はんどろやノート

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レバノン杉

2007年12月04日 | はなし
   大きな翼と長い羽をもち
   彩り豊かな羽毛に覆われた大鷲が
   レバノンに飛来する。
   その鷲はレバノン杉の梢を切り取り
   その頂の若い枝を折って
   商業の地に運び、商人の町に置いた。
                   (旧約聖書エゼキエル書より)

 地中海の東のはてレバノンの地にはレバノン山脈がある。最高峰が3000mほどの山々である。そこにある「レバノン杉」は古代、征服者のあこがれの杉であった。高貴さを表すために「香伯」と訳されることもある。
 この地に住んだフェニキア人はレバノン杉を伐って船を造った。大きな木のないエジプトの王は、レバノン杉で棺を作らせた。自国の山の木を採り尽してしまい人口が過剰になったギリシャ人たちも採りにきた。東のメソポタミアの王たちもレバノン杉に憧れた。そして一番沢山レバノン杉を採ったのは、イスラエルのソロモン王だったという。
 紀元前にほぼ採り尽したが、現代でもわずかに残っている。


 そのようなことを本(『レバノン杉のたどった道』金子史朗著)で読み、ふと思い出したマンガがあって、引っぱりだしてみた。諸星大二郎の短編『侵食惑星』である。これは週刊少年ジャンプに1974年に掲載された32ページの作品だが、インパクトのある内容だった。
 そのマンガは2085年の未来を舞台に子供の日常生活を描いたものだが、そこに描かれた未来は、『ドラえもん』の未来像とはまったく異なるもので、子供の僕らに、実はこっちが本当なのではないかと考えさせてしまうのであった。
 『侵食惑星』では、子供たちは冒険心から、偶然、「地底の空洞」を見てしまう。人口過密で住むところのなくなった人類は、地下へ地下へと住居を拡大していく。だからめったに空は見られない。だが、スイッチ一つで食べ物が供給される便利な世界。そこはドラえもん的なのだが、しかしその食料は、「なんでも原子に変えてしまう機械」によって、地球を「食べる」ことで成り立っていたのだった。
 プラネタリウムで見上げると「小さな月」が浮かんでいる。あの月も、昔はもっと大きかったという。あと5、6年でなくなってしまうでしょう、とプラネタリウムの解説はいう。それはどうしてかと父親に子供が聞くと、父「食っちまったってことさ。人間はなんでも食っちまう」
 じゃあ、人間が地球の中心まで食い尽くしてしまったら…と子供は考えこんでしまう。


 子供に、そんなことを考えさせたら、将来つぶれてしまいそうな気がする。いや、大人だって。かしこい大人は、だから考えない。考えてもどうにもならない、と先に結論を出して…、ね。


 あっ、今日深夜、NHKでレバノン杉が観られるじゃないか! ひゃー、なんという偶然!
   NHKスペシャル(再) 「新シルクロード最終集」
   絶景・レバノン杉の谷・中東のパリに響く祈り・火祭りの村 
 ああー、でも、うちNHK、映り最低なんだよね。 
コメント
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