はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

筋肉の棋士

2007年06月05日 | しょうぎ
負けないこと 投げ出さないこと♪
逃げ出さないこと 信じ抜くこと♪
 『泣き虫しょったんの奇跡』に豊川孝弘六段(40歳)が出てきて、カラオケで瀬川さん前でこの大事MANブラザーズバンドの歌を歌う描写がある。筋肉マン豊川孝弘六段らしくて笑っちまう。(この曲が豊川六段の十八番なのだそうだ。)
 棋士の仲間というのは、友であり、敵である。プレッシャーに苦しんでいる瀬川さんの前でこれを歌う…、「プレッシャーの中で喜んで戦う、それがプロだよ」といってるようだ。正論だけど、キツイよ、これは(笑)。豊川さんは、おもしろいけど、僕のニガテなタイプでもある。(あまりにも前向きなひとって…つかれるよね) でもおもしろい。「キャラが立っている」というべきか。
 瀬川さんが高校を卒業して奨励会員だった時に、中野の4畳半の部屋で一人暮らしをしていたのだが、「夕方になると、近所に住んでいる豊川孝弘さんが自転車でやってきて、将棋を指してから銭湯へ行くのが日課だった」と書いている。「なぜ一人で行かないんだろうと思わないでもなかったが、僕も断ったこともなかった。銭湯ではお互い背中を流し合った」という記述にも笑わさせられる。ハダカのつきあいってやつだ~。(おれだったらストレスで死にそう)


それから、鈴木大介八段の書いたこんな文章もある。
 あれは僕が奨励会に入ったばかりで11歳の頃、奨励会員になって初めてのぞく記者室は、まさに光り輝いていた。夏休みの午後、何をするでもなく先輩と一緒の雰囲気を記者室で幸せに感じていると、大先輩奨励会員の豊川孝弘二段(当時)と小川初段(現指導棋士)が何故か筋肉の話で盛り上がり、最後には部屋に僕しか居ないことを確かめると互いに上着を脱ぎだしてしまったのだ。そこに大野八一雄五段(当時)が通りかかるというのだから恐ろしい。関東が誇るムキムキマンが3人集まってしまったのだから大変だ。後は想像にまかせるしかないが、小学生の前で演じられた、一言で言えばそれは「男の美学」「三色筋肉の織り成す肉体美」であり、僕にとっては生まれて初めて味わう「生き地獄」であった。
    (「将棋世界」2001年、「鈴木大介の振り飛車日記」より)