はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

セガショーに会いにゆく

2007年06月01日 | しょうぎ
 セガショーに会いにゆこう! 
と思ってきのう、皇居のすぐそば竹橋の毎日ホールで行われた名人戦第5局解説会へ行きました。セガショーとは瀬川晶司四段。2年前、異例の「将棋プロ棋士入会試験」が行われ、35歳にして夢かなえた棋士として有名ですね。瀬川さんのこの「奇跡」は時の運もありました。そして瀬川さんの将棋の実力と人柄もあったからこそ、です。プロ試験の対局は僕もネットで注目して見ていましたが、たくさんの人が応援するにつれて、僕は少しさめた気持ちで見ていました。まあ僕の友人ってわけじゃないからな、と。
 しかし、2週間前、瀬川さんの書いた『泣き虫しょったんの奇跡』を図書館で借りて読んで、僕はいっぺんに人間・瀬川晶司にやられてしまいました。大好きな棋士になったのです。もちろん『泣き虫しょったんの奇跡』は買いに行きましたよ!

 瀬川さんの「奇跡」は、表面的には「将棋世界」誌2005年3月号の山岸浩史氏の記事で、「プロになりたいんです。連盟に働きかけるつもりです」という爆弾発言からはじまった。僕が知ったのはこのときだ。しかし瀬川さんの周囲では、瀬川さんをプロにするための「プロジェクトS」が支えていたのだった。
 だが、さらにそれよりはるかに前、「あのとき」から、その「奇跡」は始まっていたのだと、瀬川さんはこの本の中で言うのだ。「あのとき」とは、小学校五年生のとき。そのとき、瀬川少年セガショーは、40歳くらいの、にこにこした女の先生と出会った…。


 「セガショーが好きなものは?」とひろこ先生は聞いた。「…ドラえもんです」と瀬川少年は答えた。

 「なんてすてきな詩なの、セガショー!君って詩の才能があるのね!」 ひろこ先生がそう言うと、瀬川少年はぽかんとして、先生の顔を見つめた。だれか他の人をほめているのではないか、と思ったという。
 〔あの気持ちを、僕は生涯忘れることはないだろう。胸の中を、熱い血が通いはじめたようなあの感覚を。〕と瀬川さんは書いている。初めて瀬川少年は大人に褒められたのだった。

 瀬川さんは3人兄弟の3番目。次兄はいつもこの弟をいじめていたという。大人になった今、それを次兄に聞いてみたら「覚えていない」という。そしてそれはすまなかったと謝ったあと、「とにかくショウは、しゃべらなかった」と言っている。
 〔この世に生まれてから小学五年生になるまでの十年間、僕は自分の意志で何かをしたことがほとんどなかった。何がしたいのか考えたこともなかった。僕は本当に生きていたのかさえ、疑わしかった。〕と瀬川さん。

 瀬川さんは羽生善治と同じ年齢だ。羽生さんが小学生のとき、谷川ブーム(史上最年少名人誕生!)の影響で、学校で将棋ブームが起こり、男の子は全員、将棋が指せたそうだ。同じことが瀬川さんの小学校でも起こったらしい。
 その中で瀬川さんは兄たちと将棋をすでにやっていたこともあって、わりと強いほうだったらしい。それをたまたま見たひろこ先生が「へえー、セガショーって、将棋が強いんだ」と言った。続けて「熱中するってすばらしいことだと思う。そういう人はまちがいなく、幸せをつかむことができます。だからね、セガショー。君はいまのままで十分、だいじょうぶよ。」
 〔僕は僕のままでいい。そんなふうに自分を認められたことなど、一度もなかった。入学して四年生までずっと、成績は冴えなくて何に対しても自身が持てなくて、いるのかいないのかわからない存在、それが僕だった。 (中略) … 僕はうっとりしていた。汗ばんだ掌の中に、将棋の駒があった。 (中略) この瞬間から、将棋は僕にとって特別なものになった。〕
 そして将棋に夢中になって、次兄には負けることがないほどになると、次兄の弟いじめがなくなったという。

 秋が来て、ひろこ先生が、二学期が終わるまでの間、ホームルームの時間をつかって何か好きなことをやってほしいと思うんだけど、何がいい? と問うた。瀬川少年の胸、トクン、と高鳴った。そして手を上げた。学校で自分から手を上げたのはそれがはじめてのことだった。
「はい、セガショー」
「将棋がやりたいです」

 それでクラスでは将棋大会が行われることになった。全員参加総当りだから相当な規模のイベントだ。問題があった。男子は全員将棋のルールを知っているが、女子は全員知らない、これをどうするか? ひろこ先生は言った「なんとかしなさい、セガショー」 セガショーは決心する。女のコ全員に自ら将棋のルールを教えることにした。どうしても将棋大会をしたかったから、と瀬川さんはいう。
 ある日、母が瀬川少年に言った。「スーパーでクラスの女の子のお母さんに会ったわよ。 瀬川さんのおかげでうちの子は将棋ができるようになったって、お礼をいわれたわよ。瀬川さんはとてもリーダーシップがあるお子さんみたいですねって」
 〔僕が提案して始まった将棋大会が、クラスの女子も、優等生も、全員が参加してちゃんと最後まで行われた。そう思うだけで、身体がほかほかしてくる気がしたのである。〕

 2月、ひろこ先生の誕生日がやってきた。セガショーは、〔生まれて初めて、人に贈り物をしたいと思った。母に、買い物につきあってほしいというと、母は目を見開いて驚いた。「あんたみたいなケチんぼが、誕生プレゼント?」〕
 (瀬川さんは、だけど、その時、何をプレゼントしたのかおぼえていないそうだ。)

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 さて、プロ試験第1局、35歳瀬川晶司は16歳佐藤天彦に敗れた。平静を装っていたが、内面は大変だった。応援されればされるほどプレッシャーは重くのしかかってくる。応援されることがこんなにつらいとは…。
 1枚のはがきが届きその瀬川さんのピンチを救う。そのはがきにはドラえもんが印刷されていた。あのひとだ。

 そうだ。僕は僕でいい。
 「セガショー、だいじょうぶよ。」

 そのドラえもんのはがきには住所が書いてなかったそうだ。晴れてプロ四段になれた後、瀬川さんは会いたいと思ったが、「もうおばあちゃんだから」と会うことは拒まれた。
 ふしぎなことに、ひろこ先生もまた、年齢制限ぎりぎりの35歳で、夢だった学校の先生になったのだという。

 ひととひとが「出会う」というのは、すごい。
コメント
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