて中断…。治療は丁寧なんだけどなー、落ち着かない。また治療の途中に、「スミマセーン」と業者さんの声。バタバタと歯医者氏、受付へ。
 ううーむ。
 その後もすぐには歯科衛生士は補充できなかったようだ。女のあつかいのドヘタな人なのだろうか。
 それとこの歯科医師、やる気もあるし誠実なんだけど、治療中小さい声でしゃべるんだよなー。「あ、うん? よしよし。 あ、あれ? うん、むつかしいな、うーんだめだ、じゃあ…」などと実況するのである。
 その後、半年くらいして封書で案内が来た。歯の点検にどうぞという誘いだが、その中に「○○通信」のようなタイトルのそのクリニックの月間新聞のようなものが入っていた。それを読むと、どうやらその後「男二人体制」になっているらしい。したがって手術のときは、唾の吸引などの補助作業を男がやることになる…。うーん。好奇心は刺激されるが…あまり行く気にはなれないな。

 1年半ほど前、奥歯が痛くなった。ものを噛むとズキーンとする。レタスさえ噛めない!
 でもおかしいな、この奥歯はすでに神経を抜いているはずだがな。それでも痛いから、とりあえず歯医者だ。でも、どの歯医者に行くか、それが問題である。僕は子供の多くいる歯医者を選んでみた。そういう歯医者なら、人気があって丁寧なのだろう、と。
 なぜ、神経を抜いたはずの歯が痛むのか? それはその歯の根っこのところにかすかに神経の残骸が残っていて、それを栄養にして、細菌が活動しているからだという。僕は痛み止めと抗生物質をもらった。抗生物質は効果が出るまで2日かかるということだったが、そのようにして数日してすっかり痛みはなくなった。よかったよかった。歯医者ってすばらしい! ワンダフル!
 で、問題はそのあとどうするか、ということ。そういう「菌」というのは実はだれでも持っていて、それがたまたま「暴れだした」ということのようである。だからそのまま放っておいても大丈夫かもしれないが、また痛む可能性も十分ある。そのときの歯科医師は40歳くらいの女性だったが、彼女は「抜いて治療する」ことを勧めた。そうするとその1本は「入れ歯」になるというのである。抜いたまま入れ歯を入れないでおくとどうなるのかと聞いてみたら、下の奥歯を抜いた場合、上の奥歯が「相棒」を求めて伸びてくるというのである! それをふせぐために入れ歯が必要なのだと。へえー、である。
 それにしても、歯を抜いてしまうというのは、どうしたものか。僕は決断できず「とりあえずこのままで。よく考えてみます」と返事した。
 ところで、この歯科クリニックは、子供の泣き声がうるさくて大変だった。医者との会話がまともに聞き取れないのだ。それもその日だけのことかと思ったらそうでなく、いつもそんな感じの中での治療だった。

 その「問題の奥歯」はいつまでも黙ってはいなかった。半年後にやつら(菌)は活動を再開した。歯茎がポコッと小さく腫れたり消えたりする。ああ、医者に行かなきゃ、とおもいつつ、しかし痛みはすごく小さいので決断がつかない。気にならないほどの痛みなのだ。でも、たしかに歯茎は腫れていて、舌で触れば判る。問題はどこの歯医者に行くか、だ。「抜く」というのが最善なのかどうか。かといって変な歯医者に行って最悪な治療を選んでしまったら… 悩みだしたらきりがない。こういうときに「信頼できる行きつけの歯医者」を持っていれば迷いがないのだが。
 子供の時と違って、歯医者の治療が怖い、いやだ、というのはほとんどない。ただただ「どこに行こう…?」と悩んでいるのである。そのまま1年…。

 ああ…な、なんだか調子わるいぞ。睡眠中にのどは渇くし、気分が重い。あ、これはもしや、歯の根の菌が全身に回っているのでは? オレ、死ぬのか? 死ぬのはかまわんが、それなら部屋の片付けをしとかんと。 バカ、歯医者行けよ!
 というのがここ数ヶ月のワタシ。


 で、この前の記事(3日前)に書いたように、やっと、歯医者へ行きました。なんとなく看板をみてヒラメイて決めましたが、気に入っています。
 ここでは「抜かないでやりましょう」となりました。それにやっぱり若い女性歯科衛生士はいたほうがいいですなー。ええ、ええ。 子供がいないのも静かでいいです。 「私の恥ずかしい写真」を撮られてしまいましたが。
 なんでしょうね。「歯医者行かなきゃなー」って長年の悩みが取り払われたからでしょうか。気分がかるくなった気がします。歯医者行くのもたのしいです。


 ところで真部一男さんの訃報は僕が思っていた以上に反響が大きいみたいです。この前書いた「なぞの500アクセス」はどうやらそのこと関係があるようですね。8月に真部さんの記事を書きましたから、「真部一男」で検索すると僕のブログが出てきていたんですね。将棋ファンって、けっこう多いようですね。
 そしてさらに4日前gooトップページに「歯医者行きました」の絵が「おすすめお絵描きブログ」に紹介されました。というわけで一昨日のアクセスは千を越えました! 僕のブログは2年前にも一度そこで紹介されたことがあって、そのときは「まつたけ」の絵でした。
 まあ一週間もすれば通常のアクセス数にもどるはずです。栄枯盛衰であります。
 今日は歯医者ファンの方々のために記事を書いてみました(笑)。  長いな!
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